第6話:「闘技」開始

 私が泣かなかった。何故? 私が泣かない理由は何? あの場では泣いた、ならば今も泣いていいはずだ。何故に泣かない?


 目付役に不似合いな女。構わない。私にそんな大役は相応しく無い。ならば泣いて忘れてみよう。


 でも泣けない。泣けないどうしても泣けない。


 涙よりも先に……抵抗力を感じる。


 私が泣かないもの。それは何? それは賀留多。賀留多に関しては泣きたくない。それはどうして? それは賀留多が大好きで、賀留多だけは私を強くしてくれるから。


 じゃあ――斗路看葉奈。貴女はどうして、萬代さんに泣かされたの?


 矛盾していないかしら? 目付役だって賀留多に関する仕事でしょう? 畢竟するに、貴女は賀留多で泣かされたのよ?


 賀留多ですら泣くのなら、もうどうしようも無い駄目な女。


 それで良いの? これからもずっと、メソメソして暮らすの?


 しーちゃんだって、いつの日か呆れていたじゃない。


 まだ、貴女は泣こうとするの?


 まだ、貴女は変わろうとしないの?


 もうそろそろ――。




「変わらないと」




 翌日、放課後の事である。看葉奈は柊子を先に帰し、一人会計部室を訪問した。


 百花なら、きっと文芸部室にいると思うけど……心配そうに不磨田が言った。


「斗路さん、気にする事無いのよ? 確かに……は私達の過失よ。でもね、一生懸命……健全で公正な打ち場を作ろうとしている努力だけは、貴女にも分かって欲しい」


 勿論です、と頷く看葉奈をなおも引き留め、「何かあったら私に言いなさい」と、不磨田は優しく微笑んだ。


 校内の全階を繋ぐ「中央階段」を上がり、二階フロアに歩を進める。製菓部が調理室を使っているらしく、チョコレートか何かの甘い香りが立ち込めていた。


「……ここね」


 人の気配が一切しない文芸部室前で、深呼吸を二度行い……。


 視界前方を「打ち場」に置き換え、看葉奈はを開始した。


「失礼致します」


 強めに扉を叩いた。返事は無かった。看葉奈は構わず、ドアノブを捻り――我が部室のように堂々と進入した。


 ドキリ、と看葉奈の心臓が高鳴る。窓際で黙々と読書する萬代がいたからだ。彼女は看葉奈の訪問など意識もしないらしく、時折細い指で頁を捲った。


 歩み寄る看葉奈との距離が三メートルを切った辺りで、萬代は「おかしいな」と呟いた。


「建て付けが悪いのか? 勝手にドアが開きやがる」


 更に近寄る看葉奈。高鳴る鼓動は耳に響いた。逃げ出したい気持ちを抑え、必死に抑え……とうとう萬代の眼前に立った。


「お話が御座います」


 看葉奈の言葉を無視する萬代。その視線は紙上の文章へと注がれていた。


「お話が御座います」


 繰り返す看葉奈に、やはり黙したままの萬代。




 ここで負けたら……ここで折れたら! 私は絶対に目付役になれない! 変わる、私は絶対に変わるんだ。今日を境に――私は「ひよっこ」を卒業するんだ――!




 看葉奈は机の上に置かれていた栞を取り出すと、俄に――。


 萬代の読む本を臆せず、栞を挟んでテーブルに置いたのである。これには萬代も目を見開いたが、見下ろして来る一年生を睨め付ける事はせず、唯……冷めた目で見つめ返した。


「読書中の私から本を取り上げる。見上げた根性だ。光札〇枚、それも五手目から《五光》を目指すぐらい、無謀で馬鹿な、のひよっこか」


「私には、斗路看葉奈、という名前があります。それに……」


 その状況の《五光》、決して夢物語では御座いません――看葉奈は微笑せず、淡々と答えた。


 驚異的な速度がもたらす《五光》を、彼女は幾度か呼び寄せた事があった。


「なるほどな。さて、見上げたよ。ここまでするからには……鼻の骨を叩き折られないような『答え』を持って来たんだろうな?」


 えぇ……看葉奈は頷いた。


「ですから、お話があると言いました」

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