はんぶんこ
賢者テラ
短編
「はんぶんこね」
それが、彼女の口癖だった。
彼女と初めてデートしたのは、高2の秋。
部活帰りに、ミスド寄らない? と誘った。
「私、今財布にほとんどお金ないんだ……」
彼女は懐具合と相談して、難色を示した。
実は、僕もそれは同じだったのだが、秘密兵器があった。
「なぁに、こういう時のためにね——」
ジャジャン! 僕は、ドーナツ半額券を取り出してみせた。
「すっご~い、用意いいんだぁ!」
彼女の笑顔が、ちょっとうれしい。
「…………」
僕と彼女は、トレーを机に置く。
向かい合って座り、机の上を見つめる。
恥ずかしかった。
さっき、店員さんに半額券を見せたらば——
「お客さん、これ有効なのは来週の頭からなんですけど」
えっ?
僕は今日の朝刊の折込チラシに 入っていたのを取ってきたのだが?
有効期限を見ると確かに、キャンペーンは来週からだ。
……有効になる日に入れろよな!
そう思ったが、時すでに遅し。
僕は、彼女の前で大失敗だ。
結局、二人の所持金を合わせて何とかそれぞれにドリンクと、たったひとつのドーナツを買うのが精一杯だった。でも彼女は、うれしそうにニッコリする。
ひとつのドーナツを丁寧に半分に割って——
「はんぶんこ!」
そう言って僕に半分のドーナツを差し出してくれた。
「あっ、ああ」
彼女は満足そうに、半分しかないドーナツをむしゃむしゃ食べ始めた。
僕は、世界で一番美しいものを見た。
もう、彼女しか見えなかった。
「はんぶんこして食べるとね、一人で一個全部食べるよりもね、とってもオイシイんだよね!」
僕は、この日に食べた半分のドーナツの味を、二度と忘れることはなかった。
何を話したかなんて、ゼンゼン覚えていない。
彼女を一生離したくない、と強く思ったことしか記憶にない。
大学時代越しの、6年の交際期間を経てゴールイン。
結婚式の日は、本当に幸せだった。
もう何もいらない、とさえ思った。彼女にそう言ったら——
「あのね~、これから家庭を持てばね、色々物入りなんだからぁ!」
ドレス姿の彼女はコロコロ笑って、そう言って僕の脇腹を肘で突いた。
披露宴で出されたフランス料理のフィレステーキ。
何を思ったか、彼女はその子ぶりのステーキを半分にカットした。
そして、僕の口に持ってきた。
「はんぶんこ!」
披露宴の客席からは、お熱いね~! などという声が飛んでくる。
僕の瞳に、高校時代初めてのデートで半分のドーナツをくれた制服姿の彼女と、今のウェディングドレスを着た彼女の姿とがだぶって見えた。
……おいおい。一人ずつちゃんと料理があるんだから、いいのに。
その必要はゼンゼンないのだが、僕も同じように自分のステーキを半分に切り、お互い相手の口にそれを入れた。
僕はうれしくって、少し泣きそうになった。
僕の会社が、潰れた。
上層部の汚職が明らかにされ、信用は失墜。
社会的にも実質的に抹殺された形となり、事実上の倒産となった。
彼女に、満足に食わせてやれない。
生活費が、足りない。
子どもはまだだが、これからほしいと思っていた矢先のことだ。
今こんなことでは子育てして十分な教育を受けさせてやることだってできない。
僕の一族はあまり裕福ではなく、親もすでに年金生活に入っていて頼れない。
彼女のほうは、両親が強く勧める結婚相手を蹴ってまで僕を選んでくれた。だから、当然援助など期待できない。
「コロッケ、はんぶんこ!」
生活苦の中でも、彼女はやさしかった。
彼女は、家計を助けるために外で働きだしたらしい。
どこで? と聞いても近所のスーパーで、としか言わない。
何だか、いつもの彼女とは違う不自然さを感じた。
確かにここ最近、家計は一息ついている。
だが……『助かりすぎている』のだ。
僕は、隙を見てこっそりと彼女が管理する家計簿と、彼女名義の通帳を見た。
……何だって?
たった二ヶ月余りで105万。
一体、何をやっている?
僕はある日、こっそり彼女のあとをつけた。
彼女がドアを開けて入ったそこは——
風俗店だった。
その夜、僕は彼女に思いっきり平手打ちを食らわせた。
彼女の体は吹き飛んで、テーブルごとひっくり返った。
「バカッ」
僕は床にしゃがみ込み、こぶしでフローリングの床を殴った。
痛さなんて分からない。何度も何度も殴っているうちに、こぶしが血まみれになっていた。
「そりゃ、オレの稼ぎが少ないのは認めるさ。でも、だからってな——」
彼女は、顔を天井に向けてボロボロ泣き出した。
「はんぶんこぉ、はんぶんこぉ……」
辛うじてそう聞き取れた。
彼女は一晩中、声を上げて泣き続けた。
三年後。
僕も、必死の努力が実って正社員の職をつかんだ。
少しずつだが、貯金もできるようになった。
晶子と名付けた、かわいい女の赤ちゃんも生まれた。
この頃が、僕ら二人に再び訪れた幸せの絶頂だった。
しかし——
僕は、重い病気にかかった。
数ヶ月入院したが、退院した。
決して治ったわけではない。
なぜなら——
もう手の施しようがないから、せめて最後くらい住み慣れた家で過ごさせてあげましょう、という医師の配慮だったのだ。
ある夜。
僕は何とか気力を振りしぼり、作り笑いをして彼女に言った。
「君はまだ若い。晶子にだって、お父さんが必要だろう。もしいい人が現れたら、僕に遠慮なんかしないで再婚しろよ。天国でやきもちなんて焼かないからさ」
その言葉を聞いた彼女は、ただただ泣くばかりだった。
やがて僕は眠りについてしまったが。
彼女の僕を助けたいという強すぎた思念は——
思いもよらぬ事態を引き起こした。
はんぶんこ。
あなたとわたしは、いつだってはんぶんこ。
はんぶんこ
はんぶんこ…………
はんぶんこぉ!
それが、彼女の最後の叫びとなった。
次の日の朝。
僕の手をにぎったままの彼女は——
すでに冷たくなっていた。
医師は、これは奇跡だとしか説明のつけようがない、と言った。
彼女は死んだ。
その代わり、絶望的だと言われた僕の病気が完治していた。
この世に僕と娘の晶子を残して、彼女は去って行った。
おい。
はんぶんこ、じゃなかったのかよ?
聞こえてたぞ。
夢うつつでな、お前の叫ぶのが何度も聞こえた。
僕を救うために、結局半分の力じゃ足りなかったのかよ。
全力使い切りやがって。
バカ。
お前がいなかったら、いなかったら……!
「帰ろっか」
墓参りを終えた僕と、7歳になる娘の晶子。
水の入った桶とひしゃくを、霊園の専用の置き場に返す。
「ねぇ、お父さん」
晶子は不思議そうな顔をして聞いてきた。
「なんで、ドーナツはんぶんだけお供えするの?」
僕は、死んだ彼女との間に残った、最大の思い出である娘の顔をのぞき込んだ。
「うん。こうするとさ、ママが喜ぶんだよ」
夏の青空の下、僕は昔を懐かしんで太陽の光に目を細める。
「晶子、知ってるかい? 何でもね、ひとつのものをはんぶんこにして二人で食べるとね、とってもおいしいんだよ。一人で全部を食べちゃうよりもね——」
「ふぅん」
晶子はちょっと考えるような、ませた顔つきになった。
「じゃあ、ママにドーナツあげたから、私らもドーナツ屋さんに寄って食べよ!」
駆け足で僕の数メートル先を走り、立ち止まってクルッと振り返る。
「もちろん、はんぶんこね!」
晶子の顔は、彼女そっくりだった。
はんぶんこ 賢者テラ @eyeofgod
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