第16話:閻浮提の境界

 華々しい未来を夢に見て、果敢に登用試験を潜り抜けて来たへ――看葉奈は一切の脚色をせず、「閻魔たる所以」を語り終えた。


 不安こそあれども、つい先程まで期待に満ちた表情が目立った後輩達は……一人として、笑む者はいなかった。


 彼女達は友人から、部活動の先輩から、風の噂で聴いていた。


 閻魔と呼ばれる二年生がいる。


 その二年生は賀留多の腕は勿論の事、一切の感情を《札問い》に持ち込まない、感情が備わっていない女である。しかし常に微笑みを絶やさず、誰に対しても礼儀正しい好人物である、と。


 閻魔――斗路看葉奈の壮絶な過去を、本人の口から聞き知った後輩達は、今や大半が「自身にも起こり得る事」として捉え、青ざめた頬に冷や汗を垂らした。


 そして、皆は悟った。


 感情が備わっていないのでは無く、捨てざるを得なかった。慇懃な言動はそのまま城壁となり、壁の向こうでは弱々しい「少女」が震えている……という事を。


「……この話を、するか否かを私は大変悩みました。結果、私は私が犯した失態、癒えぬ過去の傷を有り体にお話致しました。たった一点、小指程の脚色を混ぜてしまえば、それはそのまま皆様を欺く忌手イカサマと化してしまいます。正直に申し上げまして、目付役とはです。やり甲斐などという言葉で誤魔化せるのなら、初めから目付役など不要で御座います」


 お考え下さいませ――看葉奈は張りのある声で続けた。


「これより配られる記章は、決して楽しげに輝く金バッジでは無く、鋼鉄の意志を貫くという皆様の『決意』で御座います。今も座っています壁際の方々は、皆が――」


 鉄の衣を纏う、百戦錬磨の猛者達です。


 看葉奈は一同を見渡し、全員の視線が自分に向いている事を確認する。


「再三お願い致します。どうかお考え下さいませ、皆様は現在、閻浮提の境界に立たれております」




 かくして、第五〇回目付役登用式は終了となった。


 係の生徒は古めかしい木箱を開き、問題の記章を……鬱々とした表情の新人達に配り始める。「ありがとうございます」と一応は礼をするものの、殆どの生徒は手の平で輝くバッジを、何か忌避物でも見るかのような目で眺めた。


「いやぁ、ヤバいねぇあの人」


 記章を弄ぶ山近。彼女の隣で――四方堂澄乃は記章を見つめている。


 怯えるというよりは、何処か侮蔑するような目付きに山近は気付いた。


「うん? 怖くなっちゃったの、?」


「まさか。……というより、何故私をしーちゃんなどと……」


 渾名だよ渾名! 山近は笑った。


「これから仲良くしていくに当たって、渾名で呼んだ方が良いじゃん? そっちは『しーちゃん』、私は『みーちゃん』! センス良くない?」


「全く」


 四方堂は席を立つと、足早に会場を立ち去ろうとする。山近も慌てて後を追い、「どうする、これ……」などと弱音を吐く生徒達の傍を駆け抜けた。「私は返す」と早くも決断した言葉が聞こえた。


「足速いなぁしーちゃんは!」


 クルリと振り返り、「その渾名を止めて下さい!」と四方堂が言った。


「言ったでしょう、距離感を掴めない人は嫌いだって! ハッキリ言いますけど、私にとって貴女は邪魔なんですよ!」


「邪魔? これから何かするの?」


 四方堂の眉が微かに動く。微動を見逃さなかった山近は更に距離を詰め、「てかさぁ」と小首を傾げた。


「しーちゃん、さっき……バッジ見てたじゃん?」


「だから? だから何だと――」


?」


 廊下の奥で「さようなら」と声がした。続いて男性教員の「気を付けて帰れよ」という返事が響く。


「嬉しくない訳ありません。一応は勉強をして、面接までして手に入れたのですからね」


 おかしいなぁ――山近は続けた。


「嬉しいなら、あんな目付きするかなぁ?」


「……癖です。それに、多少の恐怖もあります。筆頭目付役のお話を貴女は聴いていなかったのですか?」


 恐怖ぅ? 山近は不満げに言った。


「うっそだぁ、そんなのぉ。さっき『怖くない』って言ったじゃーん!」


「あぁもう、面倒臭い人ですね貴女は! 何が目的なんですか一体!」


「目的はねぇ、しーちゃんと仲良くなる事!」


 脳天気な笑みを浮かべる山近に、心底呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる四方堂。彼女が深い溜息を吐いた瞬間、山近は「それともう一つ」と笑った。


「……あっ、あぁ、いやぁどうかなぁ、これは……流石にかなぁ」


 おおよそ似合わない歯切れの悪さに、四方堂は幸か不幸か――興味を持ってしまった。


「充分に引いていますけど、他に何があるというのですか」


 しかし山近は即答せず、「ちょっとなぁ」と眉をひそめるばかりだった。周囲を気にしている素振りを見せる山近に、四方堂は「言いにくいなら」と続けた。


「……場所を変えても良いですけど」


 その提案に山近は「本当?」と食い付く。


「ありがたいなぁ……でも、本当に引かない? 『ヤバい女だなぁ』って思われたら悲しいもん」


 だったら大丈夫ですね――四方堂は溜息を吐いた。


「もう思っていますから安心して下さい」




 一七時半を少し回った頃。


 看葉奈は一人で会計部室に残り、柊子から貰ったグリーンルイボスティーを静かに飲んでいた。温みを持つカップに触れる度、新人達に語った「過去」がソッと肩に触れてくる気がした。


 唇に触れ、口内へ流れ込み、喉元を緩やかに過ぎて行く美味の液体が……今日だけは刺々しく感じられた。


 スマートフォンを取り出す看葉奈。いつの日か教室で撮影された、柊子と史氷のツーショットが表示される。対極的な二人の笑顔は、しかし同様の「癒し」を看葉奈にもたらした。


 刹那――背筋に伝わる強烈な冷気に、看葉奈は思わず身体を震わせた。


 すぐに窓を見やる。ほんの少しだけ開いた隙間から、無遠慮に吹き込む北風のせいらしかった。


「戸締まりはしなさいと言ったのに……」


 困り笑いを浮かべて窓に近付く看葉奈は、そのまま校門の方をボンヤリと眺めた。空は暗く、重たげな雲は少しでも突けば、すぐに雪が降り出しそうな色をしている。


 看葉奈は校門を潜る二人の少女を認めた。


 この時間だと、もしかすると「後輩達」かしら……。


 どうか、私の体験談に負けぬ程の強者に――看葉奈は目を閉じ、記章を持ったままの「後輩達」の為に祈った。


 やがてスマートフォンが鳴り出す。柊子からの電話だった。


「もしもし。えぇ、お疲れ様です。……あらまぁ、それは是非行かなくてはなりませんね……えぇ、では後程……はい、はい――」

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