銭湯の暖簾

紫 李鳥

銭湯の暖簾

 



 あ、どうも。〈松乃湯〉の暖簾のれん、松野湯太郎です。


 えー、三十過ぎてますが、独身です。


 好きな人は何人かいましたが、ご存じのとおり、風に揺れてるだけの大人しい性格なもんで、自分から話しかけることもできません。


 でも、時々会えるだけでいいんです。


 その人を見られるだけで……。




 その人と初めて会ったのは、もう一年以上前になりますか……。


 僕より少し年上かな。なかなかの美人で、ブティックで貰うような洒落たビニール袋を二つ提げてました。


 一つにはシャンプーやリンス。もう一方には着替えなどが入っているんだろうな、と推測しました。


 うちに入るのかな、と思ったら、うちに設けてるコインシャワーでした。


 自分ちの風呂が壊れて使えないのかな?


 一度目はそう思いました。


 けど、その人は週に数度、コインシャワーを利用してました。


 風呂の付いてない安アパートに住んでんのかな、とも思いましたが、着ている物は決して安物じゃなくて、夏はV字の襟元にレースをあしらった洒落たシャツとか、冬はダウンがいっぱい詰まったフカフカのジャケットでした。


 ……何か事情があるのかな。


 でも、どうして銭湯に入らないんだろう……。


 裸を見られるのが恥ずかしいのかな? それとも、火傷やけどの痕とか刺青いれずみがあるのかな?


 独身かな? ……恋人はいるのかな?





 そんな日々が一年以上続きました。が、パタッと来なくなりました。


 引っ越したのかな、と思っていると、近所の主婦と立ち話をしていた、日頃からうちをご利用のお喋りおばさんが教えてくれました。




「――銭湯に入らないで、個室シャワー使ってた女の人いたでしょ? あの人、ガンが再発して死――」


 そこまで聞いて、僕は耳を塞ぎました。


 でも、聞こえてきたんです。聞きたくなかった、“もしかして”が。






「――片方しかなかったんだって、オッパ――」





 あの人がなぜ銭湯ではなく、コインシャワーを使っていたのか、ようやく分かりました。






 ……そして、もう二度と逢えないことも……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銭湯の暖簾 紫 李鳥 @shiritori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ