第82話 届くエール

【 山崎 桜、緊急入院により県大会から一時退場 】

【 病名は急性虫垂炎。回復までの期間は不明 】


 『救急車のサイレンで始まった大会』と呼ばれる事となった今年の夏の県大会。高校野球関係者の話題は当日も翌日も、山崎 桜の緊急入院の話で持ちきりだった。去年の夏の全国大会、甲子園の舞台で大暴れした弘前高校野球部。その戦力の中核、KYコンビの片割れ。走・攻・守の全てにおいて並みの男子選手を遥かに凌駕し、打てば大砲、守れば鉄壁、走る姿は忍者そのもの……と、一部では戦女神扱いされてポスターが拝み倒されている、高校球界で唯一無二の超高校級女子選手の入院『事件』であるから、高校野球の報道関係者にとっては注目せざるをえない。


「山崎選手の回復は、どのくらいかかる?」

「まだ不明だ。まだ家族レベルの話だろう」

「軽度なら薬で散らせるんだろ?1週間くらいか?」

「軽けりゃな。切ったら2週間か、もっとするだろ」

「どっちにしろ、大会は始まってるぞ。弘前高校が早々に消える可能性も……」

「初戦では無いだろ。だが、2回戦以降は分からん」

「問題は守備だ。遊撃手に1年を入れたら大穴が開くぞ」

「順当に考えれば、1塁手に使える1年を入れて……」

「程度によるが、4回戦までは山崎無しで戦う必要が出てくるかもな」

「抑えの切り札が不在だからな。まさかの逆転を『される』可能性も……」

 報道関係者が少しでも顔を合わせると、だいたいこのような会話が交わされていた。


 県内の高校野球関連の報道編集部では『今年はKYコンビの軌跡を1回戦から追って特集記事にしよう』『山崎選手を軸にした女子選手特集を組もう』という目算で予定を立てていたところも多く、急遽予定を変更せざるを得なくなった、という問題も含めての会話だった。

 他の県内選手は山崎選手に比べれば小粒……と口に出す事はできないが、全国区で鮮烈なデビューを果たした、超新星扱いのKYコンビと比べれば見劣りする。大体は『当面は北島選手1本でやっていくしかない』などという結論へ落ち着く流れになっていた。他に話題になる選手も居なくは無いが、全国に発信できるレベルの選手となると、他には明星の木村選手くらいだ。スポーツ報道記者としては降って湧いた大ニュースに沸き立つ一方、今後の取材予定を考えると困ってしまう。そんな状況だった。


 また、県下の強豪高校と呼ばれるチームにおいては。


「――ウチと当たるのはベスト4じゃねえか」

「3週間経ったら、山崎も治ってるだろ」

「病み上がりだったら、充分いけるんじゃね?」

「それまでに負けてる可能性もあるしな」

「なんで2回戦で明星と当たらないのかねぇ」

「まったくだぜ。なんで別ブロックなんだよ」

 という会話が交わされていたりした。


 別ブロックの学校としては、弘高野球部の戦力が弱体化している間に消えてくれれば大助かり、という事になる。そして手術明けの山崎は、どの程度弱体化しているのか、と。

 そして、弘前高校と引き合いに出されて話題に上る事もある、明星高校野球部では。


「――ウチと2回戦で当たればよかったのに……」

「そうすれば、確実に弘前を沈める事ができたのにな……」

「そういう意味では、弘前の主将はクジ運強いな」

「4回戦……いや、3回戦までで弘前と勝負できる高校って、あったか?」

「1回戦はダメだな。2回戦と3回戦の相手か……」

「何言ってんだよ。ベストの状態の山崎に勝ってリベンジするんだよ!!」

「最高の結果をイメージできるって、いい事だよな」

 という会話が交わされていた。


 明星高校は去年の、そして今年の春秋の県大会の優勝高校である。春のセンバツ甲子園大会ではベスト16まで勝ち抜いた。しかし一昨年までの評価と大きく違う点は『弘前高校不在での勝利』という一言が必ず付けられ、『弘前高校が出場していたらどうだったか』という感想が必ずついてくる事だ。

 人数不足で秋以降は練習試合も組めず、弘高野球部は新入部員登録が終わるまでは普通の練習試合の予約を受けるのを見送っていた。加えて新入部員の基礎練習や、実力等が相応に整ったのがつい最近、という事情もあり、新体制下における弘高野球部との練習試合も、まだ行っていない。

 明星としてはリベンジらしいリベンジは一つも出来ていない状況。県下の野球名門校としての明星高校においては、一種の疫病神扱いされているのが弘高野球部なのだ。山崎が居ようが居まいが、とりあえず弘高野球部と直接対決して1勝を上げておきたい、というのが本音である。疫病神の親玉が居ないのならば今こそがチャンス、という考えも無くは無い。


 また、山崎 桜と個人的な知り合いも多い雲雀ヶ丘高校野球部では。


「山崎さん、入院かあ……」

「軽かったら薬を飲むだけなんでしょ?」

「薬でも当分は入院なんじゃない?」

「手術かなー。傷跡残っちゃうのかなー」

「あたし盲腸は下の毛剃るって、お母さんに聞いた事あるよ!!」

「それ聞いた事ある!!じゃあ山崎さん、今はツルツルかな!!」

「外国じゃ盲腸とか関係なく剃るのが一般的だって聞いたけど」

「マジで?水着ライン整えるのとかじゃなくて?」

「彼氏の好みの形に整えるって聞いた」

「あたし完全に剃るのが普通だって聞いたよ」

「あれって病気対策じゃないの?永久脱毛もする場合があるって」

「クリニックで脱毛するやつ?駅前にやってるとこあるらしいよ」

「それVIO処理の話か」「ちょっと詳しく」

 などと適度に心配されつつも脱線した会話が交わされていた。


 ちなみに雲雀ヶ丘は弘前高校とは別ブロックであり、互いにブロック代表になる所まで勝ち上らないと対戦の機会は無い。当面は自分達の対戦相手こそが第一だと、良い意味で現実的で、かつ『どうせ対戦する時には復帰しているに決まっている』という、ある意味で楽観した見方もしているのだった。命に別状が無いのだったら、それほど心配する事も無いだろう。そんな雰囲気である。


 また、まだ県下でも名の知られていない高校の野球部においては。


「……運が向いてきたか」

「あの化け物が居ないなら、充分に勝機はある」

「ま、もともと勝つつもりだったけどな。楽になったぜ」

「ウワサの巨乳ピッチャーの投球を間近で見てみたかったっスけどね!!」

「おまえそれ記者が居るところでは言うなよ絶対」

「セクハラ発言は取り扱いきびしーからな」

「ともかく弘高の首は俺達が獲る。県下にウチの名を轟かせるぞ」

「そこは全国って言うところだろ」

 打倒・弘前高校を合言葉にした会話が交わされていた。


 弘前高校野球部は、今や全国区で名を知られている野球強豪高の新星である。実働部員の人数不足という、野球ルールを遵守する上でのチーム欠陥により、秋大会および春のセンバツ甲子園大会、おまけに春の県大会までも欠場という有様だったが、去年の夏の甲子園での弘前高校関連の数々の甲子園記事、そして『KYコンビおおあばれ』『静かなる知将・平塚監督の采配』等の記憶は今だ記憶に新しい。

 全国的に名前が売れた弘前高校野球部は、今年、この時においては県下の打倒目標高校として明星高校を凌いでいる。公立高校ゆえにチーム的な完成度と安定感は若干疑問視されているが、今現在、県下で最も実績を挙げている高校だからだ。


 甲子園に比べて地味扱いだが、去年の国体では高校野球特別大会の部で優勝しており、曲がりなりにも『全国大会での優勝』という、県下の高校野球業界では唯一無二の快挙を遂げている。弘前高校野球部とは、全国区に打って出ようとする野心のある高校球児、および高校においては、何としても勝利したい金箔の看板持ちである。

 名門と呼ばれてきた有力高校のいずれにとっても、そして出世を目論む有名無名の選手達にとっても、県大会最大の難敵として認識されている弘前高校は、山崎 桜の『急性虫垂炎事件』によって、改めて注目を集める事になっていた。


 ある者は、虫垂炎からの早期の快癒を願い。

 ある者は、できるだけ入院が長引く事を祈り。

 またある者は、退院して不完全な状況での復帰を期待する。


 違う立場の数だけの想いが、県大会関係者の中で渦巻いていた――――



※※※※※※※※※※※※※※※


 そして、弘前高校が1回戦で当たる大沢木高校では。


「……キャプテン。また……届きました」

「また?!今度は何だよ?!」

 学校宛てで『野球部様へ』と届いた小荷物を手にした部員と、主将の柳田が少し疲れた様子で会話をしている。


「ゼリー飲料の詰め合わせと、弘前高校の投手の傾向をまとめた資料です」

「今度はゼリー飲料か……」

 少し経つと、また別の部員が小荷物を手に戻ってきた。


「キャプテン!!また届きました!!」

「今度は何?!」

「スポーツ飲料のパウダー詰め合わせと、弘前1年生の資料です」

「またドリンク系か……これで3件目か……」

 また少し経つと、別の部員が駆け込んできた。


「キャプテン!!またメールが届いたそうです!!」

「今度は何?!一言コメントの取材?!それとも資料?!」

「『弘高攻略まとめサイト』というものへのリンクが入った激励メールです……」

「またか……」


 この手のメールやコメントは、学校の公用メールアドレスはもちろん、学生用の大沢木高校専用SNSにも入ってきている。情報はどこから漏れているのか。スパイの可能性も考えないといけないのかも知れない。ネットリテラシーとか、もっと繰り返し教育をする必要があるんじゃないかと柳田は思った。


「キャプテン……また届きました……」

「今度は何」

 もう疲れきった、という様子の柳田。


「プロテインの詰め合わせです。弘前の守備関係の資料が入ってます」

「またか。プロテイン5件目だろ」

 そんなにすぐ筋肉つかないよ。弘高との対戦は今週末だよ。と柳田は思う。


「キャプテン!!マルチビタミンのパウダー飲料と、弘高の打撃資料です!!」

「飲み物には困らないな。陸上部とかに配るか」

 グラウンド繋がりの運動部に御裾分けしようか、と柳田は思った。


 山崎選手が急性虫垂炎だと知れた翌日には、大沢木高校・野球部宛てに贈り物が届けられるようになり、その後着々と資料やらドリンク類やらが増えていっている。おそらくは自分の所と当たる前に、勝たなくとも出来るだけ消耗させて欲しい。できれば大金星を上げて欲しい。または可能な限り情報を引き出して欲しい、と思う学校や学校関係者からの差し入れだろう。

 確かに公立高校である大沢木野球部は予算が厳しい。物資不足でもあるし、情報収集能力も低い。しかしさすがにこの支援の量はどうなんだと、柳田は思う。


「どんだけウチに健闘して欲しい学校がいるんだ……」


 立場が違えば思いも変わり、取る行動も変わってくる。

 大沢木高校野球部は、弘前高校野球部とは別の意味で大人気だった。

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