Chapter 58. いざ、みちのく

 打ち合わせに従って、和泉はハンドルを唯に明け渡した。


 ナビの予測は概ね正確だったと言える。盛岡南ICへと差しかかったのは三時間と五分ほど走った後のことで、高速道路を下りたハウンドは国道四六号線に沿って市街地へと向かった。


 窓の外の景色が、一面の田んぼからロードサイド店舗の群れへと変わる。


 建物も新しければ道もかなり新しい。分離帯を挟んだ副道の脇、歩道に併設された自転車専用レーンの上で、スポーツウェアに身を包んだ男がロードバイクのペダルを漕いでいる様子が見える。ロードバイクを追い越してゆくハウンドの助手席に座りながら、和泉は聞いていた話との印象の違いに頭を捻った。


「なんだ、道路広いじゃないですか。もしかして桐島隊員、単に運転したかっただけなんじゃないですか?」


 普通に言ってくれれば代わったのに――和泉は軽く笑みをこぼす。


「わかってないな」


 唯は呆れたような反応、


「このあたりは最近になってから再開発された界隈なんだ。もともとの市街地が車に優しくないなんてことは市だって承知していたから、区画整理するとき道路もしっかり整備したんだよ」


「ああ……たしかに小綺麗というか、どっちかといえば郊外型の店が集まってますね。いかにも『自家用車で来てね』って感じの」


「ターミナル駅からアクセスできる新市街という位置づけではあるんだが……なんせ川で隔てられてるからな、郊外と言ってもそう的外れじゃない気はする。市の中心は今でも橋の向こうさ」


「川に、橋ですか」


「雫石川と盛南大橋せいなんおおはし。そこを越えたら駅前で、わたしたちの目的地はさらにもう一つ、北上川を越えた先にある警察署だ」


 ――盛南大橋。


 和泉はその固有名詞に引っかかりを覚えた。ブリーフィングの際、モニターに表示されていた資料の中にそんな名前が記述されていたと記憶している。


「そういえば、二件目の事件ってその橋の高架下でしたよね?」


 果たして唯は、表情を変えずに肯定した。


「空手家が被害に遭ったやつだな」


 第一の事件があってから三日後の、二十三時を過ぎた頃のことだ。空手の指導員をしている男性が橋のたもとを通りかかったとき、鬼の面を被ったレインコートの人物に襲撃された――という話だった。


「近隣は住宅地だ。開いてる店は通り沿いのコンビニくらいで、その明かりも現場からは少し離れてる。夜中じゃ目撃者がいなくても無理はない」


「住宅地なら、むしろ誰か出てきそうなもんでは?」


「あそこの高架下は除雪車が並んでたり資材のフレコンが積まれてたりして、見通しがよくないんだ。窓からちょっと覗いた程度ではまず気づかん。よほど大声で騒げば別かもしれんが」


「そうですか……ううん」


 和泉はECHOPADエコーパッドに目を落として唸る。


 ダウンロードした資料を読む限り、この連続傷害事件はいずれも人通りの薄れる時間帯を狙って起こされている。


「捜査、難航するかもしれませんね」


 ところが、唯はこれには同意しなかった。


「わたしはそうは思わん」


「なぜです?」


「キメンジャが狙う相手はハッキリしている」


「武道や格闘技の熟練者ですか? ――あ」


 理解した。


 唯の横顔は相変わらず涼やかで、心のうちを読み取ることは難しい。それでも、彼女がどんな方法で捜査を行おうとしているのかは経歴を考えれば明白だ。


「囮作戦ですか」


「君から学ぶところもあるというわけだ。もっとも、わたしは一人で事にあたるほど無謀じゃないけどな」


 唯の口角が不敵に吊り上がる。


「囮役はわたし。敵が現れたら二人で挟み撃ちにして確保だ」


「了解です」


 大きな交差点に出た。左右の岐路に目もくれず、ハウンドは青く灯った信号機の下をまっすぐに潜り抜けてゆく。




 結論を言えば、唯は正しかった。


 盛南大橋を越えてタワーマンションの並ぶエリアを横目で見送ると、左手に盛岡駅を、右手に白塗りのトラス橋を臨む交差点に差しかかる。トラス橋――開運橋かいうんばしと命名されているらしい――を渡ったハウンドは、ややあって正面にアーケードの商店街を迎えた。


 赤信号に捕まって停止したハウンドの車中で、唯が言った。


「この先が大通おおどおり菜園さいえん。いわゆる繁華街、あるいは歓楽街だな」


「じゃあ、ここが街の中心なわけですか」


「ここというよりは、ここを含めた一帯、と言ったほうが正確だろうな。駅はさっき見たとおりの場所だし、官庁街はさらに向こうだから」


「はあ……ところで桐島隊員、繁華街の名前、もう一度いいですか?」


「? 大通だが?」


 聞き間違いかと思ったが、やはりそうではなかったらしい。


 和泉は商店街の入口をまじまじと見つめる。


 たしかに信号機の真上に「大通三丁目」という表示が掲げられているし、現に多くの人が出入りしていることからして実際賑わってもいるようだ。唯にからかわれているわけではない、それはわかる。わかるが――


「一車線、しかも一方通行じゃないですか」


 両脇をアーケードに固められた道路は、ただでさえ狭いうえに駐車スペースと自転車レーンのおかげで尚のこと窮屈に見える。


「だから言ってるじゃないか、市街には古くからある道が多いって。大通って名前の由来はわたしも知らないが、たぶんあくまでも商業の中心って意味だろう」


「交通の軸ってわけじゃない、と?」


「歩いて回るぶんには逆にいいぞ。向かい側にどういう店があるのかわかるし、気になったらすぐ渡れるからな」


 信号が青に変わる。


 唯はハンドルを左方向に回転させた。さっきから出していたウインカーに従ってハウンドが左折し、ビルの間を抜けてビジネス街に出る。片側二車線。言うまでもなく先程の「大通」よりもずっと幅が広い。


「中央通りだ。交通網という意味ではメインストリートはこっちだな。この道をまっすぐ進むと官庁街に行ける」


「じゃあ、そのなかに警察署があるわけですね」


「そういうことだ」


 ハウンドはそのまま中央通りを直進して、やがて突き当たりに辿り着いた。目の前に市役所。その隣にそびえるのが、目的地である警察署だった。




 署内を歩く間、警官とすれ違うたびに会釈を交わした。


 もちろん和泉も頭を下げたが、視線を集めていたのは明らかに唯だ。何度か声をかけられさえした。どの者も親近感、あるいは敬意のこもった眼差しを唯に送っていたことから察するに、彼女の前職での活躍ぶりは相当なものだったのだろう。


 ――まあ、そうでなきゃ隊長の目に留まらないよな。


 傍らで感心混じりの納得を覚えながら、和泉は唯の後ろについて、ちょうど開け放たれていた刑事課の扉を潜った。


 途端、がっしりとした体つきの男がこちらに気づいて近寄ってきた。


「おお、桐島! しばらくぶりだな。元気そうじゃないか」


「先輩もお変わりなく」


 すると、この壮年の男が情報提供者の八重樫剛というわけだ。


 手土産の袋――サービスエリアでまんじゅうの箱を買っていた――を八重樫に渡した唯が、彼のくたびれたスーツを一瞥した。正確にはその奥に隠された、おそらくはバストバンドで固定されているであろう彼の胴を。


「その様子だと、怪我は重くないようですね」


 八重樫は大声を出さずに笑った。


「肋骨の一本や二本で寝込むほどヤワじゃねえさ。痛むことは痛むから現場で捕り物するのは無理だが、書類仕事くらいならこなせる。――ところで桐島、」


 物珍しげな視線が和泉を捉える、


「そっちの若いのは、もしやおまえの後輩か?」


 和泉はぺこりと頭を下げ、右手を差し出して、


ECHOエコー日本支部、SSS-Uトライエス・ユニットの和泉眞と申します。桐島隊員の補佐をやりつつ、捜査のいろはを勉強させてもらってます」


 ほおお、と八重樫は目をみはる。


「桐島に教えた身としちゃあ感慨深いもんがあるな。――岩手県警、刑事一課の八重樫剛だ。よろしくな」


 気安い調子で名乗った八重樫がしっかりと手を握り返してくる。


 シャツの袖から覗く逞しい腕。さすがに刑事と言うべきか、日頃からよく鍛えていることが窺えた。


 この八重樫ですらキメンジャには敵わなかったのだ。


 そう意識すると、なぜ唯と自分の二人が送り出されたのか改めて納得できる。いつものペアという見方もできなくはないが、今回に関しては別の事情も汲まれているはずだ。


 各々がまったく異なる分野のエキスパートであるSSS-Uのメンバーのうち、対異生体白兵戦術の資格を有しているのは二人。それが唯と自分なのだ。


「では先輩。捜査状況について伺いたいのですが、担当刑事はどちらに?」


 唯が本題を切り出すと、八重樫は鷹揚おうように頷いて、


「何時間か前、おまえらんとこの隊長さんからウチの本部に連絡が入ったみたいでな。上から協力するように言われてんだ」


「え。先輩が担当なんですか? 怪我人でしょう」


「まあそうなんだが。ただなあ……担当もなにも、連続傷害だと認定したときにはもうおまえらに引き継ぐって決まっちまってたから、結局おれが一番事情通なのよ。個別の事件では地域課のやつらが動いたのもあるしな」


「……なるほど」


 和泉がついていけずにいると、唯が「先輩は刑事課に転属する前、地域課にいたんだ」と説明してくれた。どうやらかつての唯も地域課勤務だったようで、八重樫から薫陶を受けたというのはその頃のことであるらしい。


 別室にでも移動するのかと思ったが、八重樫は窓の外へと視線を投げた。


「ちと早いが、飯でも食いながらにしようぜ」


 季節は秋。北国の夕方の空は暗い。


「例の店でいいよな?」


「大通のですね」


 変わらないなと言わんばかりに口元を緩めて、唯は快諾した。


 しかし直後、その唇が「あ」の形に固まる。


「――そうだ。先輩、食事の前にもう一つ用事を片付けておきたいので、あとでまた落ち合いましょう。二〇時で大丈夫ですか?」


 八重樫は眉を小刻みに上下させた。


「構わねえよ。あれだろ、二世と会ってくるんだろ?」


「ええ」


 和泉はまたしても頭の上に疑問符を浮かべる。


 ――二世?

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