八. 夢の惑星、望みの輪

 いつしか日が沈み始め、また気が付けばすっかり月夜が顔を出している。出掛けたのは確か朝方だっただろうか。

 寄り道による寄り道を繰り返し、まるで帰路を避けるかのように私は歩き回っていた。その行動に特に理由はない。一つ挙げるとするならば、一人になりたかったというのはあるかもしれない。


 そこそこの疲れを感じ始める頃になると、ある程度考えも落ち着いてくる。そうなると、うって代わって早く家に帰りたい気持ちだってじんわりと湧いてくるのだから、気持ちとは正直であり、そして、計り知れない。

 何度目かの角を適当に曲がったところで見知った道へと戻るように進路を変えた。帰る決心が付いたのである。


 帰宅すると直ぐに、まるで待っていたかのようにそいつが駆け寄ってきた。ミラージェンである。

 出掛けている間は眠っていたはずであるが、どうやら先に目覚めていたようだ。


「おかえりなさい」

「ああ、今戻ったぞ」


 簡単な返事だけを済ませると、私はさっさと洗面所へと向かうことにする。その後、一度はそのまま素通りするが、やっぱり途中で思い止まって一度だけそいつの頭を撫でてやることにした。


「やっぱり、遅くなりましたね」

「ああ。そういえば、暗くなっていたな」

「そういえばって、どちらかといえばもう真夜中ですけど……」


 心配しているのか、食事が遅れたことを抗議しに来ているのか。いずれにせよ、朝から何も食べていないのなら悪いことをしたと思う。

 いや……犬ならば、それでいいのか。


「すまないな。食事は直ぐに用意する」

「あ、ありがとうございます。ところで、今日は何かありましたか?」


 早く食事にありつきたいのか、私の後ろにピッタリと張り付くようについてくる。そんなにお腹が空いているのだろうか。


「いや、別に」

「なんだか素っ気ないですねぇ」

「そう思うなら、それは私ではないよ」

「と、言いますと?」

「君のほうが寂しがっていたということだろう」


 名探偵の如く指摘してやる。すると、そいつは目を真ん丸にして驚いていた。我ながら名推理だったようだ。


「なるほど」


 軽く流されるかと思っていたが、意外にも思い当たる節があったらしい。それはむしろ、自覚だろうか。

 ただ、頷かれるとなると、それはそれでいくらか決まりは悪い。考えれば、そいつは一日中部屋に籠りっきりだったのだから。


「ふぁぁ、まだ眠いです」


 前言撤回。そうだった。こいつが自分で家で寝ると言っていたのだ。

 一日中も籠るも何も、寝ているのだから関係などあろうはずがない。


「夢は見たのか?」

「ええ、見ていましたよ。昨日と同じところでしたが」


 同じということは、あの世界はまだ続いているらしい。


「夢なのに何故、皆が起きても消えないんだ?」


 一応は気にはなったので聞いてみる。考えれば考えるほど疑問な点は多い。


「さぁ? もしかしたら、精巧なレプリカのような、見た目だけ同じような夢なのかもしれませんよ」

「さっき同じと言っていたが?」

「嫌だなぁ。そんなの言葉の綾ですよ。同じかどうかなんて、そんなことは私には分かりませんもの」


 確かに、夢なんてそんなものかもしれない。証明できる手段が現実にはないわけだ。若干の言い逃れのような態度だけはいただけないが、それが嘘だと決めつけるにも確信はない。

 私はにこやかなミラージェンから目を逸らすと、さっさと服を着替えることにする。家では部屋着でいたいからだ。


 そんな時、不意に携帯端末が震え始める。短時間の振動なので、電話ではなさそうだ。メッセージだろうか。

 普段ならば直ぐに確認することなどそうそうないが、今回に至ってはどういう訳かそれが気になって落ち着かない。急ぐように端末を開くと、直ぐに私はそこに書かれた内容に目を通していた。


 ──今日はありがとう。とても有意義な時間を過ごすことができた気がします。後日、忘れ物をお返ししたいので、都合の良い日を教えてください。茉護


 表示された表記に思わず黙り込む。宛先のアドレに覚えはないが……おそらくそうだ。


 ──たぶん、あの女性だろうな。


 今日会った人物といえば、限られている。そして、こちらの登録にないアドレスとなると、心当たりはそれくらいだ。しかし……。

 私はディスプレイに映る文字に首をひねる。


 ──“茉護”とは、どう読むのだろう。

 名字か? それとも名前か? 違う気もするが、“まつご”とでも読むのだろうか。


 気が付けば、私は子供のように必死に試行錯誤を繰り返している。解けないパズルのピースを一つひとつ照らし合わせるようで楽しかった。

 しかし、そんな時間も長くは続かない。直ぐに粘ったい視線を肌に感じ、一気に現実へと引き戻された。……これもこれで夢みたいなものではあるのだが。


「……楽しそうですねぇ」

「……私にだって、そういう日はある」


 隠すように端末を伏せると、しっしっとそいつを追い払う。


「はいはい。でもその前に、食事の準備はお願いしますよ」


 面倒くさそうにそれだけ言うと、邪魔者は大きな欠伸を残して離れていった。ふあぁぁ……と余韻を残しながらの退場である。

 去っていく背中を見送った後、もう一度メッセージに目を落とす。その場で何か返信しようと思いしばらくは画面に指を這わせるが、特に思い付くこともなく、結局は黙ってそのまま端末を閉じた。


 ──忘れ物……か。


 とりあえず、可愛いペットの食事でも用意してやろう。返信はそれからでも遅くはあるまい。

 結局私が返信したのは、それからしばらく経ってからだった。


 ◇


 そろそろ夢へと旅立つ時間になっているが、そんな気分にはなかなかなれなかった。朝は気になって仕方がなかったというのに、時間が経てば不思議なものである。


 ──少し、夜更かしをしてみるか。


 誰に言うでもなく呟いてみた。とはいえ、やりたいことも特にないので、手元の端末を適当に操作しては開いて閉じてを繰り返している。そうだ、小説でも書いてみようか。

 馴染みのノートアプリを起動させると、すぐに書きかけの文章が呼び出される。ささやかな私の世界だ。


 そんな夢の世界へ、いざ飛び込もうというときに、端末が新たなメッセージを受信する。相手は……。

 確認を後にするかを迷うが、やっぱり少し気にかかるのでつい手を伸ばしてしまう。


 ──まだ、起きていますか? 実は眠れなくて……。良ければ少しの間、お話でもしませんか? 


 話? 私と? 特に話すことなどないように思うのだが。

 そう思うものの、やっぱり連絡をしてしまう。


 ──電話ができるなら、構わない。


 すると、少しの間の後に端末が震え始める。知らぬ番号からの呼び出しのようだが、おそらくは件の茉護だろう。

 数秒の後、私は電話に応じた。


「もしもし、柑名だ」

「もしもし、寝ていたのならごめんなさい」


 どことなく少し眠そうな声を耳が拾う。ひょっとすると、彼女のほうこそ寝ていたのかもしれない。

 私の声を聞くと、安心したかのように短い溜息をつくのがわかった。私が教えたとはいえ、初めてかける番号なのだからそれも仕方がないのだろう。


「いや、小説を書こうと思っていた。それで話とはなんだろうか?」

「何でもいいわ。……ねぇ、小説を書いているの?」


 答えるか迷うが、先の自分の台詞をを思い出す。……言っていたな。


「ああ。人に言えるような話は書いていないが」

「どんな話?」

「聞いてもいいことはないぞ」

「え? もしかして本当に、そんな……?」


 何故か、電話の相手が良からぬことを考えているような気配を感じ、渋々話すことを決める。


「よくある話だ。小さな星の男の子と女の子の話だ」

「それは、どういう話?」

「読めばわかる」

「読めるの?」

「もちろん。公開はしていないが」

「もうっ!」


 そんな他愛もない話をしていると、少しだけなら話してもいいだろうという気持ちになってきた。

 全くの初対面ではないとはいえ、幾分か構えてしまっているところはあったので、互いにいい準備運動となったようだ。


「夢多き少年がいた。彼は毎日、夢で何かになっていた」


 私が話始めると、彼女は黙ってそれに耳を傾けてくれる。


「彼には好きな少女がいた。しかし、彼女は夢を見たことがなかった」

「彼はくる日もくる日も自分の夢を彼女に語った。たぶん、少しでも夢の素晴らしさを伝えたかったのだろうな」


 微かに頷くような声を聞きながら、私はそのまま話を続けた。


「それでも、彼女は夢を見ようとはしなかった。何故だと思う?」

「見たことがないのだから見方がわからなかったのかしら?」


 なるほど。人の意見とは聞いてみるものだ。

 それは、思ってもみない角度からの感想だった。


「そうかもしれないが、彼女がそれで満足していたからだと私は思った」

「満足?」

「そう、毎日のように夢を語る彼を見ることが、彼女にとってはそれこそ夢のような出来事だったからだ」

「とても優しい物語ね」

「ああ。そんな彼もいつかは夢を見なくなってしまうが」


 優しい物語は好きだ。本当のことを言えば、登場人物には辛い思いをさせたいとは思わない。ただ幸せに過ごして欲しい。


「……どういうこと?」

「続きはまた今度にしよう」


 一旦話を打ち切ると、一息ついた。


「続き、気になるわ」


 尚も続きをねだる彼女に、まるで本を閉じるかのように話を打ち切る。

 理由は色々あるが、区切りに思えたからだ。


「……結末は決まっているの?」

「どうだろうな。考えてはいるよ」


 その答えに満足したのかはわからないが、それ以上はもう何も言ってはこなかった。

 しばらく無言が続き、段々と寝息のような音が聞こえ始める。彼女はもう眠ってしまったのかもしれない。


 思えば、小説の話を誰かにしたのは、初めてのことだった。そっと通話を切ると、しばらくそのまま余韻に浸る。

 しばらくすると、端末がまた新たなメッセージを受信していた。


 ──おやすみなさい。


 ちらりと目を向けると、ディスプレイにはそんな文字が並んでいる。

 

 ──おやすみ。


 さぁ、旅立つにはそろそろが頃合いなのかもしれない。

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誘うは夢の国、ミラージェン 山岡流手 @colte

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