第29話 そう、彼女は勇者

 城内を走るロメロ。灰色の石を積み上げて作られた廊下はところどころひび割れて、そこから青々とした樹木が飛び出している。樹木の近くの亀裂には隙間に小石や埃が詰まっていない。もともとそこに木が生えていたわけではないということになる。この樹木は何らかの理由によって急速に成長し、壁を破ったのだ。


 彼はその樹木を見て、エキドナとの初の邂逅を思い出していた。


 ロメロとエキドナが対峙したのは、数カ月前。春真っただ中の南の海岸だった。


 北方ギルド『野バラ』に常駐している魔力探査部隊が、強大な魔力の接近を察知したのが事の始まりである。魔王の送り出す大陸産の魔物は、度々海をわたってロメロたちの大陸へとやってくることがあった。今回はその規模が大きいだけだろうと当時は判断された。


 そのため、すぐさま先遣隊として送られたのは、ロメロを含めたった五人。


 しかし戻ってきたのはロメロのみだった。


 他のメンバーもけっして弱かったわけではない。銀等級ほどではないにせよ、それなりに経験を積んだ熟練者ベテランたちだった。


「あの時エキドナの接近に気がついていれば……。サリア、メルキド、ラマン、それと、グレ……グレイ……グ、グレ男……うん、グレ男」


 攻撃魔法の使い手サリア、回復および補助魔法の使い手メルキド、弓使いラマン、斧使いグレ男、そして剣士であるロメロ。個性豊かな仲間と共に調査にでかけた彼は、当時連れ添った仲間の姿をどうしても思い出せなかった。


 それはエキドナに負けたショックから、というわけではなく単純に彼自身の記憶力の問題だった。


 ロメロはもはや思い出せない仲間たちのことは置いておくとにして、自分自身の身に降りかかった悲劇を思い出す。


 南の海岸に現れた魔物を退治し、この調子でいけば全滅させられると思っていた矢先に、突如上空から箒に乗って現れたエキドナによって仲間たちは全滅。


 だがロメロだけはその時に生き残った。魔力を探知して攻撃してきたエキドナには、魔力をほとんど持っていないロメロに気づかなかったのだ。


 だが彼の並外れた生命力に気づいたエキドナは、ロメロの体内から生命の器を奪い取り、どこかへと立ち去ったのだ。


 ワシの奴隷となる気になったら会いにこい、とそう言い残して。


 敗北の悔しさから奥歯をかみしめるロメロ。


 彼の胸に、エキドナへの怒りがふつふつと湧き上がってくる。共に戦い、そして散っていった仲間たちに対する無念で拳を硬く握りしめた。


 ところどころ亀裂の入った色気のない廊下はどこまでも続く。


 この城のどこにエキドナがいるのかまるで見当もつかず、ただ本能に身を任せて走り続けていたロメロだが、突如正面から凄まじい衝撃波が彼を襲った。


 両腕で十字を作り衝撃に耐える。衝撃が止んで顔を上げると、視線の先には開け放された扉が鎮座していた。


 彼は煌々とした光を放つその扉にむかって再び走り出す。扉が近づくにつれて、ギュイィィィン、という不快な音が聞こえてきた。


 石造りの床が彼の足音と正体不明の音を幾重にも反響させる中、扉をくぐるとそこは広間だった。


「もぉー! どうしておねーさんは素直にお仕置きされないの?」

「ばばば、バカかお主!? そんなもので切られたらひき肉になってしまうじゃろーが! ちゅーかなんじゃその凶悪な武器は!?」


 円形に広がった室内には、四方にそれぞれ扉がある。しかし、深緑色の枝葉をつけた太い幹が蛇のように壁をつたい、ロメロが入ってきた扉以外は全て閉ざされていた。


 頭上に天井はなく、尖塔まで視界を遮るものはない。尖塔の部分には大きな鐘がぶらさがっている。どうやらこの場所は鐘楼しょうろうのようだ。途中で崩れて登れなくなってはいるが、壁沿いには階段らしきものが生えている。


 ロメロから見て左側には、身を守るようにして数本の樹木を床から生やしたエキドナが顔中に汗を浮かべて立っていた。


 右を向くと、回転する刃の機械を持つ少女、カスミが、不満げな表情で立っている。


「なんだ……あれは……」


 ロメロは怯えた表情ながらもいまだ五体満足なエキドナに驚愕するとともに、カスミがもっている謎の凶器についても目を丸くした。


 常に不快な機械音と鼓動のような爆発音を繰り返す機械。機械に取り付けられた楕円形の鉄板の周囲を、小さな刃が高速で回転している。彼女が両手で持っている物、それは俗に『チェーンソー』と呼ばれる凶器である。


「カスミちゃん!」

「ゲボちゃん! 早かったね!」

「エキドナが心配で急いできたんだ! さっきも言ったけど殺しちゃだめだぞ!」

「大丈夫だよ! このマジカル☆チェーンソーは切られるとすーっごく痛いけど、そんなに威力はないんだ☆ 完全に切断するには時間がかかるから、すぐに離せば死なないよ!」


 そういってロメロに見せつけるようにチェーンソーを振り回すカスミ。ギュンギュンと唸り声を上げるチェーンソーはまるで血を求める獣のようである。


 もはや彼女が凶悪な武器を持っている程度ではすぐに納得できるようになったロメロは、そうか、と短く返事をした。


「そうかではないぞ小僧! あの異形の剣はワシの魔法樹をことごとく真っ二つにするんじゃぞ!? しかも切ると言うより削り取るんじゃぞ!? そんなものでやられてみろ! 痛みでショック死するわ!」


 ロメロがヒステリックに喚き散らすエキドナを一瞥すると、彼女は自身の肩を抱いて顔を青ざめさせていた。


 彼にはなぜカスミがこのような武器を使っているのかがようやく理解できた。


 理由は至極単純で、エキドナの作り出す魔法樹を突破するためには打撃系のバットでは効率が悪いからである。


「大丈夫だよ! とーっても痛いだけだよ!」

「嫌じゃ嫌じゃ! ワシは痛いのは絶対嫌じゃ! というかなんなんじゃお主!? 木に同化していたワシに一直線に向かってくるわ、締め上げても叩き潰してもピンピンしとるわ! 何者じゃ!?」


 エキドナの問いかけにカスミの雰囲気が変わった。


 両手をだらんと下げ、俯いたのだ。前髪で陰った表情はうかがい知れず、ただ普段の明るい彼女から激変した様子に、異様な不気味さを漂わせている。


「カスミちゃん?」


 ロメロは様子がおかしいと思った。


 普段なら、自分が何者と聞かれれば意気揚々と自己紹介をする彼女である。声高々に名乗り、決めポーズをとって、見る者を唖然とさせるのがいつもの流れのはずだ。


 いままさに予想できないことが起ころうとしている。ロメロは自身の警戒心を最大限に高めた。


「私は、罪なき人々を守る者」

「……は?」


 エキドナの表情が強張った。ロメロもまた、静かに言葉を紡ぐカスミの挙動を注意深く見つめていた。


 彼女が動き出した瞬間、衝撃に備えて伏せる心の準備はすでにできている。


「気を抜くなエキドナ! なにがくるかわからない! 守りを固めるんだ!」

「え? お、おお。うむ、了解した」


 ロメロはカスミから目を離さないようにしながらエキドナに指示を送った。エキドナもまたロメロの尋常ならざる気迫に押され、素直に全身を守るように魔法樹を生成したのだった。数本の樹木は互いに絡み合い、彼女の体を包み込むように伸びていく。


 ロメロの脳内では目まぐるしくカスミの次行動に対する予測が行われていた。普段と違うパターンに、ようやくつかみかけていた行動パターンが予測できないという恐るべき事態に陥ったがゆえの反応だった。


 今の彼は、もはやエキドナの存在など眼中になく、全身全霊をもってカスミの挙動を観察し始めた。


「そして悪行を許さない、愛と正義の十字架を背負いしキュートな使者! 魔法少女、カスミナール! 悪い子は、たーっぷりお仕置きしちゃんだから☆」


 カスミは突然顔を上げると同時に足を肩幅まで開き、なにも持っていない左手でピースサインを作ると、それを左目に当てた。


 人差し指と中指の隙間から覗き込むようにあてがったその時、少女らしい、溌剌とした笑顔を見せたのだった。


 流れるようなその動きにロメロは即座に伏せた。耳たぶを耳穴じけつへと押し込み、冷たい石造りの床と一体化せんとばかりに伏せたのだ。視線だけはけっしてカスミからそらさないように、恐怖で閉じたくなる瞼を必死に押し上げて。


 だが爆発もなければ凶器が飛んでくることもないことから、彼はこれが、新しい自己紹介のパターンであることを理解した。


 脳内に瞬く星々は、今日もまた一段と煌いている。


 冷や汗を拭いながら、彼は立ち上がったのだった。


「壁は無事、揺れもない。これは……自己紹介か……新しいパターンだな……」

「そりゃそうじゃろ!? だってワシ名前聞いただけじゃもん! なんで名前を聞いて全方位攻撃がくると勘違いしたんじゃお主!? あまりにも機敏な伏せにびっくりしたわ! 優秀な犬でもそうはいかんぞ! というかなんじゃこの星わ! 頭がおかしくなりそうじゃ!」


 エキドナが苦しそうに両手で頭を押さえ、絡み合った樹木の隙間からロメロを睨みつけた。脳内に送り込まれる星に耐性がないエキドナに彼は少々同情しつつ、彼女の軽率な行動に憤慨したのだった。


「バカ野郎! カスミちゃんから目を離すんじゃねえ! 死にてーのか!?」

「す、すまん……。え? お主ら仲間じゃろ? なんでワシよりあの娘を警戒しとるんじゃ」

「カスミちゃんはな、敵とか味方とか関係ないんだよ。全人類全生命平等主義者なんだよ。命あるものはその重さに関わらず終わらせる。そう、彼女は勇者なんだ」


 もはや勇者の定義がわからなくなっているロメロである。


「それは勇者とは呼ばんのではないかな!?」


 エキドナの意見は至極真っ当ではあるが、この場においてその認識の甘さは死に直結するということを彼女はまだ知らない。

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