STORIA 90
優しい夢を見ているのか、直に着くからと伸ばした自身の指先に無垢な寝顔が歯止めをかける。
もう少し、このままでもいいか。
少女に導かれ、僕もまた浅い眠りへと堕ちていく。
「5A病棟の消化器内科、八尋さんの病室は五階の……」
受付窓口で面会手続きを終えた僕は、銀花と共に上階を目指す。
「私、喉が渇いちゃった。飲み物を買える所ないかな」
彼女の小さな要求に僕は丁度、側にあった院内のフロアマップに視線を移した。
「二階に売店があるみたいだね。寄って行こうか」
そう言って、エレベーター内のボタンを途中下車へと切り替える。
「オアシス、売店の名前ね。見て、レイ。お菓子も沢山売ってる。お爺さんのために一つ買っていかない?」
銀花が嬉しそうに棚に並んだ商品を物色しながら、僕の袖口を引っ張る。
「そうだね。でも、食べてもいいかはお爺さんに聞いてから渡そうね」
「レイ。私も自分用が欲しい。このチョコレートが可愛い」
「しょうがないなあ」
僕が許可すると、銀花はまるで遠足の菓子を手に入れたかの様な喜び具合で、八尋さんの分も含めて小脇に抱えると、真っ先にレジへと足を運んだ。
食べ物のこととなると、彼女は本当に無邪気な一面を見せる。
五階の詰所で八尋さんの部屋番号を再確認している最中も、傍にいた銀花は待ち切れないといった様子で駆け出していた。
「走っちゃ駄目だよ。危ないから」
僕は慌てて、廊下を急ぐ彼女の行動を咎める。
その背を追いかけて流される様に病室へ入ると、窓際奥のベッドに上半身を起こした白髪混じりの男性が姿を覗かせた。
清掃中による換気のためか、僅かに開いた窓からは殺風景な雰囲気の病室とは不釣り合いな、真新しい風が吹き込む。
緩やかな気流がそっと僕の頰辺を掠めた。
「二人とも。態々、すまんな」
想像していたよりも血色の良い状態の八尋さんが、僕達を寝床から迎えた。
我先にと信を置く人の側に辿り着いた銀花は、彼が身を休めるベッド柵に両肘を乗せて甘える様な視線を送っている。
彼女を愛でる初老の指先が、可憐な前髪を柔らかに梳く。
その腕には細い針がテープで固定され、点滴筒と輸液ルートを繋いでいた。
都が話していた、抗癌剤の投与だろうか。
心なしか微かに黄味を帯びた彼の結膜が、僕の瞳を静かに見上げる。
「黎君。外はまだ雪が残っていて、足場が悪いだろう。来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、突然訪れてしまって……。都が連日に渡って面会に来ているみたいですね。矢継ぎ早に僕達が御見舞いをさせて頂くことで、八尋さんに御負担をかけなければ良いのですが」
海を泳ぐ蝶 孔雀 凌 @kuroesumera
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