Chapter 75. 人ならざる者ふたり

 ブリーフィングスペースの時間が止まった。


 凍りついた空気の中で、SSS-Uトライエス・ユニットのメンバーの反応は真っ二つに分かれた。衝撃のあまり固まっているのは山吹と唯、それからサクラ。平静を保っているのは決定的な一言を放った和泉本人と、事前に話を聞いていた藤代、そして――


「やれやれ、これはまた唐突なことだね」


 告発された当人であるはずの、周防。


「……慌てないんですね?」


「慌てる必要もないだろう? たしかに君の言うことは筋が通っている……が、それはあくまでもECHOエコーに獅子身中の虫がいるというところまでさ。僕がそうだっていうのはいささか乱暴な結論じゃないかなあ」


「では、なぜ村に出入りしていたんです?」


「君には説明しただろう? かねてから虚素レキウムには興味があったとね。そもそも宇宙探査局からこっちに移ってきた理由だってレキウム対策の最前線にいたかったからだ……という事情は、隊長だってご存じだよ」


 ねえ? と周防は首を巡らせ、藤代へと視線を投げる。


 藤代は頷いて、


「たしかに、副長がECHOのスカウトに応じたのはレキウムへの強い関心が理由だったと聞いている」


 あくまでも冷静に、全員に向かって言い聞かせるような声音。ひとつひとつ事実を積み上げて、どちらの言葉がよりが確からしいのかを燻り出そうとしている。


 藤代は本質的に慎重な男だ。


 先に仕掛けたというだけで和泉の告発をより重く見ることもなければ、つきあいが長いというだけで周防の疑惑を否定することもない。


「だが周防。そうであるならば、寒原村の調査をプライベートで行っていたのは何故だ? おまえが各国の研究チームと個人的に接触していたことも、先週の事件で現場に居合わせていたことも、和泉から聞いて初めて知ったぞ」


「そりゃまあ、訊かれませんでしたからね。僕はSSS-Uの一員として組織に招かれたわけですし、学術的な活動は本業に差し障らない範囲で行うべきだと考えたまでのことですよ」


 藤代は腕を組んで黙考した。そのまま和泉へと向き直って、


「……周防副長の言い分だが、私には筋が通っているように思える。これ以上疑いを向けるのであれば、確たる物証がなければ合理的とは認められん」


 やっぱりそうなるか、と和泉は思う。


 周防の弁には淀みがない。もとより舌の回る男だ、言葉の応酬だけで崩すのは不可能だろうと予想してはいた。


 必要なのは物証。それは和泉の掌中にはない。


「――だったら、証拠保管庫を調べてください」


 だとしても、打てる手は残っている。


「桐島隊員。芦ノ湖の事件のとき入手した液肥の試供品、あのあと周防副長に提出しましたよね?」


「え? あ……ああ、そうだったな」


 虚をつかれた格好の唯は当惑を見せたが、すぐさま我に返って記憶を辿り、


「あれから副長が保管庫に入れたままのはずだぞ。保管期限が切れるのはまだ一年以上先だから」


「――というわけです、隊長。もし周防副長の保管庫を調べて容器が出てこなかったら、少なくともそのことは問題ですよね?」


 和泉の脳裏に、四月の箱根で報告を入れたときのことが蘇る。


 レキウムの混入した液肥を湖畔のバラ園から回収し、その旨を周防に伝えたのは唯だった。自分はECHOPADエコーパッドで二人のやりとりを聞いていただけだったが、語気を荒げる唯とは対照的に、周防の態度は妙に冷めていた。


 ――警察に圧力がかかっているわけじゃないんだろう? そちらの捜査は彼らに任せてしまっても良いのではないかな。


 あのときは冷静な人だと感心した。だが今にして思えば、あれは警察内に作ったパイプを明るみに出させないための工作だったのではないのか。


 周防の保管庫を漁れば、あるいはそのことがハッキリするかもしれない。


「……そうだな。周防、おまえの保管庫を検めさせてもらおう。それで嫌疑が晴れるなら断る理由もあるまい?」


 全員の視線が周防に集中した。


「――それには及びませんよ」


 一拍の溜めの後、周防は長い息を吐き出す。


「僕の保管庫にあの容器はもうない。実物のサンプルとして協力者に渡してしまったからね」


 藤代が唇を苦く歪めた。


 山吹が息を呑んだ。


 唯が眉間に皺を刻んだ。


 サクラがあんぐりと口を開けた。


 死んだように静まり返った場の膠着を切り裂くように、和泉はいっそう温度の低い声で念を押す。


「村の汚染を手引きしたと認める、ってことですね?」


 周防は実にあっさりと首肯してみせた。


「まあ……粘ろうと思えばもう少し粘れるけど、あんまり長引かせると実力行使に出られかねないからね。そうなれば証拠がどうこうの問題じゃなくなる」


 もはや言葉もないSSS-Uの一同を見回して、周防は悪びれた様子もなく滔々と並べ立てる。否――事実として後ろめたさなど感じていないのだろう。メガネの奥の双眸は、興奮すら滲ませて炯々と輝きはじめている。


 和泉は、本能の鳴らす警鐘を聞いた。


 嫌な感覚が止まらない。


 レキウムの出所も、横流しの手口も解き明かした。事件の首謀を認めさせることにだって成功した。


 なのに、周防のこの余裕は、何だ。


「――和泉くん、」


 周防の口角が三日月のように吊り上がった。


「いくら僕だって、本来の姿を晒さざるを得ないさ」


「な……!?」


 背筋を氷で撫でられたかのような衝撃を覚えて、和泉はにわかに絶句する。


 ――俺がキリエスだとバレている!


「君、僕がただの横領犯だとは考えてないんだろう? 最悪の場合は変身してでも僕の正体を暴く覚悟だったんじゃないかい? ……そう思ってたのは君のほうだけとは限らなかったってことだよ」


 図星だった。


 たしかに和泉は、最後の手段としてキリエスへの変身を考えていた。周防に疑いを向けたからには、彼の正体に思いを巡らせないわけにいかなかったから。


 異様とも言える知識の幅の広さ。いかなるときにも心を乱さず策を打ち出してみせる老獪さ。古代生物をまるで己が目で見てきたかのように活き活きと語ったこと。地球人ではあるまいと結論づけるまでに時間はかからなかったし、こちらとキリエスとの関係を明かしてでも周防の真の姿を引きずり出してやる肚だったのだ。


 まさか、周防の側でも似たようなことを考えていたとは――。


「いつ気づいた……?」


「最初から気になってはいたよ。十五年前の寒原村、そして冬の奥多摩……キリエスが現れたところに必ず君が居合わてせたんだ、怪しみもするに決まってるさ」


 くつくつと周防が嗤う。


「おい……ちょっと待てよ副長」


 山吹がいち早く反応した。鷹のように鋭い瞳には今、困惑の色がありありと浮かんでいる。


「つまりあんた、キリエスの正体が和泉だって言ってんのか?」


「いかにもそのとおりだよ。僕は和泉くんのように詰めが甘くはなくてね……証拠なら無論、自分の手の内に握っているとも」


 周防は軽く片手を持ち上げて山吹の問いに応じたかと思うと、その左手を制服の内ポケットへと突っ込んだ。


 取り出されたのは、黒いスマートフォン。


 何の変哲もない市販の品だ。周防がプライベート用として所持している端末だということを、この場に集った全員が知っている。


「あの日、和泉くんが村に行くことはわかっていた。そこで怪獣が現れれば確証の一つも掴めるんじゃないかと思っていたけど、案の定だったね……病室での会話、しっかりと聞かせてもらったよ」


 周防が録音アプリを立ち上げ、スマートフォンをデスクの上に置く。プレイバック機能がオンになって、音声データがスピーカーから流れだした。


『ヘリや救急車が来れないっていうんなら、俺がキリエスに変身して街まで運べばいいだろ!? 街にはもっと設備の整った病院があるんだ、そこでなら――』


『そ……なら何が……きると……の? 手遅……よ。街に連れ……ったら、逆に犠牲……が……える』


『見殺しにしろって言うのか!?』


『私だって、彼が……に呑まれるところなんて見た……ないわよ。けれど、ここまで……れてしまっていては、もう手の施しようが……い』


 和泉は瞠目するしかなかった。


 スマートフォンから聞こえてくる二種類の声。そのうちの一方、明瞭に聞こえるのは自分のものだ。


 が、ノイズに塗れたもう一方は――


「どうして、ナエの声が……!?」


 盗聴器に気づけなかったことも不覚には違いない。しかし和泉の心を揺さぶったのは、スピーカーから自分以外の声が奏でられたことだ。


 キリエスより使わされし導き手、ナエ。実体を持たぬ彼女の姿が自分以外の人間に捉えられることはなく、彼女の声が自分以外の人間に届くはずはない――そうとばかり思っていたのに。


 くくっ、と周防が喉を鳴らす。


「電話口や音楽CDから幽霊の声が聞こえてくる……みたいな怪談を耳にした経験は誰だって持っているだろう? 間にデバイスを噛ませることは、この三次元宇宙において高次元存在の声を聴くための数少ない手段さ」


「……周防、なぜおまえが少女の存在を知っている?」


 藤代の低い声、


「その話を知っているのは、私を除けば桐島隊員と和泉隊員しかいないはずだ。二人が口を滑らせるとは思えんが……」


「――ハッキング!」


 答えたのは周防ではなかった。


「あたしたちの基地のセキュリティが突破されたのは一回きりです。隊長が情報にロックをかけていたなら、それを外部から覗くことができたのは惑星ネリヤの王女しかいません!」


「ご明察」


 サクラの閃きを、周防は裂けるような笑みで肯定した。


「あの王女様、どういうわけか最初の交渉相手として和泉くんに狙いを絞っていたからね……ティマリウスの騒動が片づいたあと、理由を尋ねておいたのさ。正直笑ってしまったよ。第一に境遇が近いこと、第二に荒唐無稽な話をしても信じてくれそうだったことだそうだ」


「荒唐無稽なこと……?」


「和泉くんは芦ノ湖の事件で、白い服を着た少女の霊を目撃した――報告書にはそう記してあったそうだよ」


 サクラが真偽を問うように藤代へと振り返る。


「……事実だ」


「信じられねえ――けど、そういうことか」


 山吹がどこか納得のいったような、しみじみとした呟きを漏らす。


「ずっと不思議だったんだ、どうして隊長や桐島がキリエスのことを女だって認識してんのか。ようやくわかったぜ。さっきの声の……その、幽霊がキリエスだと考えてたからなんだな?」


「わたしは和泉隊員の言葉に偽りはないと思った。嘘なら見破れるつもりだった……でもたしかに、『少女がキリエスに変身するところを見た』と和泉隊員の口から直接聞いたことはない……!」


 全員の驚愕に満ちた視線を一身に受けながら、和泉は硬質な光を投げかける照明を仰ぎ見て、ゆっくりと息を吸い込んでゆく。


 自分がキリエスであることは、最後まで隠し通しておくつもりでいた。


 使命を果たしてキリエスやナエと別れてからも、自分だけの思い出として、ずっと心の中に真実をしまい込んでおくつもりだったのだ。


 けれど、もう潮時だ。


 こうなっては言い逃れる術などあるまい。明るみに出た寒原村の診療所での密談で、自分はハッキリと「キリエスに変身する」と口走ってしまっているのだから。


「――藤代隊長、」


 目は向けない。見据える先は村の仇、周防昌毅ただ一人だ。


 和泉の戦意に応えてか、周防が人ならざる者としての姿を露わにしようとしていた。悠然とメガネを外すが早いか、学者然とした佇まいは彼方へと消し飛び、瞳が血のごとき紅に変じはじめる。


「それに桐島隊員、山吹隊員、ノードリー隊員も……皆、今まで黙っていてすみませんでした。がキリエスとして、副長と決着をつけます!」


 和泉は、懐からバイフレスターを引き抜いた。


 同時。宙から飛び出したナエの光弾が、周防の心の臓を狙った。

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