Chapter 74. 告発

 定められた出勤時刻より一時間前のブリーフィングルームには、たった今入室した和泉眞自身を除けば、まだ藤代ふじしろ啓吾けいごしか来ていなかった。


 思ったとおりだ、と和泉はひとまず安堵する。


 藤代隊長と一対一で対面するためにわざわざ早朝に出てきたのだ。いや、正確にはなにも一対一である必要はないのだが、そのほうが都合がいいのは確かだ。


 絶対に邪魔が入らない、という意味で。


「お話があります」


「どうした、改まって」


 藤代の視線は痛ましげな色を帯びている。寒原村の復興が頓挫してから、一週間の休みを和泉に与えてくれたのは彼である。


 いくら感謝しても足りない。


 心を落ち着けることもできたし、村を襲った悲劇について冷静に考える余裕もできた。だからこそ自分はこうしてここまで戻って来られたのだ――ひとつの重大な提案を引っ提げて。


「ブリーフィングの前に、俺にちょっとだけ時間をくれませんか」


 なんだそんなことか、という顔を藤代はした。


「構わんぞ。隊務復帰の挨拶だな?」


「そのこともあります。でも、本題は別です」


「別?」


「今回の侵食汚染、隊長は自然現象だとお考えですか?」


 予想外の角度からの問いだったのだろう、藤代は戸惑いをよぎらせた。だがそれも一瞬のことだ。すぐさま口角を水平にして、


「自然現象ではない」


 きっぱりと断言した。


「寒原村の侵食係数は直近の二年間、基準値である〇・五ノルダルを超えたことがない。そもそも一度汚染された場所が回復したこと自体異例とも言えるが……そのことを差し引いても、今の村の環境では二年どころか二十年住んだって肉体変異など起こらんだろうな」


「でも、実際に起こった。だったら原因は――」


「人為的に引き起こした者がいた」


 藤代は表情を変えない。宇宙人の計略を阻み続けてきた彼にしてみれば、さして驚くべきことでもないのかもしれない。


 自然に起こり得ないことが起こったのなら、それは何者かの意思が働いた結果でしかあり得ない。


ECHOエコーの公式見解はそうだし、私自身の考えも同じだ。すでに捜査にも着手している。……世論の中には我々の失態を隠蔽するための工作ではないかという意見もあるようだが……まあ、いつものことだ」


 たしかに毎度のことだな、と和泉の口からも苦笑が漏れる。ECHOへの評価に陰謀論はつきものだったし、悪意のある人間に煽られれば無関心な層が流されるのは世の常だ。


 そんなことよりも気になるのは、藤代が何気なく言い放った「捜査」についてのことである。


 正直なところ、参謀本部や藤代がこうも迅速に事を進めているのは意外だった。動いているとは信じていたが、彼らが手がかりを掴むまでには時間がかかるだろうと踏んでいたのだ。


 ――ますます好都合だ。


 今からやることが変わるわけではないにせよ、情報はできるだけ多く押さえておきたい。和泉は渡りに船とばかりに食いついた。


「捜査ではもう何かわかっているんですか?」


「汚染源を特定した」


 まさしく和泉の欲していたものだった。汚染源がはっきりしているのとそうでないのとでは、これからの立ち回りやすさがまるで違ってくる。


「バラック小屋の跡地から西湘せいしょうアグリ製の液肥のアンプルが発見された。――小柳こやなぎ氏はプランターで野菜を栽培していたそうだな?」


 和泉は無言で頷く。


 西湘アグリといえば、春に不祥事を起こして倒産に至った会社である。新製品のサンプルに含まれていたレキウムが巨大植物バミューを誕生させ、芦ノ湖周辺に被害をもたらしたのだ。


 和泉にとってはSSS-Uトライエス・ユニットに入隊して最初に取り扱った事件だったし、キリエスとしても初めて自ら変身した戦いでもあったから、たとえ忘れたいと願っても忘れることなどできまい。


 要するに、あのときの液肥の試供品が寒原村にも流れていたわけだ。


 小柳恭哉きょうやのプランター菜園にそれが使われていたとすれば、彼がレキウムに蝕まれたのも理解できる。小柳は長期間にわたって菜園の野菜を食べ続けていたのであろうし、言うまでもなくキリエスの加護に守られてなどいなかったのだから。


「小柳氏のNPOの取引記録に西湘アグリの名前はなかった。……が、西湘アグリ側が持っていた在庫表のデータと、春に神奈川県警経由で押収した現物の数とが合わんらしい」


「どこかの段階で液肥が盗まれて、最終的に恭哉の手に渡った……そういうシナリオが濃厚ってことですね」


「そうなるな。おそらく小柳氏は事情をまったく知らないまま、個人として液肥を購入したのだろう。彼に液肥の試供品を流したのが何者なのか、いま情報部が探りを入れているところだ」


 ここが攻めどころだ。和泉は即座に返した。


「それ以上探る必要はありません」


「どういうことだ?」


「誰が犯人なのか、俺には目星がついてるんです」


「なに……?」


 藤代が眉をひそめる、


「つまり、おまえの話とは真犯人の正体に関連することか?」


「はい」


 意図を推し量ろうとするかのような藤代の眼光。無理もなかった。部下が事件から立ち直っていると信じたからこそ彼はここまで話してくれたのだろうが、自分が口にした一言は、その確信を揺るがせるだけの威力を持っていたに違いない。


 しかし、こちらも退けない。


 予知夢で見た光景を現実のものとしないためには、大いなる冬の終わりが訪れる前に仕掛けなければならないのだ。もう時間が残されていない。


「……以前、桐島きりしま隊員が話していたよ。おまえが真っ向から視線をぶつけてくるときは、絶対に意見を曲げないときだとな」


 藤代は隊長席に腰掛けると、顎をしゃくって和泉にも座るようにと促す。


「おまえの言うことだ、根拠があるんだろう? ――詳しく聞かせろ」



     ◇ ◇ ◇



 SSS-Uの課業は八時から始まる。


 その時刻ちょうどに周防すおう昌毅まさき副長が顔を見せたとき、他のメンバーはすでに全員デスクに揃っていた。


 隊長である藤代を除けば、ブリーフィングルームはフリーアドレスだ。最奥に藤代が座る隊長席。その両隣の席に山吹やまぶきりょう隊員とサクラ・ノードリー隊員がついていて、山吹の隣には和泉が、サクラの隣には桐島ゆい隊員が陣取っている。


 最も手前、ひとつだけ残った空席に腰を下ろした周防は、室内に満ちる微妙な緊張感を敏感に感じ取ったようだった。


 和泉が復帰してきたことの影響――周防はそのように解釈したらしい。それは実際正しい。朝一番に顔を合わせたときの藤代がそうであったように、唯も山吹もサクラも、和泉がどれほど復調しているのかを推し量ろうとしている。


 周防は和泉を見るなりメガネの奥の双眸を細めた。つとめて普段どおりの声音で、


「久しぶりだね和泉くん。村のことは慰めの言葉もないが、心からお悔やみ申し上げたい」


「いえ。皆さんにはご心配おかけしました」


 直後、藤代の厳かな声が響いた。


「――全員、聞け」


 この時点で、これから和泉が切り出そうとしている話の内容を知っているのは藤代だけだ。


 余計な情報を入れずに聞いてもらうほうが、信用してもらいやすいはずだった。


「本日から和泉隊員が隊務に復帰することとなった。ついては、和泉隊員から挨拶も兼ねて話があるそうだ」


 一同の注目が集まるのを感じながら、和泉はひとつ深呼吸して席を立つ。


「――まずは繰り返しになりますが、ご心配おかけしました」


 頭を下げる、


「隊務にも配慮いただいて本当に感謝しています。――俺がいない間の捜査の進捗については、さっき隊長から聞かせてもらいました。西湘アグリの液肥が関係していたそうですね」


「……残念ながら、そうだ。やはりあのとき警察任せにせず、多少強引にでもわたしたちが捜査を主導するべきだったのかもしれない」


 忌々しげに応じたのは唯だ。彼女は管轄こそ違えど元警官であるし、バミューが芦ノ湖に出現した際に液肥の存在を突き止めた張本人でもある。それだけに、今回の件に対しては思うところが大きいのだろう。


 しかし、唯が悔恨する必要はないのだ。


 なぜならば――


「結果は変わらなかったと思います」


「なぜだ? 液肥は警察から流出した可能性が最も高いんだぞ」


「ええ。でも問題は、どこから流出したかじゃなくて、誰が流出させたかです」


「それはそうだが……」


「押収した薬品を横流しするルートとして、恭哉は普通選ばれないでしょう。売ったところでたいした額にならないんですから」


 大量に盗んでNPOのほうに流したのであればまだ理解はできる。だが、今回の取引相手は小柳個人であったというのが現状の見立てだ。


「ってことは……」


 サクラが眉根を寄せて、


「黒幕がいる、って言いたいワケ?」


「はい。横流しの犯人は、その取引自体で利益を得ようとしているわけじゃなかった。そいつに金を握らせて動かした人間が他にいるんです」


「――何のためにだ?」


 サクラの向かい側の席から声があがる。山吹だ。なにかと意見の合わないことが多かった山吹だが、今は彼の語調にも否定的な響きが含まれていない。


「もちろん、寒原村をもう一度汚染するためです」


 和泉は内心の憤りをこらえながら断じる。


 ただ怪獣を誕生させるためなら標的は誰でもよかったはずだ。わざわざ小柳を狙ったのは、村の再興を阻みたかったからに決まっていた。


「事件の黒幕にとって、これまでの寒原村はレキウム研究のための条件が整った、いわば実験場だった。――村が復興して本格的に民間人が移住してきたら、大手を振って実験やデータ収集を行うことはできなくなります。だから、寒原村は『呪われた場所』でなくてはならなかった」


 全員の顔色が変わった。


 当然だ。


 警察でなくECHOが捜査していても液肥の横流しは行われたであろうこと、横流しを行ったのは実行犯に過ぎず黒幕が他にいること、その黒幕の目的がレキウムの研究であったこと――和泉の主張を紡ぎ合わせて線にすれば、自ずとたった一つの結論に辿り着くしかない。


 周防が口を開いた。


「和泉くん。つまり君は、ECHOの中に黒幕がいると言いたいのかね?」


「はい」


 たぶん周防は、全員の疑問を代弁したつもりでいるはずだ。


 和泉は彼の目を見据えて、決然と口にした。



「犯人はあなたですよ。――周防副長」

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