Chapter 59. 聖陵女子高なぎなた部

 八重樫と一旦別れて警察署を出た。


 再びハウンドに乗る前、唯がプライベート用のスマートフォンでどこかへと電話をかけていた。そうだろうと思ってはいたが、案の定「もう一つの用事」とは土壇場での思いつきだったようだ。


「アポ取れました?」


「ああ」


 中央通りを逆方面に向かって走る。交差点を折れて拡幅工事中の区間を通り過ぎ、大学前の通りを抜けて国道を横切る。山に食い入ってゆくようにして坂道を登ると、少しも行かないうちにレトロな佇まいの郵便局が見えた。そこを目印にして角を曲がれば、大きな池を中心に整備された公園へと辿り着く。


 言葉にするとずいぶん走ったように思えるが、実際にかかった時間はせいぜい十分と少しだ。


 都市と自然との距離が近いんだ、と和泉は地図を眺めながらおぼろげに察する。ただでさえ面積の小さい平地が三本もの河川によって分割されている――そういう地形の為せる業なのだろう。


 ハウンドは公園の駐車場に停まった。運転席から唯が降りるのに続いて、和泉も助手席を立つ。


 まわりは住宅地のようだ。


 それだけに、池のほとりに建つ学園の校舎は目立った。


「高校、ですか」


「私立聖陵女子せいりょうじょし高等学校。わたしの母校だ」


 へえ、と思ったのも束の間、和泉はふと、


「――じゃあ、俺はここで待ってるほうがいいですね」


「うん? どうしてだ?」


「どうもこうも。女子校なんでしょう?」


 唯がきょとんとした表情を浮かべる。一拍の間をおいて和泉の言う意味を理解した唯は「はあっ」とこれ見よがしに嘆息して、


「あのな……たしかによく勘違いされるんだが、女子校だからって全面的に男子禁制ってわけじゃないぞ。男の職員だってちゃんといる」


 そうなのか。知らなかった。


「だったらついて行っても大丈夫ですね」


 和泉はあっさりと発言を撤回する。


 ところがその瞬間、気のせいか、唯の表情が一転して「しまった」といった具合に引きつったように見えた。


「――? どうしました?」


「あ……いや、その……べつに無理に来いとは言わんぞ」


「えっ? いやいや行きますよ。ただ待ってたって仕方ないし」


「そ、そうか。そうだな……」


 やはりどこか様子がおかしい。


 和泉は眉をひそめたが、尋ねたところで無駄だろうともわかっていた。素直に答えるくらいであれば最初からごまかすような態度はとるまい。


 であれば、さっきから気になっていたことを明らかにするほうが有益だ。


「ところで、高校にどういう用事があるんです?」


 八重樫とのやりとりからして、ここに来たのは「二世」に会うためであるはず。和泉にはその「二世」が何を意味するのかわからない。


 流れから言って一世は唯以外にあり得ないのだが、どう考えても彼女は高校生の子供がいるような年齢ではない。だいいち、唯に旦那や子供がいるなどという話を和泉は一度として聞いたことがなかった。


 話題の転換が功を奏したらしい。唯は落ち着きを取り戻して、


「ここのなぎなた部に有望な後輩がいてな」


 和泉の思考を知ってか知らずか、そのように説明した。


「武道や格闘技の経験者が被害に遭っているなら、巻き込まれるかもしれない。キメンジャの噂について探りを入れがてら、注意を促しておきたいんだ」


 ――なるほど、そういう「二世」か。


 それであれば話はわかる。要はマラドーナ二世とかネクスト・ジョーダンみたいなもので、かつてのスターを思わせる才能豊かな新鋭に贈られる称号、ということだろう。


 改めて、この地での唯の勇名が窺い知れる。


「何と言うか、さすがですね。一世がすごくなきゃその後輩の子だって二世とは呼ばれてないでしょう」


「……その呼び方なんだがな」


 唯の表情が曇る。


「本人の前では避けてやってくれ。ちょっと……難しい時期だから」


 ゆるい坂を上がって、校門へと近づいてゆく。




 武道場の扉を開けると、稽古中の女子たちの掛け声が出迎えてくれた。


 防具に身を包んだ生徒が五人、型稽古に励んでいる。その傍ら、彼女たちを見守る位置に立っているのが、聖陵女子高校なぎなた部の顧問、杉戸すぎとゆかり教諭であるとのことだった。


 唯と和泉の姿を認めるなり、杉戸が号令をかけた。


「――全員、稽古やめ!」


 虚空に打ち込まれるなぎなたが一斉にぴたりと動きを止める。


 唯と和泉が武道場の奥までやって来るのを待ってから、杉戸は居並ぶ生徒たちを見回した。


「最近市内で起きている通り魔事件のことは皆も知っていますね?」


 五人の少女がめいめいに頷く。


 和泉はそのうちの一人に目を留める。できるだけ気にしないようにふるまいたかったのだが、楓山というらしい――垂にそう書いてある――その少女は、一人だけ面を外しておらずどうしても目立った。


「今日はその件でECHOエコーの方がお話に来ています。……えー、つまりですね、今日の桐島さんはOGとしてではなく仕事として来ているわけですしご同僚の方だっていらっしゃるわけです。楓山かえでやまさん面を取りなさい失礼でしょう」


「イヤですうっ!!」


 わんわんと響くような大声、


「私、お姉様に合わせる顔がないんですっ!!」


 ――お姉様?


 状況からして該当者は一人しかいない。和泉は唯へと視線を滑らせる。


 唯は俯いていた。顔面を掌で覆って何やらぶつぶつとボヤいている。口元が「やっぱり連れてくるんじゃなかった」と動いているように見えて、あれはもしかしなくても自分のことを言っているんだろうなと和泉は思う。


「……あー、先生?」


 咳払いとともに唯が顔を上げる、


「わたしたちは気にしないので、ひとまず話を進めさせてください。――和泉も、構わないな?」


 声音こそ徹頭徹尾なごやかだったが、和泉に向けられた切れ長の目が「何も訊くな」と語っていた。圧力がすごい。


「……ええ、まあ……」


「よし」


 唯は深く頷くと、立ち位置を譲った杉戸に代わって生徒たちの前に進み出た。一本結いにした後ろ髪が揺れて、意外なほど細いうなじが覗く。


 和泉の網膜に焼きつく、朱く色づいた肌。


「――今回の事件に対して、わたしたちECHOが捜査に入ることになった。これは通り魔が人間ではないかもしれないという意味で、いつどこに現れるか現段階では予測できない。できるだけ外で一人にならないよう心がけてほしいし、もし知っていることや気になることがあったらECHOの窓口に通報してほしい」


 いやに事務的な口調だった。


 普段の唯なら、もっと穏やかな声音で話すはずだった。


 唐突な気まずさに襲われて、和泉は唯の背中から目を逸らす。行き場を求めて彷徨さまよった目線が、壁にかかった額縁と、そこに収まった写真を捉えた。


 写っているのは唯だ。ここに在学していた頃なのだろう、道着と防具を身につけた姿で、トロフィーを持って笑顔を浮かべている。


 自分が彼女の立場だったら、たしかに仕事仲間にはあまり見られたくない場所かもしれない。


 ――けど……。


 正直なところ、来て正解だったというのが和泉の本音だ。


 なぎなた部の生徒たちは、いずれも唯をまっすぐに見つめて彼女の話に聞き入っている。憧憬の滲むそのまなざしに、多くの人々が見せてきたようなECHO隊員への忌避感は微塵もない。


 唯の後輩でよかったと、つくづく思う。


 ――それにしても。


 面を被ったままの「楓山」が否応にも目を引いた。


 唯に合わせる顔がないと叫んでいた少女がいったい何をやらかしたのか、和泉は今、とてつもなく気になって仕方ない。

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