さよならジレンマ (2)

 仕方なく午後の授業を出て、下校の時間が訪れると同時に教室を出ると、もう一人の恩人とばったり出くわした。


「なんだお前もサボりか」

「あんたと一緒にしないでよね。授業が早く終わっただけだから」


 どういうわけか少しだけ不機嫌な秋葉。


「そんな顔してどうした。調子悪そうだな?」

「あのあとエリナとどうなったのかなんの報告もなかったことに怒ってるんですけど」

「あ、ああ……」


 そういえば完全に失念していた。


「頭から完全に抜けてたでしょ」

「いや……それは…………その…………、その節は大変ありがとうございました」

「まぁ、ちゃんと感謝してるならいいけど。結果もエリナから聞いてたから」

「さいですか」


 とはいえ、自分からなにも話をしないのは流石にナシだろうと考え、校門を出て最寄り駅に向かうまでの間にあれやこれやと報告をする。あそこまでお膳立てをしてくれたのだから、最低限のつとめだろう。


「そういうわけで無事に諸々と決着が付きました」

「なに最後は他人事みたいにまとめようとしてるのよ」

「別に他意はないぞ」

「あ、そう……、まぁ、とにかく丸く収まってめでたしなんじゃないの」

「……お、おう」

「ん? なんか微妙な反応だけど、どうしたの? さっそく問題噴出?」

「いや……そういうことじゃないんだけどな……」


 一つだけ引っかかりを覚えるとするなら、その態度である。


「おめでとうって割にはちょっと素っ気なくないか?」

「っ……」


 どういうわけか、これまで体面上だけでも朗らかだった秋葉の顔が硬直した。


「そこで言葉に詰まるのもおかしい」

「き、気のせいじゃないかなー」

「……まさか」


 雨宮の反応に一層表情を強張らせる秋葉。

 間違いない。


「まさか秋葉、エリナから俺の愚痴を散々聞かされてるのか……?」

「……………………はぁ」


 彼女が駅のホームでがくりと肩を落とす。


「鈍感で命拾いしたわ……」

「なんだって? 声が小さくて聞こえなかったんだけど」

「こっちの独り言。素っ気なく感じるのは、あんたが幸せの絶頂に浸りすぎてるから感性が鈍ってるってことなんじゃないの?」

「んなわけあるか。俺は平常運転だ」

「あっ、そ。それはそれで青春を謳歌してないみたいに聞こえるから憎たらしいことこの上ないんだけど」


 そう言ってそっぽを向く秋葉。それきり会話をする雰囲気でもなくなってしまった。


 ポケットからスマホを取り出してエリナからのメッセージを確認する。

 いつもの場所に集合とだけ書かれた文字面。

 ただ、これまでと違うのは、そこに彼女らしくない絵文字が散りばめられていることくらい。


 折良くやってきた電車に乗り混むと、「ねぇ」と秋葉が口を開いた。


「あんたさ、これから先、エリナとちゃんとやっていけるの?」

「なんだよ、藪から棒に……」

「そりゃあ心配にはなるわよ。いまこうして何事もないように見えるのが不思議なくらいには壊れかけていた関係だったんだから」


 ごもっともである。


「少なくとも俺は予防線を張ってあるから」

「そうじゃなくて……もしこれで今度こそ別れる、絶交するってなったら、なにをしでかすか分からないじゃん、あの子」

「そう不安になるのも分からないではないけど……」

「こう言っちゃ悪いかもだけど、あの子、若干メンヘラ要素あるし」

「…………」

「あ、いや……ごめん、別にそういうつもりで言ったわけじゃないからっ」

「……お、おう」


 秋葉はばつの悪そうな顔を浮かべてまた黙りこくってしまった。

 ただ、その指摘は思うところがあったし、どころか雨宮だって、エリナについてはその気があるんじゃないかと疑っていたくらいだ。それだっていらついた挙げ句に学校の窓硝子を割って回った張本人が厚顔無恥に言えることではないのだが。

結局、性格や言動に難ありなのはお互いが知っていることであり、今さらどうした、というくらいまである。


 最寄り駅に到着するまでの数駅は気まずい空気が支配していて、何を話題にしても盛り上がる空気にならなかった。たまにはこういうこともあるだろうし、気にするようなことではないのかもしれないけれど、不気味なまでに秋葉は静かだった。


「……あの、さ」


 改札を潜り抜け、それぞれの帰路に別れる直前、秋葉が雨宮を呼び止める。


「ん?」

「もしも……、あんたがエリナと付き合うって選択肢がなかったとして、さ……」

「おう」

「あたしは、可能性あったりしたのかな……」

「――っ」


 何を言い出すかと思えば、突きつけられたのはあまりにも夢物語なif。


「……熱にでもあてられたのか知らないけどさ、仮に俺がエリナを選ばなくても、秋葉と付き合うなんて未来は万に一つもなかったよ」

「そこまではっきり言われるのもグサっとくるもんだね……」

「傷つくほど価値がある男じゃないぞ、俺」

「……はは、そりゃそうかもしれないけどさ、色々あるんだよ、こっちだって。そりゃあ、お膳立てした手前、野暮なことは言えないけどさぁ……、少なくとも、あんたを彼氏にするチャンスくらいはあったんじゃないかって思ってたんだよね。実際にするかどうかは別として、万が一ってこともあり得たかも……って矢先にきっぱり全否定だったからさ」

「女子としてのプライドに触れたなら謝るけど」

「やめてよね、全然そういうんじゃないから」


 勘弁してくれとばかりに首や手を振って否定の意志を露わにする秋葉。


「話題を振ってきたのはそっちだろうが」

「それは、そうだけど……、ああもう、なんかほんとごめん。あたしも自分でなにやってるんだかわけわかんなくなってきちゃった……。すごい疲れてる気がするし、今日はもうさっさと寝る」

「おう、そうしろ。具合悪くなったら連絡しろよ。見舞いくらいは行ってやる」

「期待はしてないし余計なお世話。あんたが浮気したらあたしがエリナに刺されちゃうから、こっちから願い下げよ」

「んだよ、可愛くないな……。そんじゃーな」






 幸せを纏った男の姿が見えなくなるまで見送って、秋葉は一人、静かに息を吐く。


「失ってから初めて気付く気持ちって沢山あるけどさぁ……これはちょっと堪える、なぁ……」


 憂いを帯びた独り言は、誰の耳にも攫われることなく、喧噪に飲まれて溶けてく。

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