第10話:関門
柔らかな綿雪が、曇天の天上より揺れ落ちて来る一一月下旬。
花ヶ岡高校二階の大多目的教室には、学年を問わず大量の生徒が着席し、ザワザワと近くの者と耳打ちをした。しかし……緊張を解す為の耳打ちをするのは「中央の座席」に座る生徒だけで、そこを囲むように着席する生徒達は皆――。
初々しい妹達を見つめるような、温かく庇護的な眼差しを……囁き合う者達へ向けていた。
「ねぇねぇ……」
中央、前から三列目に座る少女は、隣り合う生徒に喋り掛けた。
「何か?」
酷く迷惑そうな横顔は、ジッと前方を見つめたままだ。「第五〇回目付役登用式」と筆で書かれた垂れ幕は、彼女の視線を惹き付けて止まない。
「何年生? 私は一年生なんだけど……」
「貴女と同じです。上履きを見たら分かりますよね」
ありゃ、本当だ――気恥ずかしそうに微笑む少女は、「私、二組の
伸びて来た手を一瞥し、ペコリと目礼だけをする少女。「握ってよぉ」と不満げに山近は言った。
「まぁ良いけどさぁ……それで、ええと、貴女の名前は? ごめんね、あんまり他のクラスの子と知り合わないからさ」
五月蠅いなぁ、とでも言いたげな少女はチラリと山近を見やり、「……うどう」と小さな声で答える。周囲の雑音が彼女の名乗りを吸い取ってしまった。
「えっ? う、どう?」
「
へぇー……山近の吐息混じりな感嘆は、しかし四方堂の表情を綻ばせる事は無い。
「珍しい名字だねぇ? 格好良いなぁ。私なんかさ、すぐに『チカミチ、チカミチ』ってヘンテコな略し方されるもんね」
なおも山近は「お近付きの印って事でさ」と、鬱陶しそうに俯く四方堂の肩を叩いた。
「これから先、私達は《目付役》として、切磋琢磨していく仲って事じゃん?」
「……一人で切磋琢磨して下さい」
「水臭い事は言わないでよぉ」
山近はケラケラ笑い、四方堂の柔らかな頬を突いた。ジロリと横目で睨め付ける四方堂は、懸命に絞り出したような低い声で威嚇した。
「貴女のように、距離感を掴めない人は嫌いです」
だが……山近は悲しむどころか満面の笑みを浮かべ、「大丈夫!」と親指を立てた。
「マイナスから始まる友情もあるよ!」
何なんだ、この女は――眉をひそめる四方堂の顔に文字が浮かぶとしたら、これ以外に相応しいものは無かった。
途端に、教室内のうねるようなざわめきが消えた。左奥の司会席に女子生徒が向かったからだ。
コホン……とその生徒は咳払いを一つ、それからマイクを開手で二度叩いた。
「定刻になりました。唯今より、金花会主催による、第五〇回、目付役登用式を執り行います」
登用式は至って普遍的な、悪く言えば面白味の無いものであった。
最初に金花会の活動内容(登用試験を合格した生徒達にとって、最早暗示であった)、次に目付役としての心得(これも聞き飽きたものだ)、続いて礼節を欠いてはいけぬという忠告(この辺りで山近は欠伸をしてしまった)……。
「基本的な事ばかりだね」
ヒソヒソと耳打ちしてきた山近に、「シッ」と人差し指を口元に当てた四方堂。
「それでは、次に筆頭目付役からの訓辞を頂きます。どうぞ、御登壇下さい」
音も無く立ち上がる女子生徒は、微笑を湛えながら「ひよっこ目付役」達の前に向かい、「ご紹介に預かりました」と淑やかな声で言った。
「二年生、筆頭目付役を務めます――斗路看葉奈と申します。皆様とは、打ち場や面接試験でお会いした事と思いますが、今一度、この場を借りまして、私からご挨拶させて頂きます」
初めに……看葉奈は新人達を見渡し、笑みを絶やさずに続けた。
「本日、この教室を出た瞬間から……皆様は正式な《目付役》で御座います。花ヶ岡高生たる礼節、言動は勿論の事、あらゆる闘技の場において絶対平等かつ、鋼鉄の公正さを保つ事を、皆様は誓う事になるのです」
全員の顔を憶えるように、ゆっくりと視線を右左に動かす看葉奈。
「言葉にするのは簡単です。誰でも可能、いいえ、出来ない者は御座いません。しかしながら……実行に移す事の難しさたるや、皆様の想像をいとも容易く超えてしまいます。ここで一つ、私がまだ、目付役に成ったばかりのお話を致しましょう」
遠い昔に語られた神話を思い出すような――何処か憂うような看葉奈の目は、「煌びやかで楽しげな目付役」に憧れる新人達を見つめた。
「……お聴きになって、『自分には向いていない』とお考えになる方がいらっしゃると思います。ある意味で――その方は正しいのです。登用式の終了前に、金花会の記章をお渡し致しますが、もし、目付役を降りたいという方は、会計部室横のポストに入れて下さいませ」
勿論――看葉奈は頷いた。
「降りたからといって、打ち場を出入り禁止にされたり、花石の支給を止めたりという事は絶対に御座いません。皆様、どうかお考え下さい。何人も、私は見て参りました。目付役の重責に堪え切れず、泣きながら記章を返しに来た方を……」
少しだけ、看葉奈の表情に暗色が差した。
「よくお聴き下さいませ。このお話は、私が『閻魔』と呼ばれる所以に御座います――」
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