第81話 抽選結果、そして開会式のサイレン

 毎日の朝練、放課後の練習をこなし、週末には試合の状況を想定した試合形式の練習、そして練習試合。時間の許す限りの、現状において最適だと考える練習を続けて、5月は過ぎた。そして6月に入れば、もうすぐ夏大会の抽選日となる。


 去年のスケジュールには各所からのクレームが入ったため(当校よりも実力テスト直後の試合スケジュールは困るというクレームが入ったようだ)一昨年に近いスケジュールとなった。つまり複数箇所の球場を押さえた上で週末の土日に試合を組み、雨天順延などの問題が発生した場合は土曜日の野球部公欠(出席扱いの授業欠席)を要請する、という流れである。

 ただし雨天による順延が連続するような事があった場合、後半戦の日曜スケジュールにおいてはダブルヘッダー等の強行スケジュールも考慮される。選手層が薄い学校にとっては厳しい、そして例年通りに近いスケジュールとなった。


 しかし、結果として実力テストは避けられ、試合に影響を及ぼす試験は期末試験のみである。ちなみに期日的には4回戦の後から5回戦の後に試験日程が入り込むため、ベスト16に入らない場合は全然関係が無い。もちろん、弘高野球部としては関係があるつもりなのだが。

 幸いにして実力テストの結果から判断するに、今回の期末テストで問題が発生するような部員は居ないと思われる、という結論に至った。実に結構。


 そして6月の第2週の土曜日。

 ――待ちに待った抽選日の日が来た。今日のクジ引きの結果によって、準決勝までの対戦組み合わせが決まる。練習をしながらも対戦予定の相手の情報を集め、その対策を練り、相手に合わせた訓練をもする事になる。そして来週末に行われる開会式を経て、いよいよ熾烈な夏の戦いが始まるのだ。俺達の、今年の夏が、始まる。



※※※※※※※※※※※※※※※


「やって来ました、県立ゆめぷらら体育館」

「初めて来たけど、けっこう広いなあ」


 夏の甲子園大会地区予選、県大会の組み合わせ抽選会場は、今年も県立の総合施設である『ゆめぷらら』の敷地内にある体育館だ。施設の名称が少々謎で、名称が決定した理由には諸説あるが「夢プラザ」という名前をつけようとした時に何らかの手違いがあったという説が有力である。

 交通費の関係もあるし近隣で時間と予算に余裕のある学校でもなければ、大体が最小限の人数で抽選会に向かう。大抵は監督と主将だけだ。しかし今回は見出しに使いやすい写真を欲しがる報道各社の要請もあり、弘前高校野球部は平塚監督と松野キャプテンに加え、俺と山崎の2人が参加していた。


『……平塚監督……弘前高校だ……』

『……KYコンビだ……』

『……本物だ……山崎と、北島だ……』

『……あれは……すごいな……』

『……でかい……』


 ざわり、ざわりと。ざわめきの波紋が広がるように、俺達の周囲の人間の呟きが広がっていき、視線が四方八方から俺達に集中する。球場の観客の視線とはまた違う、ちくちくと刺さるような視線が飛んでくる。そして俺達4人の回りに少しだけの空間ができる。まるで魚の群れの中に飛び込んだ大型魚のような雰囲気である。


「気のせいか、あたしの胸元に視線の何割かが集まってる気がするんだけど」

 それはたぶん気のせいではないな。


 その証拠に、山崎がちらりと周囲へ視線を向けると、咄嗟に目を逸らす野郎共が多数発生している。女子濃度が極めて希薄なこの空間において、白い夏セーラー服姿の山崎は、色々な意味で目立っているのだ。状況としては、ほぼワイシャツとスラックスという構成の男子高校生および監督、報道関係者の中に、女子高生が1人だけ。


 会場スタッフの中には少しだけ女性も居るには居るが、報道関係者に女性は皆無。今年の夏大会参加校は去年よりも多い69校。仮に監督と主将だけが抽選会に来ていたとしても、140人以上のワイシャツ男性の集団の中に、比較的長身の半袖セーラー服女子が1人だけ混ざっているという状態なのだ。弘前高校の夏セーラーは白地に青線と青リボンなので、白色集団の中でも色的に目立つ。間違い探しをすれば1秒で正解できるレベルである。そして山崎は自他共に認める見事なバストの持ち主であるから、これはもう視線が上半身の一部に集中しても仕方が無い。仕方が無いのである。俺にはよく理解できる。


 とはいっても、大方の男子と違ってワイシャツ1枚ではないし、TPOに合わせて山崎も横着せずに肌着はちゃんと着て来ている(学校では横着する事もある)ため、スカートとの隙間から肌が見えるような事はなく、下着も透けない。外から見て分かるのは胸元の盛り上がりくらいなものだ。山崎いわく『腰を絞る部分が無い服だから寸胴に見える』という『きょぬーあるある系』の文句が出るところではあるが。


「こんにちは!!弘前高校の皆さん!!」

「はじめまして、平塚監督」

 と、リボンネクタイのワイシャツ系女子高生と、壮年の男性が話しかけてきた。……あれ?他にもJKがいたのか……という事は。


「あら、雲雀ヶ丘の……野崎さん」

「お久しぶりです、山崎さん」

 やはり、雲雀ヶ丘女子の生徒だった。


 という事は、この子が今年のキャプテンか。隣の男性が監督という事だろう。そういえば去年の県大会で見たような気がする。山崎が極端な目立ち方をするもんだからJKは居ないものと思っていたが、そうでもなかったようだ。すまん野崎さん、ぜんぜん気づかなかったよ。なぜだろう。スカートが長めだからかな。


「山崎さんが来てくれて良かったです。さっきまで女子学生は私だけだったから」

「抽選会だと目立つわよねー。夏服だからかしら」

 などと、JK2人と監督2人が互いに挨拶と世間話を始めた。山崎が存在すると周りの男子野球部員が空気にされる事はよくあるので、俺と松野キャプテンは特に気にしない。いつもの事なのである。


『すみませーん、ちょっとよろしいですかー』『少しお願いします』

 この会場で希少なJK2人組に、報道関係者らしき人達が集まってきた。たぶん、今年の女子参加選手へのインタビューだな。有名女子選手と女子高、絶好のネタなのだろう。


『北島くんも、ちょっと話を聞かせてもらえる?』

『松野くんも頼むよ』『チームの仕上がりはどう?1年生とか』

 当分は空気だな、と思っていたら、俺達にも声がかかってきた。


 などと無駄に山崎が注目を集めながらも報道関係者からの短時間の取材を受け、そして抽選会が始まる。まずは春大会で上位に入った学校からシードの抽選を行い――いよいよノーシード組の抽選が始まる。


『――弘前高校、Aブロック8番!!』

『『『おお――――!!』』』『明星とは別ブロックか……』

『同じブロックじゃねーか……』『ベスト8までに対戦か……』『ウチは2回戦だぞ』


 弘高のクジが読み上げられた時のリアクションは中々大きかった。反応もそれぞれだ。県内スポーツニュース関係でも優勝候補だし、シードに入ってないなら春大会の王者の明星と潰しあってくれればいいのになー、という反応も納得だ。俺が他校生ならそう思う。そしてシード校としても、弘高がなんでシードされてないんだ、みたいな感想は少しくらいはあるだろう。シードされるメリットはシード校とすぐには当たらない事、みたいな意見もあるくらいなのだし。


 時には喜びの声、時には驚きの声。そしてたまには絶叫が、という感じでクジが次々と引かれ、組み合わせが決まると少しの歓談とインタビューを経て、組み合わせ表をもらって俺達は弘前高校へと戻っていったのだった。



※※※※※※※※※※※※※※※


 弘前高校野球部、部室にて。


「――と、いうわけで。これが今回の組み合わせ表だ。自由に見てくれ」

 監督がホワイトボードに組み合わせ表を貼り付けて、脇に退く。


 マネージャーを含めた全員が、整列もなく集まって組み合わせ表に注目した。まるで合格発表に群がる学生のよう。これからこのトーナメント表が、少しずつ黒線でなぞられていくわけだ。盛り上がってきたぜ、という感じがする。


「……こいつは……」

「……これが……因縁というものか……」

「……初戦の相手が、まさか……」

「……いや、今年の俺達は去年とは違う。気にする事はない」

「……少しは情報が欲しいな……」

 上級生組のメンバーが、一様に唸りを上げる。


「質問、よろしいでしょうか」

 ある意味で空気の読める男、坊主の一休こと安藤が手を挙げていた。


「いいぞ。なんだ安藤」

「――この、初戦の『』というのは、注目されている高校なのでしょうか?高校野球のニュースに取り上げられているのは、見たことがないのですが」

 いい質問だ安藤。俺もニュースになっているのを見た事は無い。


「いい質問ね安藤くん。大沢木は、去年の弘前高校が初めて練習試合をした相手なのよ」

「「「おおー」」」

 安藤の質問に答える山崎に、すかさずリアクションで返す1年生。


「そしてコールド勝ちしちゃった相手よ」

「「「……おお……」」」

 リアクションの質が微妙に変化したな。


「さらには去年の夏大会の、初戦の相手でもあるわ」

「「「……ぉぉ……」」」

 リアクションが小さくなった。


「そしてコールド勝ちしちゃったのよねぇ」

「「「………………」」」

 リアクションが無くなった。


 ――まあ、弘高野球部は赤点補習と食中毒による欠員で『けして怪我人を出せない戦い』になってしまって、去年の夏大会初戦は、精神的に苦戦を強いられた試合だったのだが。

 相手の大沢木高校にしても、『なんで初戦に弘前が』と思うところだろうが……大沢木の主将も、クジを引いて結果を見た瞬間、『ぐわ――――っ!!』と叫び声を上げていたしな。互いにクジ運があるのか無いのか、よく分からん。


 しかし今年は選手の人数が合計18人。上級生組に多数の問題が発生すれば戦力的に危ういが、少なくとも試合不可能になったり、続行不可で没収試合になる可能性だけは無い。今年は山崎や俺が強打者ステルスをする必要も無いし、問題は何も無いのだ。極端な話、大沢木の実力が例年に近いものであれば、山崎以外が1年生という構成のチームでも、山崎が程々の投球で完封して終わる。とりあえず初戦は問題ないはずだ。


「まあ今年は何も問題は無いだろうし、普通にやれば勝てると思うけど。慢心が理由でミスしたり、変に気負って実力が出せないなんて事が無いようにしないとね。あと、大会中の期末試験でポカをやらないように」

「「「はいっ!!!!」」」「「はい」」


 山崎の言葉に、1年生の返事と、若干2名の返事が返ってきた。大会スタートは6月末だから期末試験は大会終了前だ。油断の無いように頼みます、先輩。

 他にも目立った学校、ブロック内の注目校、勝ち上がって来る可能性の高い学校に対しての話をしてから、その日の部活は終わった。これから毎日、このトーナメント表を見てから練習をする事になるのだ――この、夏が続く限り。



※※※※※※※※※※※※※※※


 6月下旬。大会登録選手の届出が完了し、県大会の開会式が始まる。


『――選手、入場』

 場内アナウンスの合図で、入場行進が始まる。今年の県大会、開会式の始まりだ。式としては整列してからが始まりだが、選手や報道関係者、スタンドの野球部員、若干数の観客にとっては違う。いよいよ夏大会が始まったのだと、この瞬間から実感する。


『――県立、弘前高校』

 場内アナウンスと拍手の中、入場行進する俺達。報道関係者から、何台もの望遠レンズが、観客や一部の野球部員からもスマホのカメラが向けられる。当事者が言うのも何だが、やはり人気者である。去年の入場行進とは大違いな事を実感するぜ。今年の俺達も山崎も、もはや弱小無名校でもなければ、イロモノ扱いのきょぬー女子選手でもない。名実ともにある実力者なのだ。


『――優勝旗、返還』

 松野キャプテンが、ほぼ1年間の間、弘前高校がレンタルしていた優勝旗を返還する。今年も県大会を勝ち進み、再びレンタル権を手にするのだ。


『――選手、宣誓』

 ちなみに松野キャプテンではない。よく知らない学校の主将が選手宣誓をしていた。


『――選手、退場』

 粛々と進んだ開会式も終わり、選手退場をもって完了する。整列の中ほどにいる弘前高校の順番が、少しずつ近づいてきた。今日は帰ってOB会主催の激励パーティがある。充分に食べて飲んで英気を養おう。豪勢な食事が楽しみだ。


「……悟……悟……」

「え?何?」

 前に立つ山崎が、首をひねって俺に何か言っていた。退場の順番、もうすぐだぞ。


「……やばい。限界」

「何が」


 その瞬間。俺はようやく異常に気がついた。山崎が異様に真剣な表情をして――顔色を悪くしている事に。振り返った山崎が、よろよろと足を踏み出すと俺の肩につかまり、こう言った。


「救急車、よんで……」

「マジかよ!!」


 ――その後は大騒ぎになった。

 後ろを振り返りつつも退場行進をする3年生。『担架おねがいしまーす!!』と言いつつ、山崎に肩を貸して前に歩く俺。行進の列を切れさせつつも退場行進をする残りの部員。山崎と俺を注視しつつも退場行進をする、後続の高校。我先にと大会本部へと行こうとする報道関係者。ざわめく観客の手持ちのカメラがすべて俺達に向けられる。

 しめやかに行われるはずだった退場行進は、騒然となる関係者と観客の中で続けられ、それを締めくくったのは、近づいてくる救急車のサイレンの音だった。


 監督と俺が山崎に付き添い、救急車に同乗する。

 そして病院で、俺は山崎の家族より一足先に、診断結果を聞いた。

【 急性虫垂炎 】により、手術が必要と思われる。


 お医者さんを前にして「マジですか」とは言わなかったが、それが正直な気持ちだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


【 山崎 桜。緊急入院により、県大会より一時退場 】


 当日に更新された、県下高校野球Web速報。

 それが――今大会の、開幕を告げる第一報となった。

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