第8話:善に強き者は……

 恐ろしく手厳しい萬代百花の助言を受け、見事に「目付役とは何たるか」を少しだけ悟った看葉奈は、目付役登用試験まで一週間を切った頃……。


「ねぇ、みーちゃん?」


「はい、何で御座いましょう?」


 製菓部から強奪して来たきんつばを食べる柊子は、珍しい動物でも見るかのように看葉奈を覗き込んだ。


「何だか……変わったわね?」


 いえいえ……看葉奈はニッコリと笑み、読んでいた『めざせ! 素敵な目付役~一〇日で学ぶエッセンス~』に栞を挟んだ。


 ある意味――定期考査よりも重要な目付役登用試験が近付くにつれ、昼休みを利用して勉強に勤しむ生徒が目立つようになった。看葉奈も例に漏れず、コツコツと目付役たる知識だけでは無く……。


「この斗路、何も変わっていませんが?」


 目付役に相応しい立ち振る舞いを、看葉奈は習得しようとしていたのである。つい最近までカップラーメンの好きな銘柄を語っていた友人を知っている柊子は、気味悪そうに返した。


「それよそれぇ……何だかお嬢様って感じ……恐ろしいわねぇ目付役って……そこまで人格を矯正されるのぉ?」


「何を仰いますか、これは私本来のですよ、しーちゃん?」


「仰るだなんて……怖いわぁ、色々と……」


 残りのきんつばをすっかり食べ終えてから、柊子は過去問題集を手に取り、「第一問」といきなり出題を開始した。


「『技法はちにおける出来役熊野さんの構成札を答えよ』」


「《桜に幕》《菊に盃》《柳に小野道風》」


 第二問――柊子は歌うように続けた。


「二択よぉ。『《札問い》の最中、一方が忌手イカサマを使用した。もう一方はが、これを中止させ、使用者の無条件敗北とした。正しいか否か』」


「否。忌手イカサマ使に限り、不問とする――でしょう」


「第三問、『百人一首の技法色冠にて、特殊札の扱いを受ける絵札を答えよ』」


「天智天皇、持統天皇」


「……第四問、イラスト問題よぉ。この絵柄は何の地方札でしょーか?」


 開かれたページ、そこに描かれた札を一瞥し……看葉奈は間を置かず、淡々と答えてしまう。


「《九度山くどやま》、ですね」


 どんなものだ――そう言わんばかりに胸を張った看葉奈。対する柊子は「勉強したのねぇ」と、娘の成長を喜ぶように笑った。


「私もそれなりに詳しいつもりだったけどぉ、やっぱり目付役になる人は凄いのねぇ。どのくらい勉強したのよぉ」


「一日二時間、ピッタリですね。二時間が私の最大限集中出来る時間なんです。それ以上もそれ以下もありません」


 一般的に人間が集中出来る時間は最大「九〇分」、という定説がある。看葉奈はその枠から少しはみ出し、二時間――「一二〇分」の集中が可能であった。しかしながらこの時間を超えたり、あるいは「今日は一時間でいいや」と短時間の心持ちとなると、途端に成果が悪くなってしまった。


 どれ程忙しくとも、どれ程暇に苦しもうとも……看葉奈は決まって「一二〇分」の制約を守り続けてきた。ちなみに、柊子は実働一五分、休憩一五分の繰り返しが必須であった。だが、になれば柊子は一日中机に向かう事も出来るが、夜更かしは肌に弱いという理由で徹夜を嫌っていた。


「その内、みーちゃんに目付役を頼む事もあるのかしらぁ?」


「残念ながら、目付役の予約……のような事は出来ないようです。以前、それで問題になったようで」


 公式な《札問い》を行う際、必ず《金花会》へ連絡をする事となっていた。連絡を受けた《金花会》は目付役を《目付のがら札》という札を用い、籤引きの形で目付役を選定する。


 この籤引き形式が定められたのはつい数年前、一方の当事者が仲の深い目付役に立ち会いを依頼し、山札の「積み込み」をさせた――という事件が起きた為だ。


「あら、本当にぃ? 折角積み込んで貰おうと思ったのにぃ」


 ジトリと柊子を睨む看葉奈。当然、札の積み込みは禁止である。更に言えば……まだ看葉奈は積み込みが。取り締まる側は須く――悪法を知っていなくてはならない。


「容赦無く連行しますよ……例えしーちゃんでも」


 ふと、「魔が差したのよぉ!」と涙ながらに弁解する柊子を想像し、胸が張り裂けそうになった看葉奈だが……。対する柊子はゲラゲラと笑い、生真面目な親友の肩を叩いた。


「する必要なんか無いわよぉ。だって私は強いんだもの。それにぃ、相手がそんな事していたら、指をへし折ってやるわよぉ」


「私刑も駄目ですからね。今からしーちゃんを見張っておかないと……」


 無論、私刑も禁止である。忌手イカサマを使ったと言い掛かりを付け、強請りや悪質な虐めに繋がるのを防ぐ為だ。


「見張られる悪人からありがたいお言葉よぉ? 『善に強き者は悪にも強い』、昔の哲人は良い事言うわねぇ」


 思わぬところに「不安因子」を認め、溜息を吐いた看葉奈であった。




 時は流れ――ある日の放課後となった。看葉奈は会計部室、その扉の前に立っていた。静かに叩き、凜とした声で名乗りを上げた。


「一年七組、斗路看葉奈です。失礼致します」


 どうぞ、と室内から声が返って来る。静々と入室する看葉奈を……三人の上級生が姿勢を正し、長机の向こうに座っていた。その内の一人――看葉奈に過去問題などを渡した不磨田壬由である――が微笑しながら言った。


「それでは、最初に受験動機をお答え下さい」

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