ラプラスの少年

碧美安紗奈

ラプラスの少年

 おかしな言動をするがために、いじめられている少年がいた。今日も彼は、慌てた様子で海に飛び込んだ。

 服を着たままである。

 周りの子供らはそんな少年を笑い、陸に上がってこれないようにからかったりした。



 このとき。

 少年が発生させたさざ波は海中のプランクトンをわずかに動かし、近くを通った船の底に付着させると、途中で海流に紛れ込ませ、やがて小魚の餌となり、その小魚を餌とした大きな魚の進路を変えて、太平洋岸で釣りをしていた男の釣り竿に食いつかせた。

 男は、NASAアメリカ航空宇宙局の職員だった。



 数日後。男は人工衛星の打ち上げに立ち会い、その発射する瞬間に、前に食べた大きな魚のことをなんとなく思い出して指示に一瞬のズレを生んだ。

 このため、宇宙空間に到達した人工衛星はある宇宙塵にかすり、かすかに軌道をそらされたそれはあたかもビリヤードの球のように次々と別の宇宙塵へぶつかっては相手を動かし、徐々にその対象を大きくしていった。



 さて。太陽から1億5000万キロメートル離れたところにある地球の公転周期は365日だが、かつて太陽系に属する最も遠方の惑星と定義されていた冥王星の公転周期は248年である。

 この太陽系すら天の川銀河に群がる無数の惑星系のひとつに過ぎず、銀河系もまた自転している。

 一秒間に30万キロメートルを進む光の速度で一年掛かる距離である一光年とは約9兆4600億キロメートルであるが、太陽系は銀河の中心よりおよそ3万光年離れた軌道を廻っており、銀河を一周するには2億5000万年ほどもの時間を要する。

 ゆえに当然のことながら、太陽系は今、人類誕生以来初めて通る宙域に差し掛かっていた。そしてこれから向かう先には、最先端の科学技術の粋を集めても観測できない不可視の巨大な怪物が、太陽系を呑み込もうと待ち構えていたのだ。


 あとほんの僅かで太陽系が消滅しようというそのとき。

 この貧弱な惑星系を球状に取り巻く彗星の巣であるオールトの雲から、人工衛星が弾いた宇宙塵の衝突の連鎖の果てに進路をそらされた小惑星のひとつが飛んできて、怪物を直撃したのだった。

 それは、人間に例えれば蚊に刺された程度の衝撃に過ぎなかったが、怪物にはちょっとした気変わりを起こさせた。


 そのため、怪物は太陽系を食うのをやめていずこかへと去ったのである。



 全ては、冒頭の少年が計算した通りだった。


 かつて物理学者ラプラスが、〝ラプラスの魔〟という存在を仮想した。それは、全宇宙のありとあらゆる情報を寸分も違わずに算出できる存在だった。

 実はかの少年が、この能力を持っていた。


 ただし、ラプラスの魔は自らを観測対象に含めないよう宇宙外に身を置くとされたが、少年は宇宙内に存在するため、自身が宇宙に与える影響をいちいち考慮せねばならず、はたからはおかしく思われるような言動をせざるをえなかったのだ。



 ある日、少年のおかしな言動をいじめっ子がさえぎった。少年はそれ以来、おかしな言動をやめた。


 人類がこれを後悔したのは、遥か未来でのことだった。

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ラプラスの少年 碧美安紗奈 @aoasa

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