第十話 冬の終わる日

超次元魔人 ロプター・虚蛇 ガゾルム 登場

Chapter 73. 汝、運命を閉じよ

 気づくと、和泉いずみしんは夕暮れどきのビルの谷間に立っていた。


 意識が途切れる直前の時間は夜で、場所は宿舎の自分の部屋だったはずだ。先週の寒原かんばら村での一件について思考を巡らせながらベッドに入り、「あれは自然現象などではなかった」という、もう何度辿り着いたかもわからぬ結論を導いたところまでは記憶がある。


 つまり、これは夢だ。


 その証拠にと言うべきか、眼前の景色には見覚えがある。キリエスの協力者に選ばれて間もない頃、繰り返し見るはめになった予知夢と同じだった。



 ――銃声。



 驚かない。何が起こるかなどとっくに知り尽くしている。



 ――鮮血が舞う。


 ――くずおれる身体を抱き留める、


 ――熱い命が流れ出してゆく感触を得る。



 この光景はキリエスが見せる未来の像に過ぎず、ゆえに以前の自分には、どこか別の場所から持ち込まれたような怒りにただ流されることしかできなかった。夢の中で動いている自分とそれを観測している自分が同一人物であるとはどうしても体感できなかったのだ。


 しかし、今は違う。


 ――今は、俺がキリエスだ。


 ――見ろ。


 異なる時空間を覗き見ているような感覚は失せている。この瞬間、この場所において、キリエスとはまさに己のことに他ならない。


 視線を巡らせる。


 まずは腕の中で息絶えようとしている者の顔が、次に凶弾を放った者の顔が、はっきりと網膜に焼きつく。


「やっぱり、あんただったのか……」


 口をついて出る台詞は、スクリーンの中の登場人物が放つのではなく、自らの心が発する言葉だ。


 そいつが敵であることが、和泉にはもうわかっている。


 借り物の感情などではない、間違いなく己の胸の奥から湧き上がる怒りのままに、和泉はバイフレスターを引き抜いた。


「キリエス――――ッ!」


 掲げた神具が蒼光を放ち、地上を染める黄昏色を切り裂いてゆく。




 耳元にかすかな呼吸音を感じて、和泉は目を覚ました。


 ベッドの脇に視線を向ける。早朝の薄い闇の中、鳶色とびいろの髪と白雪の肌をほのかに光らせたナエが、寝台に寄りかかるようにして静かに寝息を立てている。


 この子も眠るんだな、とぼんやり思った。ナエと出会ってから三百日以上が経っているが、和泉は今の今まで彼女の寝顔を見たことがなかった。


 しばらく眺めていると、ナエの瞼がゆっくりと開かれた。


「……眞、見えたわね?」


「ああ」


 ――結局のところ。


 寒原村で変身したことで、自分の精神は何ら変質しなかった。


 死せる者たちの叫びを聞いても正気を保っていられたから、ではない。


 


 七・一七の犠牲者の魂は未だに村を彷徨っている――そのことに疑いを持つという発想すらなかったし、父や母の声でも聞こえようものなら頭がどうにかなってしまうかもしれないと思っていたのに。


 遺族が避難先で供養したことで満足したのか、虚素によって魂までも消滅してしまったのか、それともまったく別の理由があるのか。和泉には判断がつかない。今となっては判断をしようとも思わない。


 考えるべきなのは十五年前に失われた命のことではなく、つい先日起こったばかりの惨劇と、これからについてのことだった。


 和泉はもう、戦うべき相手が誰であるかのアタリをつけている。


 そして、キリエスによって見せられた予知夢が今、推測を百パーセントの確信へと変えてくれたのだ。


「このままいけば、『黄昏』とやらが現れる場所は天王洲アイル。引き金を引くのは……俺が考えていた相手と同じだ」


「戦いの結末は見えた?」


「いいや。キリエスに変身したところで起きたから」


「そう」


「訊きたいことは、もう一つあるんじゃないのか?」


「…………」


 ナエが唇を結ぶ。その沈黙こそが答えだ。


 訊きたい、のではない。


 彼女はとうにわかっている。予知夢の実現を阻止するため、これから和泉が行動に出ようとしているのだと。


「意外だな。止められるかと思ってた」


 和泉がこのまま何もしなければ、キリエスは討ち果たすべき敵と確実に相見えることができる。ナエはその状況を望んでいるのだと思っていた。


「いまさら何を言うのよ」


 だが、彼女は呆れたように鼻を鳴らす。


「眞が心を決めたなら、私に止めることはできない。だからこそ、あなたはキリエスに選ばれたのよ」


 死をも恐れず定めた道を走り抜けること――かつてナエは、和泉の資質をそんなふうに表現した。


 どんな道筋を辿っても、和泉は最後に必ず『黄昏』と相見える。


 そう信じるならば、予見した未来をなぞる必要もない。


「……そうだな。そうだった」


 ナエは多くを語ろうとしない。もしかすると自分とナエは、尽くすべき言葉をとうに尽くしきったのかもしれない。


 出会ったばかりの頃は彼女の迂遠な口ぶりに辟易させられたものだったが、キリエスからの使いがもしも彼女でなかったならば、自分はこれほどまでに平静さを保って最後の局面に挑めなかったろう。


「それじゃあ見守っててくれ。――最後まで」

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