Chapter 60. 武道少女・楓山紅葉

 もとより大きな期待はしていなかったが、なぎなた部の生徒たちから寄せられた情報は案の定、どれもネットを漂う噂のレベルに留まった。


 曰く、強者を求める武人の亡霊の仕業だ、とか。


 宇宙人が伝承を隠れ蓑にしているに違いない、とか。


 伝説の悪鬼「羅刹らせつ」が蘇ったのだ、とか。


 そういえば出発前、ノードリー隊員が「SNSの都市伝説クラスタがお祭り状態になっている」と言っていた。生徒たちの話の出所も、おそらくは元を辿ればそういう界隈に行き着くのだろう。


 壁際に佇む和泉の視線の先では、話を聞かせてもらった対価のつもりか、唯が四人の女子生徒に対して指導を施している。後輩たちと接しているうちに平常心を取り戻したのだろう、表情が柔らかい。


 やがてひと区切りついたのか、唯は各々に言葉をかけて輪から離れた。杉戸教諭に頭を下げると、手持ち無沙汰にしていた和泉のところへと歩み寄ってくる。


「さて、そろそろ行くぞ。渋滞に捕まってはかなわん」


 壁の時計が十九時を指していた。


 八重樫刑事との約束は二十時だ。まさか一時間もあって遅れることはあるまいとも思うのだが、橋よりこちら側の市街に隘路が多いことは見てきたとおりの事実で、退勤ラッシュに巻き込まれるおそれがないとは言い切れない。


 ただ、和泉にはどうしても放っておけないことがあった。


「桐島隊員」


「なんだ?」


「楓山さん……でしたっけ。あの子に声をかけなくていいんですか?」


 唯が今の今まで教えていた生徒の数は四人。いつの間にか例の「楓山」という生徒がいなくなっている。


 そういえば、自分たちがキメンジャについての都市伝説を蒐集していた頃にはもう彼女の姿はなかった気がする。トイレにでも行ったのかと深く気に留めていなかったが、今に至るまで帰ってこないというのはおかしい。


 ――私、お姉様に合わせる顔がないんですっ!!


 楓山が全員の前で言い放ったセリフからすると、デリケートな事情があるのかもしれない。


 ただ、それにしては当の「お姉様」の態度がやけに淡泊なのだが。


「もちろん会っていくとも」


「だったら……」


「武道場で待っていたってあの子は戻ってこないだろうさ。なんでも、わたしに『合わせる顔がない』ようだからな」


 つまり、こっちから捜しに行くということか。


「あの子、どう言ったらいいのか……けっこう思い詰めてそうな感じでしたけど。何かやっちゃったんですか、桐島隊員に?」


「ぜんぜん覚えがないな」


「でも現に『合わせる顔がない』って……」


「まあそうなんだが」


 やれやれ、と言わんばかりの溜め息。


「何かをしたんじゃなくて、何もしてないからという理屈なんだろう」


「理由の心当たり自体はあるんですね」


「一応な。わたしは気にしてないっていうのに、思い込みの激しいやつだよ」


 唯は小さく肩をすくめると、武道場の出入口に向かって歩き出した。


 こうなると和泉にはもうついていくことしかできない。杉戸教諭と四人の生徒に会釈して、唯の後に続く。


「ところで、心当たりがあるのは楓山さんの行き先もですか? あてもなく捜し回ってたら八重樫さんとの約束に遅れかねませんけど」


「大丈夫だ。それについてもアテがある」


 唯は振り返りもせず、武道場を出るなり道を外れた。


 武道場のすぐ隣には体育館がある。が、武道場の出入口は私道に面した一つのみなので、施設どうしが通路で繋がっているということはない。


 というわけで、そのスペースには体育館の裏口がぽつんと存在するだけだ。学校そのものが坂の半ばに建てられているからだろう、裏口の扉は高い位置にあり、地面と扉との間をセメント造りの小さな階段が結んでいる。


 その階段が視界に入ったとき、和泉は唯が正しかったことを知った。


 体育館の閉じた扉の前、階段の踊り場にあたる場所に、道着姿の女の子が独りで座り込んでいたのだ。


「――紅葉もみじ


 唯の呼びかけに、少女はびくりと肩をふるわせた。


 無理もない。


 あれだけ頑なに脱ぐことを拒んでいた頭の防具を、彼女はまさに今、唯の目の前で外してしまっているのだから。


「お、お姉様!? どうしてここが……」


「わたしはOGだぞ。この時間、この場所に誰も来ないことくらい知ってるさ。わけありの奴がよく溜まり場として使ってることもな」


 懐かしそうに目を細めながら、唯は階段の下に立つ。


 楓山が背にする体育館からは、練習中の運動部員の声や、床に落ちるボールの音が絶えず漏れ聞こえてきている。


 が、なにせこちら側は裏口である。普段は使用されていないのだろう、扉は閉め切られており、下を塞がれた楓山にはもう逃げ場がない。


「せっかく帰ってきてみたら、かわいい後輩はわたしに会いたくないと言う。紅葉はわたしのことが嫌いになったのか?」


 ――うわ。


 唯があえて意地の悪い言葉選びをする様子を、和泉はいかにも珍しいと感じながら見守る。学校に足を踏み入れてからというもの、基地での唯からは想像のつかない姿をやたらと目にしている気がする。


「そ、そんな、まさか! 滅相もありませんっ!」


 ひとたまりもなかった。


 楓山はかわいそうなほどに慌てふためいて、


「お姉様は私の憧れです! 嫌いになるなんてあり得ないことです!」


「しかし、さっきは顔も見せてくれなかったじゃないか」


「い、いえ、ですからそれは――」


「つれないぞ。わたしは悲しい」


「うううう……」


 がっくりとうなだれる楓山。そんなに長いやりとりではなかったのに、もはや二人の力関係は部外者である和泉の目にも明らかだ。


 すると、唯がふっと表情を緩めた。


 そろそろ勘弁してやるか、という声が聞こえてくるかのようだった。


「おまえが気にしているのは夏の大会のことだろう?」


「……はい。期待してくださっていたのは分かっていたのに、私、出場することすらできませんでしたから」


 和泉が事情を察せずにいると、唯が振り返って簡単に説明してくれた。


 要するに、この楓山紅葉という少女こそが、八重樫刑事の口にしていた期待の新星なのだ。


 高い身長と確かな技巧を併せ持つ唯に対して、小柄ながらもパワフルな打ち込みを得意とする楓山。戦い方は正反対だが、それにもかかわらず楓山が「桐島唯の再来」と囁かれるのは、ひとえに才能の絶対量において比べ物になるのが唯くらいしかいないためらしい。


 その唯はかつて全国を獲った。楓山に栄光の再演が望まれるのも自然な成り行きだと言えよう。


 ところが、注目を集めながら大会に乗り込もうとした矢先、彼女は重い夏風邪に罹ってしまい欠場を余儀なくされた――というのが、事の顚末なのだそうだ。


「なるほど、そういうことか。なぎなたの団体戦って五人ですもんね。ギリギリの人数なんですね、ここ」


「まあギリギリだからこそ、団体戦は初めから申し込んでいなかったはずだがな。うちは昔からやる気のある奴だけが個人戦に出るスタイルだった。例外はわたしが卒業したあと二年か三年の間くらいの、部員が多かった時代だけだ」


 そして唯は、しょげ込む楓山に向き直る。


「なあ紅葉。まわりの期待を背負うってことが難しいのは、わたしにもわかる」


「……っ!」


 楓山が顔を上げた。


「――でもな、大会に出られなかったことで、誰かおまえを責めたか?」


「いいえ、面と向かっては……ですけどそれは、」


「内心がっかりさせた、と思うか? だったら切り替えて来年頑張ればいい。わたしが勝ったのだって三年生のときだぞ」


 それにだ、と唯はつけ加える。


「おまえがわたしに、その……憧れてくれるのは嬉しいが、おまえ自身がそこに縛られるのはよくない」


「でも、私はお姉様みたいになりたくて――」


「それは紅葉の気持ちなんだろう? だったら『自分は自分のやりたいようにやる、まわりが同じ気持ちかどうかなんて関係ない』って構えておかなきゃ損だ」


 和泉の脳裏に、ハウンドの車内で聞きかじった唯の昔話が蘇った。


 ――みんな学生が頑張るところを見るのが好きなのさ。


 いま楓山が感じている重圧はきっと、学生だった頃の唯を振り回したのと同質のものなのだろう。


「みんな紅葉の才能に惚れてるんだ。ちょっと一回ダメだったからって見損なったりはしない。惚れた弱みがあるからな」


 楓山はしばらく押し黙った。


 たっぷり十秒を使って唯の言葉を受け止めた後、彼女はぽつりと、


「……お姉様もですか?」


「もちろん、わたしもに決まっている」


 秋の北東北の十九時は暗い。空にはすっかり月が昇っていて、あたりを照らすのは体育館と武道場の窓から漏れる光だけだ。


 互いの姿がわかる程度の薄闇の中で、楓山がふらりと腰を浮かせる。


「――お、」


 ツリ目がちの双眸に、みるみるうちに涙が盛り上がった。


「お゛姉゛様゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 体育館内の運動部員たちも、武道場にいる杉戸教諭やなぎなた部の女子たちも、ひょっとしたら何事かと思ったかもしれない。


 ほとんど体当たりに近い勢いで、楓山が唯の胸へと飛び込んだ。


 ふうっ、と笑い混じりの息をついて唯は夜空を仰ぎ、楓山の小さな背中をぽんぽんと叩く。涙と鼻水でECHOエコーの制服を濡らされてもなお、唯は自らの後継者を優しく抱きしめ続けていた。

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