Chapter 69. 運命からの招き
小柳が眠りについたのは和泉が去ってから五分も経たないうちのことだった。半ば潰れるように机に突っ伏した小柳は、そのままの体勢で死んだように四時間ほど過ごし、特別何がきっかけになったわけでもなく意識をふっと取り戻して熊のように身を起こした。
時計の針が三時を指していた。
「まいったな」
頭痛がする。飲み過ぎたのかもしれない。
「ゴホッ……まいったな」
咳と独り言が繰り返し口をついて出た。
式典まで十一時間。
アルコールは抜けるだろうが、こんな時間に目が覚めてしまったこと自体がよくない。明日――いや、とっくに今日だが――は、生まれ変わった寒原村にとって大事な日なのだ。しくじるわけにはいかない。
せっかくあいつが戻ってきたのだ。
少し前まで一緒に飲んでいた青年の顔が瞼の裏をよぎった。
ふへへ、と笑いが漏れた。
和泉眞――連絡の手もなく、死んだとばかり思っていたかつての級友。奴と再び出会えたことも気分をよくしている理由の一つだが、それ以前の話として、村で馴染みだった人間と顔を突き合わせること自体がずいぶんとご無沙汰だった。
コンタクトをとろうとしなかったわけではない。
しかし、小柳がNPOを立ち上げた時点でも、災害が起こった日からはすでに長い年月が経過していた。
もともと若者の少ない村だったのだ。その生き残りともなれば、管理区域指定の解除を待たずに棺桶に入ってしまっていたり、そこまでいかずとも肉体労働のできない歳になっていたり、すでに故郷への思いを断ち切って新生活を営んでいたりといった者が大半であるに決まっていた。
今の団体のメンバーは、個人的な伝手を頼ってかき集めた、村とは縁のない人間が中心だ。だからこそ協力に感謝してもいるのだが、ふとしたときに意識や熱量の差を感じることがあったことも否定はできない。
もっとも――ビジョンを伝えきれない原因はきっと、リーダーとしての自分の至らなさ、ということになってしまうのだろうけど。
「ゴホッ」
喉がひりつく。やはり飲み過ぎたかと思う。ビールはともかくバーボンをストレートでいったのはまずかったな、と今更ながらの後悔がよぎった。
とにかく水だ。
小柳は洗面所へと足を向けた。
建てつけの悪い扉を押し開けて洗面所に踏み入ったとき、不意に足元がふらついて視界が泳いだ。
「うおぁっ!」
洗面所とはいっても実質的には風呂場との兼用であり、面積の半分を占めるのはバスタブだ。とっさに縁に手をついて
「危ない、危ない……」
滑ったわけではなかった。自覚しているよりも酔いがひどいのかもしれない。急におかしさがこみ上げてきて、小柳は口角を上げようとした。
笑みが凍った。
バスタブについた左手の袖が捲れて、変色痕が露わになっている。いつ何をして作ったのやら記憶を掘り返すこともできない、和泉に指摘されてようやく存在を思い出した黒い痣だ。
――黒い痣、だったはずだ。
露わになったその痣は、今、黄昏色の輝きを放っている。
「な、」
絶句しかけた小柳の目に、真横から光が飛び込んできた。
その位置には壁に貼られた鏡がある。
小柳は、視線を鏡へと向けた。
自らの頬に、痣と同じ色をした斑点が浮かんでいた。
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