追跡 ~The Chase~

賢者テラ

短編

 小学6年になる山尾市郎 (イチロウ)は、変わった子どもだった。



 別に『変人』というわけではない。今時の子としては、珍しいタイプだというだけである。

 じゃあ、一体どこが変わっているのか?

 彼の亡くなった祖父が、寺の住職であった。

 市郎は幼少期には、寺に住んでいるようなものだった。

 本堂に隣接したところに住宅が建てられており、家族はそこで生活していた。

 しかし。住職の一人息子、すなわち市郎の父は寺を継ぐなどという気はまったくなく、むしろそういう世界から遠ざかりたいと願う人物であった。

 公務員として市役所に職を得た彼は、祖父の亡き後は門下の優秀な僧侶に寺を任せると、市内の住宅街に一戸建てを構えて移り住み、現在に至っている。



 市郎は、住職である祖父が大好きであった。

 仏門に帰依するだけあって、物の考え方も行いもなかなか立派な人物だった。

 彼もまた、孫の市郎がかわいくて、実に色々な事を教えた。

 祖父が最も力を入れて教えたことは——



「この世界にあるもののすべてに感謝しなさい。空も大地も緑も生き物も、食べ物から自ら身の回りのすべてのものに至るまで、大事になさい。決して粗末に扱ってはならん」



 ……人間は、現実にこの世界のあるじのようなものじゃ。

 食物連鎖の頂点におる。たまにジャングルで人が猛獣に食われることもあるか知らんが、とにかく人間は地球にあって知恵と力により文明を築き、事実上地球環境を支配しておる。

 しかしじゃ。

 人間は、その自然界を治めるというせっかくの特権を正しく使いこなしておらん。

 環境破壊・地球温暖化・異常気象・大量殺戮兵器・神の領域にまで踏み込む遺伝子操作——。

 頭がいいくせに、結局は自分さえよければよい、というのが人間の悲しい性じゃ。

 我々には地球に、自然に生かされておるという謙虚さと感謝がない。

 今日もありがとう。

 ご飯が食べれてありがとう。

 住む家があって、必要なものが身の回りにあって、ありがとう。

 水も空気も、ありがとう。

 いつものように朝が来て、夕が来る。ああ有難い。



 こんなことをしょっちゅう説教された市郎は、極端な子どもになった。

『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものである。彼は、物を大事にする子どもになった。

 それだけなら、周囲はとってもいい子として好感を持つだけなのだが——

「ありがとう、ありがとう」

 市郎は四六時中そう言っている。

 とにかく、触るもの食べるもの使うものにすべてそう言うので、周囲は気味悪がるのである。例えば、彼が学校で黒板消しを使ったならば……

「黒板消しさん、黒板さん、それにチョークさんもありがとう。次の国語の時間も、よろしくね」

 短くなったチョークは、市郎の手により学校の隅に埋葬された。

 本人いわく『供養』なのだそうだが、このことが発覚した時に、担任の先生はこの行為を禁止した。きちんとゴミとして出しなさい、というのである。

 仕方なく市郎は、捨てる時に心を込めて手を合わせることで妥協した。

 周りの子どもが、ピカピカの文房具や目新しい持ち物で身を固め自慢しあっている中、市郎一人が浮きまくっていた。物を大事にすることにおいては異常なほどだったから、使えなくならないのに買い換えるなどいうことは、彼の辞書の中にはないのである。

 世の流行など、彼にはどこ吹く風であった。


 

「よぉ。お帰り」

 家に帰ると、一階のガレージ部分で兄の次郎がバイクの手入れをしていた。

 しかし、兄が「ジロウ」で弟が「イチロウ」というのも何だかヘンである。

 親は、何を思って名前をつけたのだろう?

 年の離れた兄は、社会人一年生になったばかりのエンジニアである。

 メカニック、特にモーターエンジンのことにかけては、オタク級を通り越して博士級であった。

「兄ちゃん。また、すごいバイク買ったね!」

 見るからにスピードの出そうなかっこいいバイクが、市役所勤めの父のボロ車の前にメタリックな光沢を放って鎮座していた。

「バッカ。買ったんじゃなく、作ったのよ」

「エエッ!?」

「ボディやなんかはさ、国産のバイクの外側を借りてるけどさ。エンジンは2500CC! 推定最高時速は450km。

 マツダのRX-7って車があるだろ? あれのロータリーエンジンの理屈を応用して作った。世界のどこにもないぞ、このバイク。細かい部品や計器なんかはさ、次世代機に取って代わられた航空自衛隊の古い戦闘機のものを使っているのさ!」

「……それって、違法じゃないの?」

 小学生のくせに、なかなか痛い所を突いてくる。

「バ、バカッ。大きな声で言うなぁ!」

 自分だって、さっきまでその違法な発明を自慢げにベラベラしゃべっていたくせに。頭脳は天才的だが、どこか間の抜けた兄である。

「た、確かにこれで公道を走ったら警察に捕まるだろうさ。ま、何ていうかな、これは観賞用。どこまですごいメカが作れるのかな、っていう研究者の自己満足。そもそも、このマシンは普通の人間の肉体じゃ使いこなせないね」

「ヘンなの。人が乗れないバイク作るなんて」

 物を大事にするのが信条の市郎は、あきれた。

「ボクは、大きくなったらこのお父さんの車でいいや」

 そう言って市郎は、父愛用の乗用車・中古のトヨタマークXをなでる。

「お前ほど無欲なやつも珍しいよな。ふつうオヤジのお下がりなんて嫌がると思うけど。そもそもお前が大人になった時までこの中古車、持たないと思うぞ? 絶対に車検通らないって!」

「そん時のために、メカの天才の兄貴がいるんじゃないか。この車、何とか頑張って長持ちさせてよ」

「……はぁ」

 兄の次郎は、いつも弟の一貫した主義主張にきりきり舞いさせられるのである。



「ただいまぁ」

 ガレージから家へ上った市郎がまずすることは、カブトムシの世話だ。

 幼虫の状態で飼い始め、成虫にまで育てた。

「長生きしろよな」

 小さな丸木に、蜜をかけてやる。

 それから彼は、自分の部屋を掃除する。

 もちろん、掃除機に感謝とねぎらいの言葉をかけるのを忘れない。

 三時なので、テーブルに用意されてあるおやつを食べる。

「たけのこの里さん、マスヤのおにぎりせんべいさんありがとう。今日もおいしくいただきます。活動するエネルギーになってくれてありがとう。今日もこれから思いっきり遊べます。感謝します——」

 彼はいつも、物に感謝するときにはその具体名を挙げて言う。

 彼いわく、「僕らにもきちんと名前があるだろ? あれ、とかそれとか言われるよりも、ちゃんと名前を呼ばれたほうがうれしいはずだよ」

 まぁ、そりゃその通りかもしれないが……彼は万事が、この調子だ。

 物に感謝しない生活など、市郎にはありえないのだ。


 

「またかよ……」

 感謝の日々を送っている市郎にも、悩みはあった。

 それは、クラスメイトの村井沙里菜のことだった。

 彼女は、小学生にして芸能界で子役デビューを果たした、有名人でもあった。

 可愛くってハキハキしていて、大人顔負けの演技力もあり、現在では国民的人気を博していた。

 だからといって学校では、そしてクラスでは人気者かというと、そうはいかないという不思議があった。



 ドラマの撮影などで公然と休む日もある。

 そして、街を歩けばチヤホヤされる人気者でもある。

 沙里菜が仮に別の学校の子だったら、あるいはキャアキャア騒いだのかもしれないが、いかんせん身近すぎた。ひがみかやっかみか、クラスメイトたちはたまに登校してくる沙里菜に冷たく接した。

 それはハッキリ『いじめ 』と言ってもよかった。

 机に、教科書に落書きされたり、下駄箱に『死ね』とか『学校来るな』とか『芸能界だけやってろ!』とか書き付けられた手紙を入れられたり。

 沙里菜も気の強い、自尊心の強いタイプだったので、先生に相談したりしなかった。ただ、そうは言ってもやはりまだ子どもの弱さで、時折涙をポロポロ流しているのを、市郎は見て知っていたのだ。

 心根の優しい市郎は、沙里菜の苦悩を自分の事のように胸を痛めた。

 そして、意を決して心に決めたあることを、実行にかかった。



 誰よりも早く登校して、朝一番に教室に入る。

 沙里菜の机に落書きがあったら、きれいに消す。

 教科書に落書きがあったら、これも消しゴムできれいに消す。

 さすがに、消えないマジックやボールペンでやるという悪質な次元までは、まだエスカレートしていないようだ。

 机の中にゴミがあれば、きれいに掃除する。

 その他にも、注意すべきことは沢山ある。この前などは、音楽で使うリコーダーの中にアマガエルの死骸が仕込まれてあった。



 ……ボクが、村井さんを守るんだ。



 市郎には、いつしかそういう使命感のようなものが芽生えだしていた。

 決して沙里菜が有名人だからとか、美少女だからというのではない。

 彼が純粋に、困っている子を放っておけなかったからである。



 でも、彼は決して自分のしていることを沙里菜には悟られまい、というおかしな努力をした。

 それは、彼には彼なりの『引け目』があったのである。

 言わば、沙里菜はこの世の流行の申し子であり、代名詞である。

 芸能界の人気子役として、いつも最新ファッションときらびやかなグッズで身を固めている。

 一方、自分はというと、モノを大切にするあまり、兄や他人のお古やお下がりで満足し、いつまでもひとつの物を使い続ける『世捨て人』の小学生版。

 要するに、世間の目から見て『ダサい』ことの極みなのである。

 市郎は、自分のしていることに誇りを持ってはいたが、世間一般の視線や価値観というものも一方では分かっていて、子どもなりの複雑な思いを抱えていたのだということだろうか。



 放課後、彼は学校近くの河原に行った。

 穴を掘って、手紙の束を埋める。

 いくら市郎でも、さすがにその紙を計算用紙か裏紙として使おうという気にはならなかった。

 だってそれは、悪意に満ちた沙里菜への中傷の手紙だったから。

 彼は、6時間目の終了間際に『トイレ!』と言って教室を出た。

 実は、沙里菜が帰る前にその手の手紙を下駄箱から回収するためであった。

 案の定、下駄箱に4通ほどそういう紙切れが入っていた。

 彼としては、沙里菜に気持ちよく下校してほしかったのだ。

 そして今、掘った穴に手紙を突っ込み、上から土をかける。

 そこへ、ニャアと一声上げて黒猫が近づいてきた。

「お——、クロじゃないか。元気か?」

 市郎は親しげに、猫の頭と顎をなでる。

 クロはのどをゴロゴロ鳴らして喜んで、目を細めた。



 この猫は、もともと子猫の状態で河原に捨てられていた。

 ダンボール箱の中で、お腹を空かしてミャーミャー泣いていた。

 それを、市郎が足しげく河原に通っては、餌を与えたのである。

 初め市郎は飼うつもりだったが、親に反対されて仕方なく河原に通った。

 その甲斐あって、クロは立派な野良猫(?)に育った。

 クロという名も、市郎がつけたものだ。黒猫だからクロ、という何のひねりもない安直なネーミング。そういう方面では、市郎にはセンスがなかった。

 だからクロはと市郎とは、長年の友同士なのだ。

「聞いてくれよ、クロ。実はさ、また村井さんが……」

 市郎は、クロに対していつも人間のように話しかけた。

 クロは、市郎の話を理解しているのかいないのか、いつもそのまんまるな目をぱちくりさせながら、おとなしく聞いているのだった。



 そんなある日のこと。

 給食の時間に、村井沙里菜が市郎に声をかけてきた。

 他のクラスメイトに聞こえないように、そっと耳打ちをする。

「……今日の放課後さ、話がしたいんだけど——」



 誰もいなくなった教室で。

「山尾くん、ありがとね。私に付き合ってくれて」



 ……キレイだ。



 市郎は、ドギマギした。

 近くで見れば見るほど、小学生とは思えない色香がある。

 日頃沙里菜のために動いているとはいえ、一切表舞台には立たないと誓っている市郎は、絶対に自分のことを悟られまいとしてきた。そして日常的に沙里菜と仲良くすることはおろか、会話する事すらなかった。

 しかし。

 この直後、市郎にとってはかなり心臓に悪い現象が起った。

「山尾くんっ」

「イイイイイッ!?」

 何と、沙里菜が市郎に抱きついてきたのだ。

 どこのシャンプーを使っているのか知らないが、沙里菜のキレイな黒髪からは得も言われぬいい匂いがしてきて、鼻腔をくすぐる。それの上、ほのかな香水の匂いまでして、頭がクラクラする。

 しかも、小6にしては豊満な少女のバストが、フニョリと市郎の胸に押し付けられてゆがんだ。市郎の心臓の回転数メーターは、一気にレッドゾーンにまで振り切れそうになった。

「今までありがとう。私のこと陰で助けてくれて——」 



 沙里菜の告白した話は、実に不思議な内容だった。

 市郎が彼女に自分と悟られないようにしてきたのに、どうしてバレたのか。

「夢よ」

 夜に見た夢の中で、教室の壁が、床が、掃除用具のほうきやモップが、黒板や黒板消しやチョークたちが……市郎のしていることを沙里菜に教えたのである。

「みんなね、まるで生き物みたいにね、ピョコピョコ跳ねたりするの。人間の言葉までしゃべるんだから」

 物たちは口々に市郎のいかに素晴らしいかを誉め、映画のように陰で沙里菜のために動く市郎の姿を映してみせたのだという。

「そっか、私を守るために山尾君がこんなに自分のことも伏せて立ち回ってくれてたんだ、と思うとね。もううれしくってうれしくって……」

 人気子役だが、演技でも何でもない本当の涙を浮かべる。

 ポロポロ涙を流す沙里菜に、市郎は男らしく胸を貸した。

 腕の中で、沙里菜は安心しきった表情で、目を細めた。

 そんな二人を、窓辺から教室に差し込む夕日が照らしていた。



 すっかり、夕方になった。

「それじゃ、私校門に車が迎えに来ることになっているから」

 下駄箱から歩きながら、沙里菜は市郎にお別れを言った。

 二人は、もうすっかり友達だ。いや、微妙にそれ以上とも言える。

「あ、もう来てる」

 校門向こうの道路に目をやると、確かにそれらしい車が一台、寄せて止めてある。

「じゃ山尾君、バイバイ」

 しかし、そう言った直後の沙里菜の表情がゆがんだ。

「あれ? いつもの人と違う……あの、マネージャーさんは?」

 次の瞬間。

 サングラスをした黒スーツ姿の男は、いきなり沙里菜をドアを開け放った車の中へ突き飛ばした。沙理奈を車の後部座席に押し込むと、その男も隣に乗り込みドアを閉めた。運転席にいる別の男が、あっという間に車を発進させてしまった。

「きゃあああああああ 助けてえええええええ」

 沙里菜の叫びは、車内に虚しく消えていった。

 市郎は沙里菜を守ろうと頑張りはしたが、所詮小学生の力でしかなかった。簡単に弾き飛ばされ、電柱に激突してしりもちをついた。

「イテテテテテテ……これって、誘拐だよな?」

 しかし、立ち上がった市郎は途方にくれた。

「警察に電話するくらいしか、できることはないよな……」

 市郎は、己の無力さに唇をかんで悔しがった。



 

【同時刻 山尾家・ガレージ】



 真っ暗なガレージ内に、不思議な光が満ちた。

 静寂の中、ひとりでに車のエンジンがかかった。

「こちらアルファ・起動完了」

 ヘッドライトが点灯する。その次の瞬間——

「こちらベータ。これより起動する。オペレーション・ブルー、発動」

 市郎の兄貴、次郎が作ったバイクの化け物、Z1053のエンジンがかかる。

 計器にもライトがともり、誰も触れていないのにアクセルが動いた。

 グオン・グオンという空ふかしのエンジン音がうなりを上げる。

 ガレージのシャッターが、ひとりでに上った。

「アルファ・及びベーター・スタンバイ」

 

 

 市郎の飼っているカブトムシが、かごを突き破って空中に躍り出た。

 目にも止まらぬ速さで羽根を振動させ、ヘリのように空中で静止した。

「こちらガンマー。システム・オールグリーン」

 アルファと名乗る車が、ガンマと名乗るカブトムシに話しかける。

「デルタの準備状況は?」

 窓の隙間を抜けて住宅街の空中に躍り出たカブトムシは、触覚をうごめかせながら車との通信を続ける。

「現在こちらに向かって移動中。ベータとの接触推定時間、40秒後」

「了解」



 静かに、車のシフトレバーがドライブモードに入る。

 バイクのクラッチが、ニュートラルから一速につながる。

「ロード・ガンナー、ファイター・ガバナス発進!」

 山尾家の乗用車とバイクは、恐ろしい速さで街を疾走した。

 そこへ、これまた恐ろしい速さで激走してくる一匹の猫がいた。

 あの、クロだ。

 クロはニャアアと一声高く鳴くと、バイクの運転席に着地。

 前足をハンドルに添え、姿勢を低くした。

「ロード・ガンナーのパイロット・デルタスタンバイ。これより、任務に入る。空を飛行できるガンマは先に行って、現場の状況を逐一知らせよ」

 猫が、しゃべっている。

「了解」

 カブトムシはカブトムシで、クロの言葉を聞いて納得して、彼方の大空へと飛翔していった。アルファ・ベーター・ガンマ・デルタの各機は同時に叫んだ。

「ご主人様のために!」



 市郎は、腰を抜かしかけた。

 見たことのある車が来たと思えば、急にドアが開いた。

「これって、ウチの車じゃん?」

 しかし、運転席にいるはずの父か兄貴が、いない。

「乗ってください。ご主人様」

 へ? 誰の声?

「急いで。時間がありません」

 頭が混乱する。

 わけも分からず、とりあえず助手席におさまった。

「ファイター・ガバナス発進!」



 ……うそおおおおおおお!



 運転手不在のその車は、勝手に走り出した。 


 

 車内で、市郎は不可解な会話が飛び交うのを聞いた。

「こちらアルファ。ご主人様との合流に成功。ガンマ、そちらの状況は?」

「こちらガンマ。今、近回りして地下鉄内を飛行中。ターゲットは渋谷インターから首都高に入った。湾岸線を抜けて、東名高速に入り名古屋方面へ向かう気だ。今日に限って車の流れがよいので、モタモタできない——」

 何だか居心地の悪い市郎は、車に話しかけた。

「あのさ。さっきからアルファとかベータって何だよ?」

 ファイター・ガバナスこと通称アルファは、ご主人様に丁寧に説明した。ベータが兄貴のバイクで、ガンマがカブトムシで、デルタが黒猫のクロだということを。

「マジかよ!」

 信じられない、と頭を抱えて市郎はうめく。

 話がウソでないとすると、兄貴の開発したお化けバイクを運転しているのは、ネコのクロらしい。

 市郎は、ネコがバイクにまたがっている様子を、頭の中で想像した。

 そして、思わずプッと噴出した。



 市郎が想像したまさにその通りの様子で、クロは国道を激走していた。

 皆が振り返って唖然とした。奇妙すぎるその光景に目を奪われたドライバーが、玉突き事故まで起こす有様だった。

「デルタ、デルタ、緊急事態」

 バイクがクロに話しかける。

「何だよ」

「作戦達成には、今の燃料では足りない。ガソリン補給の必要あり」



 クロは、手近なガソリンスタンドにバイクを滑り込ませた。

「いらっしゃいませ~~~?」

 スタンドの若い店員のお姉ちゃんは、目を丸くした。

 クロは横柄な態度で、要求する。 

「レギュラー満タン。こっちは急いでるんだ、早く!」

「は、はいっ」

 満タンにまで給油が終わると、クロはセルスターターでエンジンをかけた。

「助かったよ。じゃあな」

「あ、ありがとうございました……」

 あっけに取られて、ネコの駆るバイクを見送るスタンドクルー。

 代金をもらうのを、すっかり忘れているのだった。


 

 車は、首都高に入った。

 市郎は、料金所をどうやって通るんだろ? と心配したが——



「ホバー・ジャイロシステム・作動」



 何と、料金所手前で空を飛んでしまったのだ!

「ひえええええええ」

 市郎が絶叫している間に、料金所を超えた車は再び道路に着地した。

「ご主人様、危ないので気をつけてください」

 何のことだろう? と思う間もなく車体がガクン、と揺れて——



「ハイパー・ドライヴ・モード」



 マフラーからジェット噴射のような煙を吐き散らしながら、車は恐ろしいスピードでハイウェイを突き進んでいった。速度メーターを見ると——

 じっ、時速280km!?

「ご主人様、心配しないで。私の運転技術を信じてください」

 それだけ速度が出ているにもかかわらず、どの車ともぶつからない。

 まさに、奇跡としか言いようがなかった。


 

「遅いぞ、ベーターにデルタ。現在位置を知らせよ」

 沙里菜を誘拐した車は、すでに東名高速を走行中。

 間もなく名神、つまり関西だ。

 市郎を乗せた車は、その2つ手前のインターから追い上げている。

「こちらデルタ。給油に手間取り、まだ静岡越えしたところだ」

 クロの報告に、アルファは眉をひそめた。

 その証拠に、ワイパーが動いてフロントガラスに逆『ハ』の字を描いた。

「それはちと遅いな」

「……仕方ない。燃料配分を考えたら控えたいところだが、この際安全策ばかりとっていられないな。総員に緊急告知! ただいまよりオペレーション・ブルーをオペレーション・レッドに変更!」

「アルファ、了解」 と、車。

「ガンマ、了解」 と、カブトムシ。

 クロは、計器の真ん中の赤いボタンを思いっきり押し込んだ。



「反重力システム・反陽子対流エンジン作動! 変形開始!」


 

 お化けバイクは、急にその車高がガクン、と低くなった。

 そのうちに、前輪も後輪も車輪がパカン、と割れた。

 胴体部分から、二本の腕と二本の足のようなものが伸び——

 ついにはアイカメラの付いたロボットの頭部のようなものが突き出てきた。

 それは、どうみても……マンガの世界の人型変形ロボだった。

 割れた車輪の中から出ているジェット噴射が、空中を飛行する推進力になっているらしい。そのメカ生体は、バイク形態の時とは比較にならない速度で空を飛ぶ。

 変形によってできたコックピットにおさまったネコのクロは、点滅する計器類に囲まれながら操縦桿を思いっきり引いた。



「スーパーモトロイド・完成!」



 市郎の乗った元父親の中古車スーパーカー・『ファイター・ガバナス』は、沙里菜を誘拐した車にかなり肉薄していた。

 敵も、追っ手に気付いた様子で、いきなり吹田インターで高速を降り、国道171号線に向かう道に出た。

 関東人の市郎には、もうどこがどこだかさっぱり分からない。

 何だか、テレビか映画でしか耳にしない音が聞こえる。

 バリバリバリ

「あのさ、これって機関銃の音じゃ……ないの!?」

「そのようです。ご主人様」

 アルファは、沈着冷静である。

「この車は防弾仕様です。ご安心を——」

 市郎は思った。

「ウチの車って、そんな高価なものだったっけ?」


 

 ついに追い詰めた。

 ファイター・ガバナスは敵の車の後部に軽く車体を追突させて、プレッシャーを与えている。

 めちゃくちゃに攻撃的な性格らしい。

「おいっ、あれには沙里菜ちゃんが乗ってる、ってことを忘れるなよ! ケガとかさせたら承知しないからなっ!」

「もちろんです。ご主人様の奥様を傷つけるようなまねはいたしません」



 ……おっ、おっ、おっ、奥さああああん!?



 市郎は真っ赤になった。

「ごっ、誤解だあああ」

「誤解も六階も阿藤快もありません。いよいよこちらから仕掛けますよ!」

 その時。

 道の両脇から、数台の車が急に迫ってきた。

「敵の援軍のようですね。どうやら、時間を稼がれてしまったようです。こんなことができるのは、大規模な犯罪組織の誘拐グループですね」

 数台の車は、沙里菜を乗せた車との間に強引に割って入ってきた。こちらを遠ざける気なのだろう。

「な、何とかならないの?」

「お。こちらにも援軍が到着したようですよ——」



 100メートル上空から、モトロイドが迫っていた。

「それでは、攻撃に移る」

 モトロイドのパイロット・クロの声。

 足元に収納されていたた2丁の銃火器を構える。

「ガンマ、狙撃サポートよろしく!」

 クロからカブトムシに、檄が飛ぶ。

「了解」

 チームのレーダー的役割を担うカブトムシは、敵の正確な座標を割り出す。

「……照準よし。座標誤差自動修正プログラム・異常なし——」

 銃身が火を噴き、辺りはまばゆい閃光に包まれた。



 リボルティック・ブラスター・キャノン!


 

 沙里菜の車までをふさいでいたすべての車は、やがて速度が落ち、後方に流れて見えなくなっていった。

 これで、再び一対一の関係になった。

「作戦を、最終段階に移します」

 車がそう言ったあと、ボンネットが沈んで、イヤな音を立てて裏返る。そこに現れたのは——

 6連装の地対艦ミサイルランチャーだった。



「カロリックミサイル・発射!」



 白い煙の尾を引きながら、弾頭はまっすぐに前方の車を目指した。

「おい、おい!  撃破したら村井さんが!」

「だから、奥さんは大丈夫ですって申し上げたでしょうが」

 車がそう言う間もなく——



 モトロイドは敵の車のドアをもぎ取り、中から沙里菜を救出した。

 彼女を抱きかかえたモトロイドは、一気に空中高くに離脱。

 爆破の影響圏内を抜けた。

 あわれ、ミサイルの洗礼を受けた敵の車は路上で大爆発を起こした。

「作戦完了!」

 アルファ・ベーター・ガンマ・デルタの声が重なる。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 

 モトロイドに抱きかかえられた沙里菜は、道路脇に降ろされた。

「村井さああああん!」

「山尾くん!」

 二人は、東京から離れた大阪の地で、しっかりと抱き合った。

 沙里菜も、ずっと不安だったのだろう。一気に緊張感が解けたのか、涙目だ。

「助けてくれて、ありがとう」

 市郎の手を握りながら、沙里菜は気丈にも微笑んだ。

「きっと、日頃から物を大切にしているから助けてもらえたんだよね」

 ロケット弾を放つ車に、バイクから変形するロボット。

 沙里菜はそれらの奇跡を見ながら、素直にそう思ったのだろう。

「そうだな。全部こいつらのおかげだしな。お礼を言わなくちゃ——」

 しかし。二人が周囲を見回すと……

 車は、ただのポンコツ車に。

 バイクは、元のバイクに。

 カブトムシはどこかに飛び去って、いない。

 二人がいくら話しかけても、人間のように返事をすることもなかった。

 


「まぁ、いっか」

 市郎は、大きく背伸びをした。

 そこに、複数のサイレン音が聞こえた。

「……警察が来たみたい。早いわね」

 二人は手をつないで、パトカーの方に歩き出した。

「おっと、忘れてた」

 市郎は振り返って、15メートルほど来た道を戻る。

 彼が抱き上げたのは、ネコのクロだった。



「お前も、一緒じゃなきゃな! ありがとよ、クロ」

 市郎に抱かれたクロの頭を、沙里菜もなでる。

「いい子、いい子」



 クロはニャアニャアと鳴いて、気持ちよさそうに目を細めた。

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