第14話:閻魔道

《札問い》文化は、全く高校生活に相応しく無い、不健全で暴力的な手段である。成人までの限られた、大いなる精神的成長を見込める実に有益な期間に、何故かのように他人任せで、不純な儀式を乱用するのか。


 どちらも正しく、どちらも血に通った正義をぶつけ合わせたとしたら?


 少しだけ凪いだ風が作り出す荒波に、運悪く飲まれた方が悪なのだろうか?


 私は解せない。断じて解せない。賀留多は人間の運命を司る程に神聖でも、悪辣でも無い。賀留多は唯、人間を楽しませる為に生を受けただけである。


 賀留多に神性を与えてはならぬ。


 徒に何かを神性化する者は、その時点で醜悪極まりない冒涜行為に手を染めていると知るべきだ。


 私は、私を批判する生徒達に告ぐ。


 必ずや――穢れた聖壇から、賀留多を取り返す事を私は誓う。


 私は、私という人間がいた事を後世で知る生徒達に告ぐ。


 赦して欲しい――悍ましき文化が、未だに続いているのなら。




 上記の文は、初めて《札問い》の文化に異を唱えた女子生徒が、自身の精神に賛同してくれるであろう後輩達へ向けた「決起文」である。


 名を久井可奈子くいかなこ。彼女は一年生の頃より撤廃運動を開始し、一時は全生徒の五分の一に当たる賛同者を集めた。しかしながら久井が三年生の六月、突然に運動の中止を宣言。生徒達は「生徒会に買収されたのでは」と彼女を誹り、苛烈な虐めを繰り返した。


 だが久井は決して学校を休まず、反撃もせず、劇的な青春を過ごした花ヶ岡を卒業していった。


 何故、久井可奈子は撤廃運動を中止したのか。


 何故、久井可奈子は何も語らず卒業していったのか。


 全ては花ヶ岡の歴史に埋もれてしまい、当時の様子を記した書類の一つも残っていなかった。


 何もかもが――闇に葬られたのである。


 花ヶ岡の長い歴史を紐解くと、幾度も「札問いの撤廃」を扇動する生徒が出現したのは紛れも無い事実である。生徒達は全て「久井可奈子」という謎の生徒が残した決起文を何らかの形で見付け、燻っていた《札問い》への疑念を爆発させたのである。


 花ヶ岡高校に通う生徒達全員が、揃って《札問い》の文化を受け入れている訳では無い――時代は違えど、扇動者は声を揃えてこう言った。


 賀留多をするべきだ、と。




「はは、やっぱりお前が悪いって事じゃない? 文数差が教えてくれてんじゃん」


 宝井を嗤う上級生――大守おおもりは、看葉奈の記す各月獲得文数表を指差した。


 採用技法は《こいこい》、一二ヶ月戦というオーソドックスなものだった。


 水無月の時点で、宝井は二文。一方の大守は五六文という……実にもの差が生まれていた。


 私を助けて――宝井にそう訴えられた看葉奈は、しかしながら何も出来ずにいた。否、何もしてはいけなかった。


 宝井の言う通り、彼女の打ち筋は何とも粗末なもので、徒に高得点を目掛け、足下の地雷も気にせず突っ走るだけであった。


 部費を盗んだ張本人、大守は腹立たしい程に「正統派」で、そつなく出来役を育てている内に、勝手に死んでしまう宝井の亡骸を肥料にし、結果として赤い大輪の花が咲く……という流れが生まれている。


 そして――大守が獲得した文は、全てがを経ていた。「ズル」を画策する宝井と違い、彼女は危険な橋を渡る必要が無い程に――強かった。


 開いていく文数差など構いもせず、場は文月戦へと突入する。


 重苦しい雰囲気の中で看葉奈が札を切り混ぜていると、首の辺りが苦しくなるような……負の感情で溢れた視線に気付いた。宝井が看葉奈を見つめていた。


 一瞬だけ、看葉奈は彼女の方を見やる。


 宝井の目線が……ほんの少し、上下した。


 途端に看葉奈の身体は、雪を被ったような悪寒に包まれた。




 いけない! 眞子、絶対に駄目、絶対に絶対に――忌手イカサマを使ったら駄目!




 当然、声に出す訳にもジェスチャーで訴える訳にもいかない。彼女が札を混ぜている間も、大守は二人の間に「不純な関係」が無いか探っているように思えた。


 札を配る間、看葉奈は大守の隙を突いて(突いている、と仮定して)、顔色の悪い宝井を何度も視線で諫めた。


 止めなさい、眞子の為にならないから――。


 心中で呟き、ふと……看葉奈は思った。




 眞子の為、って何? 眞子の利益、って何?


 認める事? 見過ごす事? ――目を瞑る事?




「目付役さん? 場札、九枚になっているよ?」


「あっ……申し訳ありません! 配り直します」


 大失態である。看葉奈の顔面は火のように熱くなったが、大守は「頼むよー」と笑うだけだった。


 そしてこの時――宝井は右手を軽く動かした。


 袖に仕込んだ札が……彼女の右手にソッと降りて来た。


 当然ながら、宝井の愚行に気付かぬ程――看葉奈の双眼は鈍くない。


 余りに、余りにも稚拙な忌手イカサマであった。


 通常、《札問い》で使用される札は購買部でも入手出来る廉価なものが多い。打ち手から特別に頼まれたり、担当の目付役が「極高水準の公平性を保つべき」と判断でもしない限り、品質はごく普通、言うなれば――である。


 故に――宝井が右手に仕込む札の質によって、罪が明るみに出る事は無い。無いが……の札を使用するリスクを、宝井は知らなかった。


《こいこい》では互いの手札一六枚に場札が八枚、加えて両者が起こす一六枚……合計四〇枚、実にの札が明らかとなる。


 六分の一という低確率を、それも忌手イカサマに馴れていない宝井の技術、胆力を以てして上手に利用し、更に五四文差を覆す事は……。


 無理である。


 しかし、宝井はだった。


 至極簡単な確率の計算すらせず、まるで看葉奈が「何とかしてくれる」ような行動に踏み込ませたのは、宝井がそれ程までに追い込まれている証左である。


 せめて、札を、私が気付かないぐらいに眞子が――禁忌的思考は看葉奈を蝕んでいく。


 ようやく配り終えた札を打ち手が手に取り、文月戦が開始と相成った。


 パシリ、パシリと打たれる札の音が何度も頭の中で反響するようだった。


 尾を引くような音の歪みに、看葉奈は眉をひそめたくて仕方無かった。三手目、大守は起き札で《桐に鳳凰》を引き当てる。


 宝井は手札を眺め(左右に視線が激しく動いた)、それから――廊下の方を睨め付けた。


「え、何?」


 視線誘導。忌手イカサマの成功確率を上げる、初歩的手段の一つだった。釣られてしまった大守は宝井に倣い、廊下の方を一瞥する。


 看葉奈は痛みを覚えた。


 眼球の奥、胸の奥、腹の奥……全身の内奥が滅茶苦茶に掻き毟られるように、鋭く、しかし鈍く、失神と覚醒を繰り返すような痛み。


 宝井の右手が伸びて行く。一直線に《桐に鳳凰》を目指す手、その中には、恐らくはの《桐のカス》が仕込まれているに違い無い。取り札の《桜に幕》《芒に月》を合わせ、《三光》に仕立てて逆襲に転じようとしていた。


 無謀、無策、無益、無茶、無知。


 宝井眞子の背後には、生物の生存を許さない激流が横たわる。


 背には激流、前には圧倒的戦力を持った大守。自殺よりは、と宝井が選択した道が……幼稚極まりない忌手イカサマであった。


《桐に鳳凰》を掴み、ゆっくりと戻って行く宝井の手。看葉奈の視界は明滅を繰り返し、強い頭痛に加えて、が鮮明に蘇る。


 彼女には何も無い。何も無いからこそ「有」を求めるのであり、そして……その「有」は決して届かず――。




「っ…………? み……は、な……? い、痛いよ……? 手……離して……」




 五歳の春。近所の公園で大切なキーホルダーを無くし、一人泣いていた看葉奈に声を掛け、夕暮れまで探してくれたのが宝井だった。


 結局キーホルダーは見付からず、看葉奈は情け無さと申し訳無さで再び泣いてしまう。その時、宝井は明るく笑い、ポケットの中を探し始めた。


「泣かないで! 私ね、可愛いやつ持っているんだ、二個あるから、一個あげる!」


「で、でも……」


「気にしないでよ! ねぇねぇ、お友達になろうよ、私、眞子って言うんだ。貴女は?」


「み。みは……な……」


「看葉奈って言うの? 可愛い名前だね! この近くに住んでいるの? 明日遊ぼうよ、昨日ね、私引っ越して来たばかりだから、探検ごっこしようよ!」


 はい! 宝井は涙を拭う看葉奈に手を差し伸べた。


「友達の握手!」


 看葉奈はモジモジと手を差し出し、照れ笑いを浮かべながら……宝井の手を握った。




 今、看葉奈は宝井の腕を握っている。


 友情を確かめ合う為でも無く、触れ合いを求めた訳でも無い。


「あれっ、目付役さん……どしたの?」


 フルフルと宝井がかぶりを振った。彼女の唇が三度、微かに動いた。


 や、め、て。


「…………眞子」


 看葉奈は口にした。


 友を殺す一言を。


「手札を此方に」

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