Chapter 80. Re:Genesis

 黄昏色の満ちる空に、七色の光の粒子が舞う。


 分子を超えて魂のレベルで砕け散ったロプターの破片は、キリエスのスピリウムと反応を起こして細氷のように輝いた。キリエスはゆっくりと構えを解きながら、十五年にわたる因縁に自らの手で幕を下ろした事実をしばし噛み締める。


 上空の大蛇が動いたのはそんなときだ。


 天地を呑み込むかのような大口が開かれ、一本一本が山よりも大きい牙が覗く。そのさらに奥にちらつく空洞から、先刻を遥かに上回る音量の叫びが迸った。


 世界を壊す咆哮だった。


 ひび割れていた空が一発で砕け散った。


 眼下に目を移せば、大地が崩れ去りつつあった。あちこちで山脈が崩壊し、ビルや家々が地割れの奥へと沈みゆく。状況は海もさほど違わず、海溝が裂けて無限とも思えるほどの海水が落ちていっていた。


 地球が砕ける。


 また、滅亡しようとしているのは天の星々も同様であった。虚蛇の咆哮は太陽をすり潰し、唐突に訪れた闇夜に浮かぶ星の光さえも消し去っていった。


 この次元が――世界そのものが壊れゆこうとしているのだ。


 魂の声を捉えるキリエスの耳は、生きとし生ける者すべての悲鳴を聞いた。宇宙すべての命の叫びだ。その中には見知った者の声もあればそうでない者の声もある。人間たち、動物たち、植物たち、怪獣たち、宇宙人たち、果ては目に見えぬ微細な生き物のものまでも――。


 それは、世界の何もかもが死に絶えたことを意味していた。


 


「CoOoooooh……」


 終焉の、あるいは原初の虚無にキリエスの音なき声がこだまする。


 ――ティマリウスは、生命は宇宙の破壊者であると宣言した。


 ――ロプターは、生命は宇宙の熱的死を早めるのだと説明した。


 きっと彼らは正しいことを語ったのだろう。生命は絶えずエネルギーを消費しなければ自らを保ち続けることのできない存在であり、生命が永らえれば永らえるほど宇宙は乱雑になってゆく。生命こそが宇宙に混沌をもたらしているというティマリウスやロプターの評は、たしかに真実のひとつの側面を言い当ててはいる。


 しかし、それはあくまでもひとつの側面に過ぎないとキリエスは信じている。


 命は、破壊を生み出すだけの存在ではない。


 外部にエントロピーを吐き出すということは、自身のエントロピーが低く保たれているということでもある。なるほど生命は生きている限り混沌を撒き散らすのかもしれないが、そのことは己の内で秩序を維持することと等価だ。


 混沌と秩序の車輪を回し続けるダイナミズムこそが生命のはたらきであり、そのはたらきをもたらすのが生命に宿る魂なのだ。


 キリエスの力の本質が、魂の構成元素たるスピリウムであるならば――


 キリエスがこの世に存在するすべてのスピリウムと融合し、その身の内に宇宙を再構成することができたならば――


 世界は、運命のくびきから解き放たれる。



「Xee、YaAaaaaaaaahhhh――――――――――!!」



 虚無を貫く大喝とともに、キリエスは体内を循環するエナジーを活性化させた。


 蒼い紋様から輝きがあふれ、銀の皮膚が爛れるように焼け焦げてゆく。臨界を超えて暴走するスピリウムエナジーに耐えきれず、肉体が自壊しようとしているのだ。


 だが、構いはしない。


 もう肉体はいらない。


 ロプターは逝く前にひとつだけ役に立つ行いをした。キリエスの光を利用して高次元粒子と一体化するという発想は、ロプターと対峙していなければ閃きすらしていなかったことだろう。


 無が爆ぜる。


 キリエス自身を灼き尽くしたスピリウムの光輝は宇宙に満ち、終焉の大蛇をも呑み込んで、何もかもを青白く染め抜いていった。



     ◇ ◇ ◇



 運命なき宇宙が鼓動をはじめた。


 その鼓動のリズムは、聞く者が聞けばキリエスのコアクリスタルのものだと悟れるだろう。しかし今となっては、その音が何であるかを知っているのはキリエス自身をおいてほかにいない。


 新たなる宇宙で生まれた命は、古い宇宙での記憶を持たないからだ。


 気づけば、キリエスの意識はありとあらゆる時間、あらゆる場所にまで行き渡り、何もかもを見渡せるようになっていた。


 身体の中に世界が息づいているのを感じる。


 世界の片隅にはどこか懐かしい銀河があって、青く輝く惑星がある。惑星では数多の命が生きていて、その中にはよく知っている顔も見える。


 ――使命は果たされた。


 朽ちた世界は巨人の力によって再誕したのだ。破滅の象徴たる虚素レキウムに脅かされることは二度とない。


 蒼い星の洋上に連なる島の、木々の茂る山々に囲まれた小さな村の診療所で、素朴を絵に描いたような夫婦の間に産声が響くのをキリエスは聴く。


 ――ようこそ、俺のもとへ。


 ――そして……おかえり。


 女の子と診断されたその赤子に夫婦が「ナエ」と名づけるのを見届けて、キリエスはそっと惑星から意識を遠ざけた。




<了>

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