第116話 囚人

 地下室に続く廊下に、一つの足音が響き渡る。

 足音は、廊下の一番奥へたどり着くと、目の前にある扉の前で止まった。


 手が伸び、ドアノブを回す。

 軋んだ音を立て、扉が開かれた。


 目の前に広がるのは、地下室にしては広く、綺麗に整頓された部屋だった。

 中には、衣服を収納する家具やベッドが並べられている。しかしそれらを使用する人間の姿が見えない。


 不審に思い、部屋に踏み込んだ瞬間。


「……動くな、メディア」


 耳元から聞こえた鋭い声に、足音の主であるメディアが立ち止まった。

 首元にひやりと、何か鋭い物が当る感覚が分かる。


 しかし危険な状況にいながら、メディアは表情一つ変えず、ゆっくりと口を開いた。纏う雰囲気には、余裕すら感じられる。


「お元気そうですね、ライザー様」


「元気そう? 面白い事を言うな、メディア。これが元気そうに見えるか? 笑わせるな」


 メディアの横には鋭い破片を突きつけた、エルザ王――ライザーがいた。手に持った破片は、おそらく陶器の皿を割った物だろう。人を殺すには心もとない道具だが、傷つける場所によっては致命傷は免れない。


 ライザー・エルザは、メディアによってこの部屋に監禁されていた。 


 耳元近くまであった青い髪は乱れ、ミディと同じく美しく澄んでいた青い瞳は憎しみの為に充血し、濁っている。


 それに、ろくに休息を取っていないのだろう。鍛えられた肉体も痩せ、頬もこけ、影が見えた。王の足には、部屋から外に出る事が出来ないよう、罪人の鎖が付けられている。部屋を自由に動けるような長さはあるが、自由が奪われていることには変わりない。

 

 ライザーの言葉に、メディアは喉の奥で笑った。


「いやいや、お元気そうに見えますよ? あれだけ幻花を体内に入れながら、それだけ動き回れるのですから。賞賛に値しますよ」


「……黙れ」


 破片を握る手に力が篭る。


 しかしメディアは、ライザーの手を掴むと、そのまま力任せに壁へ突き飛ばした。


 ライザーはメディアの力に抵抗できず、ふらふらしながら壁に激突した。声をあげると、壁にもたれながらゆっくりとその場に崩れ落ちる。


 何とか根性で身体を動かしているが、やはり幻花は、彼の体を少しずつ、だが確かに蝕んでいるようだ。


「無理をなさらないで下さい、ライザー様。あなたには、まだこれからやって頂かなければならない事があるのですから」


 倒れたライザーの前に立ち、メディアが見下すような視線を向ける。

 その言葉に、ライザーは弾かれたように顔を上げた。


「ミディは……、キャリアはどうしてる!」


「キャリア王妃は、王とミディローズ様のお話しをさせて頂いた後、体調を崩されてしまいましてね。別邸でお休み頂いておりますよ」


 まるでちょっとした風邪を引き、休養を取っていると言う様な、軽い口調でメディアが答えた。もちろん体調不良の原因は、風邪などではない事は、分かりきっている。


 その声の調子に、ライザーは爪を立てて強く手を握った。

 妻が、目の前の男のせいで苦み、体すら壊している。激しい怒りと、何もできない自分への不甲斐なさが、王の心を支配する。


 体の自由がきけば、今すぐにでもメディアの首を絞めに向かう気迫で、王は怒鳴り声を上げた。


「キャリアは争いを望まない、心優しい女性だ! こんな状況に耐えられる訳がないだろう! キャリアの口を塞ぐ為に、わざと俺の事を話したな!?」


「どうなっているか聞かれたので、お答えしたまでですが?」

 

 いけしゃあしゃあと答えるメディアを、ライザーが殺気を含んだ視線で睨んだ。

 しかし、メディアは対して気にかけていない様子で、少し顔を上げ、何か思い出した様子で人差し指を立てた。


「そうそう、ミディローズ様は大人しくなりましたね。我儘を言うことなく、自分よりも強い者と結婚するという、下らない事を言わなくなりましたしね」


 いつもの娘らしからぬ様子を聞かされ、ライザーは眉根を寄せた。


 ミディが城に戻り、メディアと結婚するという事は、知っているようだ。だが、それがミディ自らが望んだ事ではないという事も、この男が仕組んだ事も当然分かっている。


 娘の性格上、両親そして国の危機が迫る中、黙ってメディアの言いなりになるわけがない。


「大人しくなった? お前、ミディには何をした? あの娘が、俺達を人質に取られたからと言って、大人しくしているわけがない」


「いえいえ、大人しくなりましたよ。私の言う事なら何でも聞いてくれる、とても素直な女性にね」


 彼もミディの我儘には、かなり振り回されたのだろう。素直という言葉に、相当な皮肉が込められているのが感じられる。


 彼の言葉に、何か気づくものがあったのか、ライザーは目を見開いた。

 自分の気づきに、思わず折れそうになるくらい強く歯を食いしばる。


「貴様……まさか、ミディにも幻花を!!」


 叫び声に近い声を出し、身を乗り出した。


 メディアは、何も言わない。ただあざ笑うように、自らの手に堕ちた王を見ている。

 かつての臣下の笑いから、自分の考えが正しい事を知った。


 本来なら立ち上がり、メディアの襟元に食って掛かっているだろう。しかし幻花に蝕まれた体は、それを許さなかった。


 言う事を聞かない足に、ライザーは悔しそうに拳を叩き付ける。


「メディア……、お前は今までエルザを懸命に守ってくれていた。お前の考えてによって、たくさんの民が救われた……。皆がミディの力を恐れるが故に言えぬ事も、お前だけは面と向かって指摘してくれた。それなのに何故、こんな事を……。全て……、全て、この日の為の演技だったというのか!?」


 足に拳を置いたまま、ライザーは呟く。


 メディアを信頼していた為、この裏切りの衝撃は大きかった。いや、王だけではない。メディアを知る者なら誰もが信じられないことだろう。


 それほどメディアは、エルザ王国の為に尽くしてきたのだ。


 ……周りの目から見れば、であるが。


 ライザーの呟きに、メディアは冷めた様子で短く息を吐いた。

 しかし一瞬だけ、昔を懐かしむように目を細めたのを、ライザーは見逃さなかった。

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