Chapter 67. 旧友・小柳恭哉

 資料館の脇の駐車場にバイクを停めた。


 人工物が数えるほどしか見当たらない作りかけの村で、真新しい資料館はひときわ目立った。こんなに立派な建物は焼ける前の村にはなかったよな、と和泉は複雑な思いに浸る。


 もっとも、厳密にはまだ「資料館」とは呼べない。


 展示するべき資料がまとまりきっていないからだ。


 封鎖を解くにあたって、ECHOエコーは機密性に乏しい写真、および危険性のない遺留品を何点か放出した。そして現在、眼前の建物に収まっている物品はそれらが九割を占めるのだという。


 災害があったのは十五年前。


 しかし、復興が始まったのは二年前だ。


 そもそも侵食汚染によってあらゆる活動が阻まれていた地域である。資料を整理したり編纂したりするよりも、先にやるべきことなどいくらでもあった。


 和泉は資料館になる予定の施設を離れ、村の中を散策してゆく。


 当たり前のことではあるが、かつての風景とは様変わりしている。建っているのはプレハブ造りの仮設住宅がほとんどで、道路すらまともに敷かれていない箇所がそこかしこに存在している。


 豊かだった緑は汚染が濃かった時期に根こそぎ枯れてしまったに違いない、村に入る手前から木立がまばらになりはじめていた。この近辺まで来るともう、後から植林されたぶんがわずかに育っているだけだ。


 しかし、体が覚えているものはある。


 村の入口から距離にして三キロメートルほどだろうか。和泉は立ち止まり、ざっと左から右へ視線を走らせる。


「ここに学校があったっけ」


 学校に通っていた期間は実を言えばそこまで長くもない。怪獣が現れた当時、和泉は八歳だ。三年生の一学期が終わる間際のことだった。


 それでも、思い出は数え切れない。


 教室で会う面々といえば普段から近所づきあいのある連中で、互いの家に遊びに行ってそのまま飯を食ってくるような仲だった。毎日朝から晩までそばにいたようなものだ。瞼を閉じて意識を過去に飛ばせば顔を蘇らせることはたやすい――が、和泉はとうの昔にその種の行為をやめていた。


 思い出せば会いたくなる。


 何人がこの世に残っているのかなど、知りたくもない。


「……瓦礫、まだ片づいてないんだな」


 怪獣によって踏み壊された校舎の残骸だろう。鉄筋の飛び出したコンクリートの塊やガラスの欠片が、和泉の目の前で山のように積み上がっていた。


 和泉は屈み込んだ。


 何かを考えたわけではない。目的があったわけでもなく、ただ瓦礫を拾ってみようと思ったのだ。


 指がセメントの破片に触れる直前、後ろに気配が立った。


「――なかなか人手が足りなくてね」


 投げかけられたのは男の声だ。


 和泉は腰を上げて振り返り、


「あ……」


 相手の顔を視界に収めた瞬間、目をみはっていた。


 衝撃を受けたのはむこうも同じであったらしい。二十代半ばほどのその男は、腫れぼったい一重の眼を真ん丸に見開く。


「おまえさん、眞か?」


恭哉きょうや!?」


 懐かしい顔だった。


 十五年の時を経て成長してはいるが、確かに残る面影を見過ごせはしない。もう何年も思い出さないようにしていた顔――。


「生きてたのか!」


「そっちこそ。久しぶりだなあ、眞!」


 どちらからともなく自然に手が伸びる。小柳こやなぎ恭哉――かつて教室を共にした仲間の一人と、和泉は固く握手を交わした。




 スマートフォンの画面が十六時ちょうどを表示していた。


「少し早いが……ま、明日に響かないようにするには逆に都合がいいってね」


 学校跡からほど近い区画、涸れた小川のほとり。


 作業従事者のために建てられたバラック小屋の一室で、小柳恭哉は冷蔵庫を開け、缶ビールを和泉に投げてよこした。


「村の再興に」


 小柳が自身で手にした缶の封を切る。和泉は一瞬だけ迷って、


「じゃあ……俺たちの再会に」


 酒が飲めないわけではない。タブを軽く引いてみて泡がこぼれないことを確認すると、あとは勢いよくフタを開けた。


「「――乾杯!」」


 二人まったく同時に、缶を口につけて傾ける。苦味と炭酸の弾ける感触がぶわりと広がって、喉の奥へと消えてゆく。


 和泉は正直、缶から直接飲むのは好きではない。


 しかし、贅沢を言うつもりはなかった。近年まで廃村だった地域にグラスを買える店などあろうはずもない。この缶ビールにしたところで、麓の町のスーパーから有志が買い出してきたものだという。


 早いとこコンビニの一つも建つようにしなきゃな、と小柳が苦笑する。


「いや、でも、もう充分すごいよ恭哉は。自分でNPOを立ち上げて復興作業をリードするなんて、俺じゃとても踏ん切りがつかない」


「なあに、他人任せにはできないと思っただけさ。かと言ってオレ自身は頭がキレるわけでも大金を寄付できるわけでもないからさ、行動起こして人を巻き込むくらいしかできねえの。――眞こそ、この十五年どうしてたんだよ?」


 今度の迷いは一瞬では済まなかった。


 言うべきか、言わざるべきか。


 復興にかける小柳の想いが強いことは明らかだ。怪獣から村を守れなかったばかりか、侵食係数が下がっても封鎖解除を渋ったECHOのことを、小柳が快く思っていようはずがない。


「……ECHO」


「あ?」


「俺、ECHOの隊員になったんだ」


 小柳はあんぐりと口を開けた。取り落としかけたビールの缶をすんでのところで握り直す、


「――おまえ、」


 ひと息、


「すっげえな!」


「え」


「ってことはあれか? 怪獣と戦ってるのか、こう、戦闘機とかで?」


「あ……ああ、うん、まあね」


「んだよカッケーなあ。立派にやってんじゃん」


 意外な反応に和泉は目を白黒させる。ただでさえ世間的に印象のよくないECHOなのだ。敬遠されるならともかく、まさか寒原村の避難民だった男から賞賛されるとは予想だにしなかった。


 もちろん、嬉しい誤算というやつだ。


 和泉が笑ってビールに口をつけたとき、次の質問が飛んできた。


「おまえさ、夜はどうすんの」


 酒を嚥下して、


「駐車場の近くにテント張れるスペースあっただろ、ボランティアの人とかが使ってる。あそこの隅っこでも借りようかなと思ってるんだけど」


「野宿かよ。テントあんの?」


「バイクに積んできた」


「ってことは駐車場か。いいのか、放っておいて」


「たぶんね」


 テントを含む大荷物は収納袋に入れたうえでリアキャリアに縛りつけてある。ベルトとネットで括っているだけだから持って行かれる可能性もなくはないが、慰霊式典を明日に控えた村の入口はそこそこの人通りがあったし、村に出入りする人々の善意を和泉は信じてもいた。わざわざ復興作業に参加してくれる人たちだ。旅行者の荷物を盗むような輩がまさか紛れてなどいまい。


 ところが、小柳は渋面を浮かべた。


「やけとけやめとけ。天気の情報見てないのか?」


 和泉は眉をひそめる。


 出発する前にチェックしてきたのは着くまでの天候であって、着いてからのことはなりゆきしだい程度に考えていた――それは認める。認めるが、大崩れするという予報があればさすがに目に入ったはずだ。


「予報じゃ晴れか曇りだった気がする」


「いやあ、予報はあてにならんよ。ここんとこゲリラ豪雨が多くて、作業にも支障が出てる。ボランティアの人らも最近じゃテントで寝泊まりはしてないんだわ」


「そうなのか……」


 とはいえ、他にどうしようもないというのが実情だ。


 麓の町まで下りればカプセルホテルか、最低でもネットカフェくらいは見つかるだろう。しかしビールを飲んでしまった以上運転はできないのであって、荷物を積んだバイクを押して下山するのは途方もなく骨が折れる。


「まあ、雨くらい我慢するよ。そういう状況で訓練したことあるし」


 降ると決まったわけでもあるまいし。そう続けようとした。


「水くさいこと言うなって。泊まってけ泊まってけ」


「ええ? ありがたいけど……いいのか?」


 和泉は戸惑いを覚える。ここは作業者のためのバラックではなかったか。村の出身でありながら村から目を背けてきた自分が世話になっていい施設ではあるまい。


「あんま深く考えるなって。歳くったときハゲんぞ」


「でも」


「いんだよ、責任者オレなんだから。部屋を遊ばせておくよりはマシさ」


 すぐ隣が空き部屋なんだ、と小柳は語った。


「人の入れ替わりが激しいんだよ。作業はキツいし、村と麓との往復もこたえるとくりゃ、熱意でカバーするにも限度がある。二年前から活動してきたけど、当時からずっと続けてんのはオレだけさ」


「で、ちょうど欠員が出てるってわけ?」


「そういうこと。抜けるのは責めらんないわな、それぞれ生活も夢もあるし。給料上げてやれりゃ多少は違うんだろうが……非営利を言い訳にするつもりはないにしても、実際安定して利益出せてるわけでもなし」


 なかなか厳しいわ――小柳はそんなふうに自らの言葉を締めくくり、缶に残っていたビールを呷った。


 ぷはっ、と派手に息を吐くその顔は、台詞とは裏腹に、目標と現実とのギャップに苦しんでいるようには見えない。


「何だかんだ言っても充実してるって感じだな。――じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


「おうとも。そうと決まれば善は急げだ、駐車場からおまえの荷物持ってこよう。オレも手伝うからさ」


 小柳は立ち上がると、部屋を横切って玄関へと向かった。履き古された作業靴に足を突っ込み、探るようにドアを押し開けて一言、


「晴れてるうちに済ませちゃおうぜ」


「それがよさそうだね」


 旧友はずいぶんと逞しさを増している。が、自分とて体育会系の修羅場を何度となく潜り抜けてきた身、缶一本程度のアルコールで酔いが回ることはない。


 和泉は残りのビールを飲み干し、腰を上げて小柳のあとを追った。




 和泉の楽観は当たっていた。荷物はバイクに積まれたまま一つとして無くなっておらず、むしろ若干タイトに絞りすぎた感のあるベルトを外すのに自分たちが手間取るくらいだった。


 小柳にバッグを預け、和泉はテント用具一式を抱えて歩く。


 左手に涸れた川が見えていた。


「このへん、昔はホタルがいたよなぁ」


 唐突な小柳の呟きに、和泉の記憶が反応した。


 たしか、町まで花火を見に行った帰りだったはずだ。


 当時の寒原村には小学校と中学校が合わせて一校しかなくて、クラスも全学年まとめて一学級、生徒総数はほんの六名という有様だった。


 あのときは、小学三年生の和泉眞と中学一年生の小柳恭哉を含めた六人全員が、川のほとりの道を固まって歩いていた。疲れ切ったような――今なら実際に疲れていたのだろうとわかる――大人たちを遥か後ろに引き離して、男子も女子も関係なく、明日は何をして遊ぼうかと喋りあっていたのを覚えている。


 最初に声を上げたのは一番年下の女の子であったか。


 月に照らされた川のまわりを、光の群れが飛んでいた。


 皆が見とれた。


 誰も一歩も動かなかったのは、夜の水面に近づくことを危ないと知っていたからではなく、目の前の幻想が失われることを恐れたからだったように思う。


「懐かしいね。俺が村でホタルを見たのってあの一回だけなんだけど、きっと昔からずっといたんだよな」


「そりゃまあ、そうだろ。オレらのほうが夜めったに出歩かなかったから知らなかっただけで」


「日が暮れても開いてる店なんかなかったもんなあ」


「そうそう。しかもオレらの学校にゃ部活もなかったときてる」


 って、んなことできる人数じゃなかったけどさ――小柳はそう口にして、馬鹿みたいな大声で笑う。


 その大声が祟ったのかもしれない。


 小柳が急に咳き込み、体をくの字に折った勢いで荷物を取り落としかけた。あわやというところで踏み留まり、呼吸を整えてゆっくりと姿勢を戻す。


 バツが悪そうに小さく唇を歪めて、


「あー……悪い悪い」


「いや、壊れて困るものは入ってないからいいけど……大丈夫か?」


「たまにあるんだ。どうってことないけどな」


 なんとも微妙な言い方だな、と和泉は内心首を捻る。むろん自分だって埃や唾が気管に入ることはなくもない。その意味では「たまにある」という小柳の表現も間違いではない、のだが。


 和泉が引っかかりを言葉に変えるよりも、小柳が二の句を継ぐほうが早かった。


「なあ眞」


「うん?」


「オレら何の話してたっけか」


 力が抜けた。和泉は肩を落として、


「しっかりしてくれよ。ホタルの話だろ?」


「ああ、そうだった」


 小柳が照れくさそうに身じろぎする。


「――オフレコにしといてほしいんだけどさ。オレ、あの資料館を建てるの本音じゃ反対だったんだ」


「なんだよ、藪から棒に」


 話が見えない。困惑が細波のように和泉の心に広がってゆく。


 ――資料館の建設に反対?


 つい今し方も入口の前を通ってきたばかりである。鉄筋造りのランドマーク。たしかに展示する品こそ揃っていないが、慰霊式典を執り行えるのだって資料館のホールが完成したからではないか。何が不満だ。


「あんなもんは昔の村にはなかった」


「それは……当たり前だろ? 七・一七の資料館なんだから」


「そうなんだけどな」


 和泉のバッグを抱えたまま、小柳は器用に肩をすくめてみせる。


「昔の村を作り直すほうが大切だと思ってた。それができたらみんなが戻ってくるんじゃないかって。――でもまぁ、式典のためにこうして眞が帰ってきたわけだし、オレが間違ってたんだろうな」


 承認して正解だったわと小柳は再び笑い、再びむせた。


 和泉は息を呑む。


 握手したときは右手どうしだったから気づかなかったが、咳をしたはずみでちらりと覗いた小柳の左の手首に、黒々と変色した痣が浮かんでいるのが見えたのだ。


 和泉の視線を察したのだろう。小柳は軽く左手を動かして、


「これか? こんな痣くらいはしょっちゅうよ」


「しょっちゅう……?」


「ああ。ぶっちゃけ、いつやらかした怪我なんだかさっぱりわからん。覚えてないくらいなんだから、大した怪我じゃなかったんだろうさ」


 ということは、おそらく左手だけではないのだろう。


 もはや和泉は言葉もない。


 自分がECHOの力を求めたように、小柳には小柳なりの「七・一七」があったのだと痛感する。そして彼の村への向き合い方は、自分とは比にならないほど真剣だ。


 ――何も言えるわけないよな。


 子供の頃の和泉にとって、小柳は兄に似た存在だった。大人になれば差も埋まると幼心に思っていたのに、まったくそんなことはなかったらしい。


 会わずに過ごした十五年という歳月が、かつて以上の溝となって自分と小柳の間に横たわっているような気がした。

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