第28話 彼も大概、化け物

「死霊竜よ! エキドナ様にあだ名す人間共を始末しろ!」 


 死霊使いが死霊竜の後ろから指示をだすと、竜はゆっくりと鎌首をもたげて口を開いた。そして死霊竜は鋭い牙の生えそろった口から、黒い煙のようなものを吐き出した。


 その煙はあっという間にあたりを覆いつくし、ロメロの視界は暗闇に包まれてしまった。


「これは!? 毒、ってわけじゃなさそうだな。リリィ! 大丈夫か!?」


 返事はない。辺りは完全に真っ暗で、自分の足元さえ確認することができない状況である。


「リリィ?」


 ロメロの声はまるで闇に吸い込まれるように消えていく。いつのまにか、周囲で燃えているはずの炎の音も、オークたちの雄たけびも聞こえなくなっていた。


 ロメロはこの時ようやく自身に起きた異常に気がついた。この黒い煙は、単なる目くらましではなかったのだ。毒か魔法か。どちらにせよ今の彼は、自身の聴覚と視覚を奪われていることに気がついた。


 もしも魔法の類の場合、耐性のないロメロに効きすぎる。彼は人一倍魔法の才能がないのだ。


 だが、彼はこの状況においてもなお、冷静でいつづけた。


 家族もなくずっと一人で生きてきた彼は、この世界の子供が親から教わるような魔法の教育を一切受けずに育ってきた。それ以前に彼は、生まれつき人よりも魔力を生成する機能が弱い。


 だがそれでも、同い年の子供たちの中では誰よりも強く、そして誰よりも誇り高い精神を持って生きてきた。幼いころ生きるために盗みや恐喝などで道を踏み外したことのある彼は、ある日を境にそれまでの自分とは違う自分を目指したのだ。その強い思いは、たとえ魔法を使うのが下手くそだったとしても、剣を振るうことしかできないことを誰かにバカにされようとも、誰よりも自分を信じそして答えてきた。その結果、ギルドに入団し、数々の功績をあげ、【不滅】の異名をも持つようになった。


 そんな彼は、突然視界のない状況に放り出されても、自分を信じることで冷静さを保っていた。一歩、前に進むと、小石や砂の感触が靴の裏に感じられた。


 それは彼に、現実は確かにそこにあるという根拠を与えたのだった。そしてなにより、触覚は生きているという希望を与えた。


 もはや目にも耳にも頼れない以上、彼はその感覚に頼るのをやめた。そして少しでも多くの情報を得られるように、白銀の鎧の留め具を外したのだった。


 音もなく落下する鎧。だがまだ感覚は研ぎ澄まされない。


 ロメロはさらに、上半身に着ていた白いシャツも脱ぎ捨てた。彼自身の目では、自分が裸になったことは見えない。だが、肌に触れる空気の動きが、炎の熱気や、音の振動が、様々なことを伝えてくる。


 剣を持った両腕をだらんと下ろし、力を抜いた。


 彼の右前方で、大きな何かが動いた。


 右足を一歩下げ重心を傾けると、彼の左頬を鋭い何かがかすめていった。


「そこか」


 ロメロは一言発すると同時に、前方に倒れ込むように右足を踏み込んだ。


 軸足である左足は大地をしっかりと踏みしめ、全身を張りつめたバネのようにしならせた彼は、右腕を鞭のように振り上げたのだった。


 なにかが剣の動きを遮ったが、すぐに軽くなった。これは腕だろうと彼は理解した。さらに剣を振り進めると再び剣に抵抗が加わった。これは首だろうか。太く筋張った首に押し返されても、彼の剣は止まらない。


 太く、巨大な何かを切り裂き、半回転ほどで彼は動きを止めて、再び敵の位置を確認しようとした。


 大きな何かが彼の隣に倒れるのを振動と空気の流れで感じ取り、次に彼を襲ってきたのは、細く素早い何かだった。


 その存在を感知した瞬間、彼の脳内では本来見えていない景色。死霊使いが腕を振るって攻撃を仕掛けている姿が確かに見えた。それははっきりとした景色ではなかった。ぼんやりとした白い人影と二本の光りの線が見えたのである。


 それは天賦の剣の才能とたゆまぬ努力。そして感覚を遮断された極限状態がうんだ生への渇望が見せた幻なのかもしれない。だが彼はありのままその景色を受け入れた。


 自分の首と胴を狙って向かってくるワイヤーに、優しく切っ先を添え、胴体を狙ってきたワイヤーをそっと押し上げた。


 緩やかに軌道を変えられたワイヤーは、死霊使いの手元で互いに絡み合い、やがて一本の紐となってロメロの頭上を越えていく。


 攻撃をしのいだロメロは死霊使いへと駆けだした。


 その時、音の衝撃が彼の体にぶつかった。


 これは恐らく、死霊使いの叫び声だと悟ったロメロは、両手で剣を握りながら口を開いた。


「なにいってるか聞こえねえ。俺は! はやく! おわらせてえんだよ!」


 再び無造作に繰り出されるワイヤー攻撃を剣の腹ではたき落した。


 その間、彼は駆け出した足を止めることなく、ひたすら何かを喚き散らす物体へと向かっていく。


 そしてついに一刀の間合いにまで距離を詰めた彼は、頭上に高々と剣を掲げ、躊躇なく降り降ろしたのだった。

 

  彼がリリィの回復魔法によって五感を取り戻したとき、目の前には酷く顔を歪めたかつての仲間の亡骸があった。


「ブディ。お前のことは忘れないよ」


 ロメロはそういって、古城の入り口に視線を向けたのだった。


「リリィ! お前はシアンたちを頼む!」

「了解よ。無茶、しないでよね」


 親指を突き上げたロメロは、古城に向かって走り出した。

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