さよならジレンマ (3)

 行きつけだったゲームセンターの前まで辿り着くと、雨宮は一つ深呼吸をした。


 頬を叩く。

 もう一度呼吸を整えて、心を落ち着ける。


 すでに筐体の前にいるはずの彼女になんて声を掛けようか、それももう決めている。


 なるべく普段通りに接する。これまでどおりの関係を維持する。少しでも気を抜けばたちまち腑抜けにされてしまうから気持ちを引き締める。


「悪い。待たせたな、エリナ」


 格闘ゲームの筐体で真っ昼間に一人で真剣にレバガチャをしている彼女に、雨宮は声を掛ける。まるでいつかと同じように。


「……お。やっときたかぁ、レオ」


 彼女が顔を上げる。嗅ぎ慣れない柑橘系の香水の匂いが、雨宮の鼻孔をくすぐる。


 どういうわけか、エリナは香水を変えた。


 檸檬は嫌な記憶が多いからと、それこそ、まがりなりにも彼氏である雨宮に相談をすることもなく唐突に、蜜柑の甘酸っぱさを纏うようになってしまった。檸檬がお気に入りだった雨宮は心底へこんだが、下手に文句をいうものなら怒髪天を貫くほどにエリナが怒り出すものだから、とうとう何も言えなくなってしまい、その微細で重大な変化を渋々受け入れている。


「こっから、代金は俺持ちで」

「お、そいつはありがたい。そんじゃ、よろしくっ」


 パーカーの上から制服を羽織ったエリナが微笑む。まるでいつもと代わり映えしない会話は弾んで、膨らんで、広がっていく。


 張りぼてで虚像を限界まで引き延ばしたような歪さを、エリナはどこまで認識しているのだろう。いつまでもこんな曖昧な関係のままではいられないということをどれだけ自覚しているのだろう。


 ただただ思い人を嫌いになれないだけの男と、思い人に嫌われたくないというだけの女の間に、本当の愛なんでものは成立するのだろうか。



 まぁ、でも。


「なぁ、エリナ」

「なぁに?」

「いま、幸せか?」


 突拍子もない問いかけに、けれどエリナは迷うことなく即答する。


「うん。もちろんっ」

「……そうかい」


 そりゃあ、良かった。

 いまばかりは、心からそう思える。


 この笑顔を拝めるのなら、小難しい問答の正解を探すのはまだまだ先でもいいのかもしれない。


 いつか壊れる定めの青春も、まだ始まったばかりなのだから。

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失って初めて気付く恋心の小説 辻野深由 @jank

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