#2 井高野 颯太 ―2017年6月23日(転生前夜)―②



「…………」

「颯太。そこに座りなさい」


 リビングに行くと、親父がソファに座って俺を待っていた。

 呼び付けるぐらいならそっちから来いよと思ったが、言ったらどうせキレるからやめておいた。


 俺は黙って、親父が示した椅子とは違う椅子に座った。

 それを見て、親父はテレビの電源をリモコンで切る。くだらねえバラエティ番組の笑い声が一瞬にして途絶え、リビングがムカつくくらいに静まり返った。


「テレビ切らなくてもいいだろ」

「大事な話だ」

「んだよ。また働けってか? それなら就活やってるっつってんだろ。何回言や分かるんだよ。学歴も資格も何もねえ俺が、まともに働ける企業なんざこの国にはねえの! 選ばなかったらそりゃあるかもっつーか、あるよ? けど飲食とか運送とか、そういう奴隷みたいなブラック企業しか残ってねえんだって! 自分から進んで奴隷になりに行くとか、マジで馬鹿馬鹿しくて有り得ねえから! 前も言ったけどさあ、働いて過労死するとか生まれた意味すら分かんねえだろ! 最終的に人間は死ぬ生き物だよ? でも過労死だけは意味分かんねえ! 絶対嫌だ! ってなったらもう、探し続けるしかねえだろ! 毎日毎日必死に!」


「お前は……自分に都合が悪くなったら、口数が多くなる」


「は? だから何? 一生喋んなってこと? ならもう一生喋んねえから部屋戻るわ」

「そうは言ってないだろう。なあ、颯太。母さんから聞いてるんだ。お前が言う『やってる』っていうのは、ネットで就職サイトを眺めて、就業条件や雇用条件に文句を言うことなのか?」

「条件見ずにバカスカ応募する方が頭悪いだろうが!」


「確かにそうだ。でもな、お前はただの一度でも、まともに働いたことがあるのか? バイトすら長続きしないお前が、どうして世の中にたくさんある仕事を『ブラックだ』と切り捨てて、馬鹿にすることが出来るんだ? 奴隷だ何だと言うが、お前は『奴隷』についてどれだけ知っているんだ? 飲食業界のこと、運送業界のこと、知った風に言うが、それはどこから来た知識だ? 顔も名前も知らない誰かが言った、ネット上の浮ついた知識を聞きかじり、さも自分は何でも知っているように振る舞っているだけじゃないのか? なあ、颯太。別に父さんはお前をいじめたいわけでも、追い込みたいわけでもない」


「いやそう言ってる時点で追い込んでんだろうが!!」


 バカじゃねえのこいつ? 頭痛えわ。


「話は最後まで聞きなさい。憲一おじさん、知っているだろう? 父さんの兄で、お前も何回か会ったことがあるはずだ。最近はめっきり会っていないが……その憲一おじさんが、お前の為に仕事を紹介してくれるそうだ」

「いや無理」

「何が無理なんだ? まだ何も――」


「その紹介ってのがまず無理だって、これも前言っただろ。親とか親戚とかさあ、そういう奴らの紹介した先で働くって、そんなん絶対働いた先で馬鹿にされるだけじゃんか。親の七光りとか、そんな感じの言葉あるだろ。それに、紹介するってことは、どうせ紹介した奴にメンツみてえなのあるんだろ? 簡単に辞めてもらったら困る、とか。いやむしろ、俺に辞めさせたくねえから紹介先で働けってことか! あーもうマジ分かりやすいわ。舐めてんの?」


「……そうだな。舐めているのは、お前の方だが」


 強キャラ感出すなよクソ親父。大して出世もしてねえのに。

 ああ、母親が心配そうな顔でこっちをチラチラ見てやがる。殴り合いにでもなるんじゃねえのか、って心配してる顔だわ。

 けどそれは俺が心配なんじゃなくて、どっちかっつーと親父が心配なのと、治療費とか世間の目とかそういうの気にしてる顔だわ。絶対そうだわ。


「実を言うとな。お前に拒否権は無いんだ」

「は?」

「明日の朝、憲一おじさんが迎えに来る。お前はそのまま、憲一おじさんの所で働くことになっているんだ」


「……おい、お前マジで言ってんの?」

「親に向かって『お前』とは何だ!」

「キレるポイントそこかよ器小せえな!! 勝手に俺の許可を得ずに話進めてんじゃねえ!! 人のこと何だと思ってんだ、ああ!?」


 やべえだろマジでコイツ。キチガイだろ。

 勝手に親戚へ息子を売るとか、頭おかしいわ。自分が社畜で奴隷状態だからって、一時でも奴隷商人の気分を味わいたかったのか? やべえわ。


「じゃあこれからどうするつもりだ! 口では御大層なことを言っているが、実際にお前は何もやる気がないだろう! お前のことを思ってやったんだ!」

「俺のことなんざ一切考えてねえだろ!! 俺が一言でも何とかしてくれって言ったか!? 言ってねえだろうが!! 正直に言えよ、世間体が気になるから俺を追い出したいって!!」

「そんなことは思っていない! どうして分からないんだ、こっちの考えが!」


「あんたは昔っからそうなんだよ!! 綺麗事ばっか抜かしやがって! 結局、自分の思ってる通りに物事が動かねえと我慢なんねえだけだ!」

「話をすり替えるな! これはお前の話だ!」

「俺の話だから、俺の為を思って、俺が望んでねえことを押し付けてもいいってか!? 親ならもっと、自分の子供を信じてやるべきだろうが!!」


 親父の身体がビクリと震えた。信じてやる、という言葉に反応したらしい。

 まあそうだろうな。こいつは信用とか責任とか、そういう言葉に弱い。

 そういうのが飛び交う世界で、奴隷として生きてるから当然だろう。

 綺麗事も大好きだしな。精神的オナニー狂いのくせによ。


「お前を信じた結果が……今だろう。信用を、自分で語るな……! 子供でもあるまい!」


「子供じゃねえなら放っとけや! 子離れ出来てねえんだよ!」

「……っ、お前は……!」

「んだよ」

「お前は……自分の状況を、理解しているのか?」

「は?」


「電気代、水道代、ガス代、携帯代、インターネット代、全て親に負担してもらっている。実家だから当然だ、という顔をして……気にする素振りも見せない。この家を出ようとすら思ったことがないだろう。お前が、せめて高校生なら、こんなことを言うのは野暮だ。だが、もうお前は酒も飲める年齢だ。少年法も関係ない。罪を犯せば、顔も名前も公表されるような立場になったんだ。履き違えるな、颯太。お前は……その子離れ出来ない親に、ひたすら甘え続けているだけなんだぞ!」


「あああああああああああああ!! はいはいはいはいはいはい!! 困ったらすぐそうやって金の話ですか!! いいよなあ経済力ある奴隷はさあ!! すみませんねえクソニートが生きててごめんなさいねえ!! 金の話されたらどうしようもねえわ!! じゃあ今すぐ練炭買ってこいよ死んでやるからよ!! 俺に死んで欲しいんだろ親父は!!」


「すぐに卑屈になって話を変えるんじゃない! 死ぬ気もないくせに!」


 ぶち、と俺の頭の中で何かが一本切れた。

 こいつとはもう話になんねえ。最初っから、お互い同じ言語を使ってるだけで、会話になんざなってなかったが――なまじ相手の言っている言葉が判別出来る分、タチが悪い。

 俺は椅子から立ち上がって、思っクソそれを蹴っ飛ばした。


「颯太!!」


 クソ親父が何か言っていたが、俺はそれを無視して、玄関でスニーカーに履き替える。

 一秒でもこいつと顔を合わせたくもない。

 こいつの兄貴が家に来るのが明日の朝か……なら、二日ぐらいはネカフェで泊まりゃいいか。そのくらいの金は財布にある。


 ああ、別に死ぬ気はない。っつーか俺が死ぬぐらいなら、あのクソ親父をぶっ殺してから死ぬわ。殺す価値もないだろうからやんねーけど。

 とりあえず、コンビニで立ち読みでもすっかあ――










 最近のコンビニについて言いたいことが割とある。

 まず、立ち読み防止ってバカじゃねえの?

 こっちは立ち読みしに来てやってんだから、エロ本含めてフルオープンしとけよ。その代わり、立ち読みした分だけクソ安いコーヒーかお茶でも買って帰るのに。


 そういう客との信頼関係を無視して、全部の雑誌にテープ貼り付けるって、商才とか存在してねえのかって思う。

 実際、コンビニで雑誌を買う奴なんざ皆無だろ。誰の手垢が付いてるか分かったもんじゃねえし、そもそも本気出せば週刊誌程度、ネットで幾らでも発売日前に読み放題だろうが。

 他のモン買ってやるんだから、そのくらいのサービス精神を持っとけと言いたい。


 後は、深夜帯の店員の態度よ。いらっしゃいませくらい言えよ。

 レジに猿置いとく方が、まだ笑える分だけマシだわ。人の形した猿以下のカスに接客させんじゃねえ。


 結局俺は何も買わずにコンビニを出た。最初から立ち読み目的だから、まあ何か買うつもりもなかったんだが、それにしても気分が悪い。

 あのクソ親父の一件もそうだが、このコンビニも隕石落ちてぶっ潰れねえかな。

 昔は立ち読み出来たはずなのに。ああ、親父は隕石がぶち当たって入院でもすりゃ、労災下りてハッピーじゃねえの。


「……っ、ハァァー」


 深呼吸して、俺は六月特有の生ぬるい空気を取り入れた。

 不味い空気だ。ジメッとしていて、中途半端に粘ついている気がする。深夜だからそこまで暑くはないが、それでも夏は目前に迫ってるんだろう。どうでもいいけど。


 ふと、空を見上げてみる。感傷的な行動をいきなり取ったのは、周囲に誰も居ないからだ。

 狭い路地は、時間帯も相まって静まり返っている。

 見上げた空は、ケシ粒みたいな星が僅かに煌めき、他は墨で塗り潰したみたいに真っ暗だ。


 月が出てないのか、この路地は電灯がなかったら結構暗いだろう。

 不審者が出たらどうしよう、とぼんやり思ったが、多分俺が一番不審者っぽい気がする。


「ネカフェまで歩くのだりーな……」


 電車がありゃすぐだが、もう終電間際だろう。

 今から最寄り駅まで歩いても、間に合うかどうか分からない。

 そして、最寄り駅にネカフェはない。ネカフェは二駅先にある。そこまで歩くのが非常に面倒臭い。


 タクシー使いたい……が、金はそこまでない。チャリでもありゃいいが、今から家に戻ってチャリの鍵を取るわけにもいかない。


 結局、歩いていくしかないわけだ。

 ま、どうせネカフェに着いたらシャワーでも浴びて、そのまま寝るだけだから、多少歩いても別にいいんだけど――


「へ」


 ――強烈な光が、俺の全身を照らした。

 怪盗がサーチライトで全身を照らされ、思わず怯むような感じだった。


 怪盗との違いは、怪盗はその後すぐに切り替えて行動するが、俺は怯んでしまったことだろうか。

 っていうか、妙に思考がハッキリとしている。その割に、自分の身体が緩やかな……スローモーションで動いている気がする。


 俺が複数物事を考える度に、ちょっとずつ何かが迫ってきているような……。

 あ、いや、違うわ……これ。


 信じられねえけど、多分、俺、今からトラックに轢かれるわ。


 あの光は、トラックのライトだ。で、俺は、トラックの真正面に突っ立っている。

 言っとくが、俺は特に道路に飛び出たりはしていない。っつーかこの道は車両進入禁止だった気がする。もしくは、一方通行だったか。

 覚えてねえが、それでも前からトラックが突っ込んで来るような道ではない、ということだけは確かだ。


 今の俺は、恐らく走馬灯的な状態になっているのだろう。

 もうどうしようもない状況に陥っても、脳味噌が必死に生きようと足掻いている――それが走馬灯の正体だったか。漫画か何かで読んだ知識だが、どうやら間違ってもいないらしい。


 ここまで考えた辺りで、ようやく俺の全身に強い衝撃が走り、体験したこともないような浮遊感に襲われ、その瞬間俺の視界は夜空よりも真っ暗になった。



 ああ…………何だこr


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