第2話:麟角へ成れ
「うぇっ!?」
翌週、月曜日の朝から看葉奈は元気良く、下駄箱の前で悲鳴を上げた。周囲の生徒が訝しむ中、彼女は慌てて「封筒」を取り出し、トイレに駆け込んで内容を検めた。
「な、ななな……何で?」
彼女に恋い焦がれた男子生徒からのラブレター、ならばどれだけ幸福だっただろうか。現実は真面目で、厳しい。
目付役登用試験応募者の方へ。
封筒には細い文字でそう書かれていた。当然、彼女が驚嘆する理由はキチンと存在する。彼女は登用試験に応募して――いなかったのだ。
「私……応募していない、ですよね? 何で、何でぇ? もしかして……私の思考を読まれたのかな?」
目付役は超人の集団では無い。彼女の推測は的を大きく外している。看葉奈は酷く狼狽えたが……いつまでもトイレに籠もっている訳にはいかない。覚束無い足取りでトイレを出ると、丁度登校して来た柊子に出会った。
「おはよぉ、みーちゃん。朝からお通じ良い感じなのぉ? あらぁ……?」
「し、しーちゃん……私、思考を読まれています……! 盗聴器とか、そういうの着いていますか……?」
その場でクルクル回る看葉奈とは対極に……柊子はニヤニヤと笑んでいるだけだった。
「頭に埋め込まれているんじゃないのぉ」
「ひっ……!」
「嘘よ、嘘。勉強はそれなりの癖に、そういうのはドの付く阿呆なのねぇ。……それで、誰に思考を読まれているのよぉ」
これです……! 看葉奈は泣きそうな顔で封筒を差し出した。
「この前、私も《代打ち》になるってしーちゃんに言ったじゃないですか」
「言っていたわねぇ」
「だから、目付役に応募するのは止めたって言ったじゃないですか!」
「言ったわねぇ」
「なのに……ほら、この通り! 手紙が来ていますよぉ……!」
あらそうなのぉ? と柊子はスマートフォンを取り出し、現時刻を確認した。八時二〇分、普通の生徒は教室に向かおうとする時間である。
「話は後で聞くから……購買部寄って、教室に行きましょうか」
柊子に限り、遅刻は全く「無問題」な違反であった。チャイムが鳴り響くのも何処吹く風、悠々とジュースを飲みながら扉を開ける事もあるし、「宇良川、おい止まれ、止まれって、止まれよこの野郎ぉぉ!」と生活指導の教員に呼び止められても無視して歩いた(本人曰く、野郎では無いからという理由であった)。
「いいえ、教室に行きます、しーちゃんといると遅刻しますからね」
「あらそう、じゃあ後でねぇ」
ノンビリと購買部へ歩いて行く柊子に構わず、封筒を抱き締めながら教室へ駆けて行く看葉奈は、通りすがる生徒全てが――彼女の行動を監視しているように思えた。
止めて下さい皆さん! 私はまだ、目付役じゃないんですよ!
皆に見られて当然であった。彼女は《金花会》からの封筒に驚く余り――外靴のまま、校内を土足で闊歩しているからだ。登校の道すがら、不幸にも水溜まりを踏んでしまった看葉奈の「軌跡」は、彼方へ此方へと伸びている。
生活指導の教員が「寝惚けてんのかお前はぁぁぁ!」と走り寄って来るまで、残り一分を切った。
「…………もう一度言って下さい」
「だーかーらぁ、私がみーちゃんの名前で応募した、って言ってんのよぉ」
看葉奈はサンドイッチを放り投げ、柊子の胸ぐらを掴んで前後に激しく振った。柊子は宙を飛ぶサンドイッチを即座に掴み、そのまま甘い卵焼きを頬張った。
「何をしてくれたんですかぁちょっとぉ! 私には無理だって結論になったじゃないですかぁ!」
「うっさいわねぇピィピィと。『今のままでは』って言った気がするわよぉ? それより、サンドイッチを投げたり他人の胸ぐらを掴んだり。目付役五則に反するんじゃないのぉ?」
「まだ普通の生徒ですからね、許可されているんですよ!」
柊子は麦茶を一口飲んでから、「まぁ聴きなさい」と看葉奈の手を箸で刺した。
「いだっ!」
「痛くしたのよ。……貴女は優しくて良い子だけどぉ、少し、いいえ、かなり頼り無い感じなの。それと……意外にだらしないところもある」
「何を言いますか。品行方正な私を」
「何処を突けばそんな痴れ言が飛び出すのよぉ……。毎晩毎晩カップラーメン食って、貯めた花石で無駄遣いばっかりして、趣味は賀留多をしながらお菓子を貪り食う。……何処がまともなのよ」
今日は大勝ちしたので、来週は五日連続でケーキを食べましょう――いつの日か高らかに宣言した記憶が蘇った。
「勝つからってそんなにバクバクお菓子食べて……賀留多だけの、無頓着で無節操な女はモテないわよ? ゆっくりだけど、この学校でも男の子、増えているじゃない」
「べ、別に……彼氏とか要らないし……」
「……知っているのよぉ、部屋の本棚に恋愛小説がズラリと並んでいるのを……しかも、好きなシチュエーションに付箋まで付けているのを」
白目を剥いて硬直した看葉奈。夢見がちな少女へトドメを刺すが如く……柊子は「あのねぇ」と続けた。
「責めているんじゃないのよ。みーちゃんは親友よぉ、無二の親友……だから、もっと良い女になって欲しいの。折角目付役に興味を持ったんでしょう? 良い機会じゃないの。合格出来なくても良い、自分を見つめ直すのよ。姐さんもきっと、私の提案に反対はしないと思うの。大好きな賀留多にどっぷり関われて、しかも自分磨きも出来る……一石二鳥でしょう?」
普段の行いからは考えられない程の正論をぶつけてくる親友の背後から――眩い光が漏れ出しているようだった。
「しーちゃん……! そこまで私の事を……」
「それとねぇ、すぐ泣くのを止めなさいな。涙は女の武器だけど、武器をずっと振りかざしていたら損をするわよぉ?」
「はい……泣き止みます」
チーンと鼻をかむ親友に追加のティッシュを渡した柊子は、改めて届いた封筒の中身を確認した。
「なるほどねぇ……筆記試験は『賀留多史』『札知識』『技法手順説明』『金花会活動概要』『論述』……試験まで一ヶ月ちょっとだけど、まぁやれば出来るんじゃないの?」
「知識なら負けませんよ、私。何たって賀留多の事なら敗北を知りたいぐらいですから」
「あら、例題があったわ。何々……『現在、最古と言われる賀留多禁止令を発令した人物は誰か』ですって」
「…………うぅーん?」
「『すんくん賀留多の枚数を答えよ』は?」
「…………あぁーっと?」
まだまだねぇ――柊子はカラカラと笑った。
「『学ぶ者は牛毛の如く、成る者は麟角の如し』……さて、どうせ成るなら――麒麟の方が良いわよねぇ」
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