第15話:女達の友情

「お前、最低だね。正直引くわ、そこまでして勝ちたいの?」


 鉛のように重たい空気で満ちた、四階空き教室の中――大守は心底蔑むような目で、黙り込む宝井を見下ろした。


 座布団の上に置かれた手札は、つい数秒前に宝井から看葉奈がものである。


 一つの異常が起きていた。


 宝井が回って来た手番より、。恐らくは――看葉奈に忌手イカサマが看破される前に、「余った一枚」を袖口に滑り込ませようと画策していたのだろう。


 全ては――無意味であったのだが。


「……違う」


 蚊の鳴くような声で宝井が言った。


「は?」


「……最初から、一枚多かった」


 そのような訳が無い……看葉奈は言おうとして、しかし、止めた。彼女の不手際は無かったという事を、大守が代わって証明してくれた。


「ふーん。《八八花》ってあるんだ」


 大守は座布団の上に置かれた札を集め、手早く計数した。宝井の顔色は悪くなる一方で、自身の手元を病的な目付きで見下ろしていた。


「本当だ、お前の言う通り……四九枚あるね。しかも、《桐のカス》は四枚かぁ」


 嘗めんじゃねぇよ――大守は札を宝井に投げ付けた。力任せに飛んで行く硬い札は、宝井の顔面に傷を作った。


「そりゃあさ、《札問い》はお互いに認めれば、忌手イカサマはお咎め無しってぐらい知っているけどさ。そんな馬鹿、何処の世界にいるの?」


 硬直する看葉奈の方を振り返り、大守は「ごめんね」と申し訳無さそうに言った。


「こんな茶番に付き合わせちゃって……まぁ、こんな女は部活辞めて貰うけど、《金花会》的にはどうなるの? やっぱり追放? 花石も支給停止かな?」


「…………本件は持ち帰りまして、部内会議にて決定致します」


 そっか――大守はサッパリとした表情を浮かべ、宝井の耳元で……猫撫で声で囁いた。


「さようなら、卑怯者さん」


 真犯人――大守が廊下を歩き去って行く足音は、看葉奈の胸を荒々しく締め付けた。床に散らばった札を集めない訳にもいかず、看葉奈は黙したままの宝井の傍を、何度も行き来した。


 終わったら、ここに記入して持って来てね。


 福丸から受け取った結果表には、次のような事象を書き込み、あるいは選択する欄があった。


・実施日時

・担当者名

・当事者人数、また氏名

・行った技法

・勝敗

・発生した特別な細則

・忌手の発覚の有無


 私は、最下段に丸を付けるんだ。「有」の方へ――。


 頭に記入欄が浮かび、質量を持ち……のし掛かって来る気がした看葉奈は、胸が支えるような感覚に襲われた。


 一枚一枚拾い上げ、やがて四枚目の《桐のカス》を手にした看葉奈は、ポケットにソッと忍ばせた。「忌手イカサマに使用された道具類は押収する事」と決められていた。


 全ての回収を終えた看葉奈は、ふと宝井の方を見やった。


「――っ」


 一言も口を開かず、しかし宝井はずっと――看葉奈を見つめていたのである。


 涙を浮かべる訳でも無く、怒りに打ち震えもせず、悔恨に歯を食い縛る事もしない。


 まるで看葉奈を、何か自然物であるかのように……唯、眺めていた。


「……ご、ごめんなさい」


 どうして私は謝ったのだろう。看葉奈は即座に思い、また謝罪は全くの悪手である事を悟った。


 謝るべきは宝井の方であった。「無駄な心配を掛けてごめんなさい」と頭を下げるべきだった。


 看葉奈を見つめる双眼に――不気味な沈着を湛えてはいけなかった。


「私、めっ……目付役だから……」


「知っている」


 宝井の声は、何故か看葉奈の背筋に冷感を与える。


「……眞子が、い、忌手イカサマのせいで……」


、どうなると思ったの」


 見つめ合う二人の間に――幼馴染みの親愛は少しも無かった。


「私に不幸が起きると思ったの」


 看葉奈は震えながら頷いた。その刹那……宝井は立ち上がり――。


「きゃっ……」


 看葉奈の頬を思い切りに叩いた。倒れ込み、目を見開いて頬を抑える彼女に、宝井は肩を震わせて叫んだ。


「もう起きているんだって。もう、どうしようも無い不幸は起きているの! 誰のせいだと思うの? 看葉奈、なんだよ!?」


 宝井は泣いていた。ポロポロと顎先から落ちる涙は、セーターに黒い染みを次々と生んでいく。


「目付役だから? 目付役だから友達の不幸だって気にならないんだ? ルールが守られるなら打ち手の事はどうでもいいんだ!? 逃げる事も出来ない、弁解も許されなかった私が唯一……唯一頼れる《札問い》で! 看葉奈は! 私にトドメを刺したんだ!」


 看葉奈の胸ぐらを掴み、宝井は憎悪を込めた目で「幼馴染み」を睨め付けた。


「大守が悪いのに、私は全く悪く無いのに! これからずーっと虐められるんだよ、私は! ! 誰が守ってくれるの、どうしたら私は平和に過ごせるの? 教えてよ、責任持ってよ、看葉奈が何とかしなさいよっ!」


 泣き喚き、訴える宝井は続けた。


「もう……友達でも何でも無い。二度と、私に話し掛けないで! その方がアンタだって嬉しいでしょ!? 立派な目付役さんだもんね、曲がった事が大嫌いな、融通の利かない目付役さんだからね! アンタなんか、アンタなんか――」




 昔のまま、泣き虫のままでいれば良かったんだ。




 言い切り、宝井は教室を出て行った。遠くから「いたいた」「連れて行こうよ」と嘲るような複数の声が聞こえた。


 それから看葉奈は立ち上がり、結果表に「全て」を書き記した後、福丸の下へ向かった。他の目付役や会計部員は帰還した看葉奈の「変質」を悟ったのか、神妙そうに見つめるだけだった。


 福丸は受取って看葉奈の顔を見つめ、「お疲れ様」と肩を叩いた。


「後の処理はやっておく。今日は帰りなさい」


 普段ならば、看葉奈は「私にやらせて下さい」と食い下がるのだが……この日は素直に頷き、「よろしくお願い致します」と一礼して部室を後にした。


 鞄を置いていたんだ――看葉奈はボンヤリと思い出し、教室へと向かった。照明が消えているはずの教室は煌々と輝き、中から笑い声や怒るような声が聞こえた。柊子と史氷だった。


 彼女の足音で気付いたのか、柊子達は「待っていたのよぉ」「お疲れ様ですわ」と口々に言った。


「……まだ、帰っていなかったのですか」


「うん、帰ろうって話したんだけどねぇ? そのぉ……やっぱりは待っていようって決めた訳なのよぉ」


「どうせ帰っても暇ですし、私の創作技法を試す事になった訳ですの! それが何ですか! この女は『冗長で駄目』『下らない』『高目の方がマシ』だなんて宣うんですわよ!」


「そうそう、早くみーちゃん帰って来ないかなって思ったのよぉ。試す技法試す技法ぜーんぶ、クソも面白くないんだから」


「クソって、そんな汚い言葉で私の可愛い技法を馬鹿にしないで貰えます!?」


「いやぁもう、クソ中のクソよぉ? それにぃ、ちゃんと改善点も教えたじゃない?」


「あぁ、また言った! 改善点って何ですか、まさか罵倒の数々が改善点って意味じゃ……?」


 アングリと口を開けた史氷。柊子は彼女に倣って看葉奈の方を見やり……。


「ちょ、ちょっと……みーちゃん?」


 どうして泣いているのよ――柊子は酷く狼狽し、史氷もオロオロと立ち上がった。


「何? 史氷ちゃんの話が下らないから……?」


「黙りなさい! 斗路さん、訳を話して欲しいのですわ……嫌な事があったのね?」


 フルフルとかぶりを振った看葉奈。しかし嗚咽は止まず、「うっ、うぅ……」と何度も袖で涙を拭っては、更に泣き濡れてしまう。


「ごっ……ごめんなさい……わ、訳は言いたくなくて……あの、あの……今日、今日だけ……このまま、泣いても良いですか……」




 何かが起きたんだ。《札問い》で何かが――彼女を傷付けたのだ。




 柊子と史氷は見つめ、そのように視線で確認し合ったのだろう。


 史氷が椅子を持って来ると、ソッと看葉奈を座らせた。柊子は優しく看葉奈の頭を胸に抱き留め、「勿論」と囁いた。


「みーちゃんが満足するまで、私達は朝までだって……貴女に付き合うわ」


 小柄な史氷でも背伸びする必要が無い位置に、看葉奈の頭がある。「当たり前ですわ」と力強く言い切り、しかし手はゆっくりと……震える頭を撫でていた。


「斗路さん。……嫌な事が、とっても辛い事があったのですね」


 うん、うんと看葉奈は頷いた。自分を飾る事もせず、我が儘な子供のように……頷いた。


 声を押し殺し、しゃくり上げるように泣く親友を――柊子は「頑張ったわね」と、頭に頬擦りをする。


「何があったのか、私達はあえて訊かないわよ」


 絶対に理由を尋ねられる――看葉奈は覚悟していた為に、驚嘆の余り顔を上げてしまった。涙と鼻水に濡れた顔面を、しかし柊子と史氷は決して笑わなかった。


 史氷が真剣な表情で言った。


「噛み締めるのですわ、これが――」


 柊子が続けた。


「友情、ってものよ」


 寸刻を置かず、看葉奈は柊子と史氷を纏めて抱き締め、ワンワンと泣き出した。堰を切ったように泣き続ける看葉奈を……二人のは顔を見合わせ、ニッコリと笑った。


「決まったわねぇ」


「決まりましたわ!」




 それから……三人は警備員に促されるまで教室に居座り、学校を出てからも日付が変わるまで……公園で「取り留めない事」を語り明かしたのである。


 あえて核心に触れぬ優しさがある――看葉奈は学び、自らの信条とした日の事であった。

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