Chapter 64. 伝説は蘇った
盛岡は自然と街とが隣接する都市である。鬼が巨大な実体を現した場所は木々の生い茂る山林だが、そこから十歩も斜面を下れば住宅地は目と鼻の先だ。
家屋に被害が出ることは避けられそうになく、真夜中という時間帯も悪い。続々と通りに飛び出してくる人々の中には子を背負う者や老人の手を引く者が少なからず見受けられ、すばやい避難は到底望めそうにない。
――結局こうなるか!
人波に逆らって和泉は走り、無人となった林道へと飛び込んだ。
「ったく、人騒がせな妖怪め」
舌打ちまじりに独白して懐を探る。指が硬いものに触れるなり引き抜けば、手中には短剣を象った形状の神具、バイフレスターが握られる。
(ナエ、いけるか?)
(問題……ない)
丸一日も経たないうちに回復しきるわけがないとは予想していたが、やはりナエの声には苦痛が見え隠れしている。
――負担はかけられないな。
幸いなことに、変身してから食らったダメージを請け負うのは自分だ。キリエスの力が体になじんできたことの証左かもしれない。
が、今のナエには変身そのものが危険であるように思えた。
(きついなら無理しないで俺に任せてくれ。キリエスになる感覚にもけっこう慣れてきたとこなんだ、一人でもやってみせる)
(……そう、ね。『無理するな』なんてあなたに言われるのは
ナエが傍らに姿を見せる。
輝く肌とワンピースの白さが夜の林道ではよく目立つ。光の粒子の流出は止まっていたが、腕や脚には未だ痛々しいヒビが刻まれたままだ。
「眞、必ず活動限界までには戻りなさい。機械人形と戦ったときみたいな真似は、あなたのためにならない」
「わかってる。三分で仇をとってきてやるさ」
ナエの言う「機械人形」とはティマリウスのことに他ならない。たしかに沖縄での決戦においては、自分は限界を超えてキリエスの力を行使し続け、あわやというところまで消耗してしまった。
同じ
和泉はバイフレスターを掲げ、叫んだ。
「キリエスッ!」
蒼い光が和泉を包む。
体が輝きの中に融けていき、感覚が拡張した。最初はあれほど苦しめられた魂の悲鳴にもとうに慣れ、何の痛みも感じない。虹の階梯を駆け上がった意識が次元の壁を突破して、和泉はキリエスと一つになった。
「――ZeAh!」
銀の巨人が街を背にして着地する。
悪鬼――ラセツが歩みを止めた。
『おぬしは……何者だ?』
キリエスは無言のまま右腕から光の刃を伸長させる。話す気がないとまでは言わないが、この姿の声帯には人語を発する機能がない。
(俺はお前の敵だ)
意思を乗せて眼光を飛ばすと、鬼は低く嗤って、
『なるほど。――然らば斬るッ!』
腰に提げた得物に手をかけた。錆に覆われた鞘を払って抜き放たれたのは、凶悪な曲線を描く肉厚の刃。
ラセツが蛮刀を高く振りかぶり、地を蹴った。
『ぬゥン!』
「HaAh!」
縦一文字に落ちてきた刀を、キリエスは光の剣で受け止める。散り爆ぜる火花が目前に近づき、パワー勝負の不利を悟ったところで腹に膝。予測していなかったタイミングで衝撃が出現し、キリエスは後方へと大きく跳ね飛ばされた。
「Mu……!」
とっさの判断で足へとエナジーを送る。夜を裂く光翼が踵より展開、ぎりぎりのところで姿勢を制御したキリエスは、民家を避けて地に足を下ろすことに成功した。
が、そこにラセツが切り込んだ。
苛烈な踏み込みに地面が噴き上がる。もはや人間の体を借りる必要がないのだと否応なしに思い知らされる。伝説は蘇ったのだ――完全に実体を得るところまで。
土煙を割って蛮刀が迫り、キリエスは危ういところで刃を合わせた。
押し込まれる前に力を逃がそうとした途端、筋骨隆々たる鬼の体がぎゅるりと一回転して、片手での横薙ぎに変化した二の太刀が視界の外から跳ね飛んできた。
屈んで前転。斬撃の直下を潜る。
――強い!
振り返ってラセツと睨み合いながら、キリエスは構えを取って隙を消す。変身前の体であれば汗の一つも流していたかもしれない。
三ツ石の言い伝えに名を刻む悪鬼、ラセツ。
里の人間では手に負えず、神様に出張ってもらわなければならなかった理由がよくわかる。堂々たる体軀から繰り出される蛮刀の一撃は山をも穿ち、鋼のごとき筋肉に鎧われた肉体は生半可な打撃を通すまい。
『ふん。その程度か』
鬼が鼻を鳴らす。
直後、大地を揺るがす踏み込みからの突撃が来た。隙がなければ力で押し潰してやると言わんばかりの強引な攻めに、キリエスの反応が一歩遅れる。
『霊格はおぬしのほうが高いようだが……我が名が千年の長きにわたって伝えられてきたこの地においては、我の力が上回るようだな!』
「Mu、Umm……!」
キリエスの光剣に鍔はない。が、打ち合わせた得物の深いところで押し合う様は剣戟で言うところの「鍔迫り合い」そのものであり、キリエスにとっては最も持ち込まれてはならなかった形でもある。
鬼の剛腕にいっそうの力がこもり、銀の
(仕方ない、接近戦は諦めるか……!)
当のキリエスに焦りはない。ほぼ密着状態である今ならば、バミューやティマリウスとの戦いでやったように、全身からのエナジー放射で切り返せる。むこうが吹っ飛んで距離が空いたら、光線による攻撃に切り替える――。
そう計算を組み立てたとき、眼下の坂道を人影が駆け上がってきた。
「キリエスぅぅぅ――っ!」
影は二つ。喉も裂けよと絶叫したのは楓山紅葉で、そばには唯の姿もある。
目を疑った。こんなところに紅葉を連れてくるなんて唯は何を考えているのか。戸惑いがよぎったとき、二人がまったく同時に叫んだ。
「引き打てえッ!」
「がんばれぇぇぇッ!」
飾り羽根のごときキリエスの耳が、ふたつの言葉をたしかに捉える。
ドクン、と胸部の結晶体が大きく鼓動。絞り出されたエナジーが身体の紋様に沿って移動し、足へと流れ込む。
右足に粘りを利かせたまま、左足で踏み切った。
ただし――後方に。
『何ィっ!?』
ラセツが勢い余ってつんのめる。
キリエスは今度こそ前に出る。がら空きになった胴に狙いを定めて、すれ違いざまに光刃を振り抜いた。
『馬鹿、な……!』
ずるり、と。
ラセツの上半身が腰から滑り落ちる。
真っ二つになった肉体が、地面に落ちるより先に夜色の霞へと変じた。断末魔の残響を置き土産として、霞は南西に描かれた稜線の彼方に去ってゆく。
あとで聞いた話だが、かつて巨石に手形を押した羅刹鬼は
伝説は蘇ったわけだ――そっくりそのまま。
◇ ◇ ◇
「――本っっ当に、ご迷惑をおかけしました!」
駅裏のビジネスホテルのロビーで、紅葉は一同の前で頭を下げた。
ここで言う「一同」とは唯と和泉、それと八重樫を合わせた三名を意味する。唯としては紅葉と八重樫を会わせるのはよろしくない気もしたのだが、紅葉はどうしても来ると譲らなかったし、八重樫には水くさいことを言うんじゃねえと笑い飛ばされて、結局断りきれず現在に至る。
「私のせいでとんでもないことに……」
「いやいや。妖怪に取り憑かれるなんて気をつけてどうにかなるこっちゃねえ。謝る必要はないさ、楓山さんにとっても災難だったんだから」
それだけに、八重樫の性格は救いだった。快癒していない身でありながら、怪我の原因を作ってしまった紅葉に対しても別段思うところはないらしい。この理解の早さというか、ある種の潔さはつくづく尊敬に値する。
「考えてみりゃおれも伝説の生き証人になれたわけだしな。これはこれで貴重な体験ってやつだろ、なあ桐島?」
彼はそう言って、また大声を出さずに笑うのだ。
「――だそうだ、紅葉」
「はあ……ありがとうございます」
紅葉は腑に落ちない様子でいる。市内をあれだけ騒がせておきながらお咎めなしというのが釈然としないのだろう。
が、本人がどう感じようと、罪のないところに罰はない。
八重樫が語ったとおり、紅葉とて超常の存在に翻弄された被害者だ。彼女は故意に鬼を頼ったわけでもなければ、自らの意思で通り魔を行っていたわけでもない。すべては悪鬼が引き起こしたことで、そいつはキリエスの活躍によって裁かれた。
事件は解決したのだ。あらゆる意味において。
「さあ、過ぎたことはいいから前を向け。来年のインターハイで勝つんだろう?」
「そう……ですね」
「大丈夫だ。おまえが本当は強い子だということは、わたしがよく知っている。二度と羅刹を呼び込んだりはしないさ」
「っ……はい!」
紅葉が顔を上げる、
「でも、時々はお話させてくださいね! 電話させていただきますから! なんならメッセージアプリの使い方もお教えしますし!」
「あー、うん、わかったわかった。電話でも何でもかけてこい」
やった、と紅葉が飛び跳ねる。
和泉と八重樫が噴き出すように笑う。唯は気恥ずかしさに唇を曲げるが、
――まあ、いいか。
あとでノードリー隊員にでもアプリの使い方を聞いておこうと思う。
ところで。
ハウンドに乗って盛岡を発つ直前、紅葉が和泉に歩み寄って何事か囁いたのを唯は目にしたのであるが――
和泉によれば、それは「宣戦布告」だったらしい。
「お姉様の隣の椅子はしばらく預けておきます、いずれ奪い返しに行くので首を洗って待っててください……だそうですよ」
「……あいつめ……」
もう何度目かもわからぬ溜め息が漏れる。
将来にわたって、SSS-Uの戦力は安泰なのかもしれなかった。
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