Chapter 54. レーベン飛翔せよ
一昼夜が過ぎた。
気科と空戦隊による懸命の警戒も虚しく――
あるいは、懸命の警戒が奏功して――
どう評価すべきかは判断の分かれるところだろうが、とにかく、
それでも事態に進展がなかったわけではない。和泉がブリーフィングスペースに顔を出したとき、
山吹の持ち帰った映像データを解析した結果だ。翼の形状、そしてリング状に生えた首元の羽毛が、記録にあるコルドラーの情報と一致したのだという。
「――とは言っても、居場所を掴めてないことに変わりはないんですよね?」
「いや、そうでもないよ」
和泉の疑問に答えたのは周防だ。彼はデスクの上にばさりと資料を置き、余裕を窺わせる口ぶりで話しはじめる。
「目撃情報がいくつか寄せられているんだ。場所がバラバラだから、これからコマンドルームで検証をしなきゃならないけどね」
そこに山吹が食いついた。
「どこの誰からの目撃情報です?」
一見したところ、山吹の様子に昨日までと違ったところは見られない――当然、この任務への強い執着が態度から透けているという意味で、だ。
仕方のないことだ、と和泉は思っている。
いけ好かない後輩に己の事情を打ち明けたからといって、それがいったい何だというのか。コルドラーは因縁の敵なのだ。依然変わりなく。
「いろいろだね。登山客だとかバードウォッチャーだとか周辺町村の住民だとか」
「四年前はそういうのを鵜呑みにしたせいで失敗してるんです。くれぐれも慎重に頼んますよ」
「無論、承知しているとも。僕としても参謀のお歴々のクビを飛ばすのは忍びないしね、桐島くんにも入ってもらって確実にやるさ」
「……信じますよ」
ひとまず納得した様子で引き下がり、山吹は椅子の背もたれに体を預けた。
そんなぶっきらぼうなふるまいも、彼の過去を聞いた今となっては、痛いほどの切実さの発露であると和泉には理解できてしまう。
ここで前回と同じ
相手が「首輪付き」だと気づいた瞬間、山吹の胸裏には歓喜すら湧いたのではないだろうか。
萩原沙耶佳が動かなくなった日からずっと、山吹の時計の針もまた進んでいないのではないだろうか。
だとしたら、それは――
その生き方は、まるで――
「情報の裏づけが取れたとして、だ」
藤代隊長の声が和泉の思索を断ち切った。
「攻撃をかければ当然、コルドラーは飛び立つと考えられるな?」
「でしょうね」
「人口密集地への飛来を防ぐ策があるのか?」
藤代は鋭い目を向ける。重要な指摘である。問うた藤代だけではない、この場に揃った全員の関心事とさえ言えるほどの。
五人ぶんの視線を集めながら、周防は不敵に口角を上げてみせた。
「攻撃するのは、コルドラーが飛び立った後です」
「後?」
藤代がぴくりと眉を動かす。
「いつ飛び立つかの予測が可能という意味か?」
「ええ」
周防は首肯、
「北アメリカのインディアンの間に伝わるサンダーバード、アラビアにおけるロック鳥、中国の
朗々と語る周防の声が、和泉の耳の奥底で、昨日の山吹の話とリンクする。
「――台風ですか?」
四年前の事件の日、天候は荒れていたという。
今、テレビや新聞はしきりに台風の接近を報じている。
過去と現在に共通していて、なおかつ周防の言うように世界のどこでも発生しうる現象となれば、それしかないように思われた。
「正しくは熱帯低気圧だがね」
周防がモニターに気象図を表示させる。今朝得られた最新のものらしく、間近に迫った台風十六号の進路がこれ見よがしに描かれている。
「昔の人間は『イワツバメ高く飛び乱れるときは大風暴雨あり』なんて言っていたものだよ。低気圧が発生させる上昇気流は、大型の鳥類が飛び立つ絶好の条件だ。ましてやコルドラーほどの巨体ともなれば……」
――台風を利用しないはずがない。
皆が無言で頷き合う。
藤代が立ち上がり、後を引き取った。
「やるべきことがはっきりしたな。奴の現在地を特定すれば、その周辺が強風域に入る時間帯を割り出せる」
もはや話に費やすべき時間はなかった。
「私は参謀本部に作戦を説明してくる。その間、周防副長の指揮のもと、桐島隊員とノードリー隊員で目撃情報の精査を始めておいてくれ」
藤代の視線がメンバーの顔を順番に捉える。
「山吹隊員と和泉隊員は格納庫で待機だ。いつでもレーベンを発進させられるよう、機体と心身を整えておけ」
「了解!」
全員の応えが返るなり藤代は解散を命じた。資料を携えてブリーフィングスペースを退出する。振り返りぎわ、厳しく引き締められた横顔を和泉の網膜に残して。
――隊長もこの戦いに懸けてる。
SSS-Uの存在意義を問われる一戦だということが、否応なしに意識される。
和泉はモニターに映し出されたままの気象図を見やった。
暴風域がすでに沖縄を覆っていた。気象庁の発表によれば、台風はおよそ三日をかけて日本列島を縦断する見込みだ。すなわち――
「あと三日のうちに決着がつく」
すぐ隣から声がした。
「嵐の中を飛ぶことになるぜ。自信がないなら雲の上にいろ。――足引っ張りやがったら後でぶん殴るからな」
山吹が身を翻して立ち去ってゆく。
三時間後、コルドラーの現在位置が判明した。
麓のホテルの宿泊客から寄せられた「デカいもんが山頂付近で動くのを見た」との証言が、定点ライブカメラがそれらしき影を捉えた時刻と一致したらしい。映り込んでいた鳥形の影の大きさを対比物と比較して算出した結果、九〇パーセント以上の確率で、翼を畳んだそいつの体長が二五メートルから四〇メートルの間に収まることもわかった。
コルドラーは今、富士の山頂にいる。
そこが強風域に入るのは、明日の十四時だ。
◇ ◇ ◇
『まもなく富士山周辺が強風域に突入する。山吹隊員、和泉隊員、二人とも作戦は頭に入っているな?』
決戦の時刻が迫っていた。
コクピット内のホルダーにセットした
「コルドラーが飛び立ったのを確認すると同時に出撃。高度三万フィートからV角に降下して奴のいる空域まで侵入し、目視したらミサイルを発射。空中でカタをつける」
『そのとおりだ。念を押しておくが、シールドミサイルは二人合わせても二発しか撃てん。外すんじゃないぞ』
「わかってますよ」
藤代の言う「シールドミサイル」とは、技術開発局がつい先日完成させたばかりの新兵器のことである。
沖縄で撃破した機械仕掛けの悪魔――ティマリウスの残骸から得られたデータを解析し、こちらを散々苦しめてくれたエネルギーシールドの機能を限定的ながらも再現して、レーベン主翼下のハードポイントに装備したのだ。
なにしろ製造が始まったばかりなので、一号機、二号機ともに、それぞれ四つあるハードポイントのうちの一つにしか搭載が間に合わなかった。
――いや……逆だな。
――たとえ一基ずつでも間に合っただけ御の字だ。
整備士たちはここ数日間、電装系を強化する作業を並行して進めていた。レーダーがダウンしたことは決して整備班の落ち度ではなかったはずだが、それでも彼らなりに思うところがあったのかもしれない。いいスタッフたちだと思う。
雷雲に守られた怪鳥を討つことは簡単ではない。
だが、ミサイル自体が盾を構えて突っ込めるなら話は別だ。宇宙空間を吹き荒れる磁場からティマリウスを防護し、キリエスやシグナの攻撃を
『――山吹隊員』
と、新たに通信が入った。
和泉からだった。
「……何だ」
自分でも引くほど硬い声が出た。
『本当に編隊を組まなくていいんですか?』
「何をほざくかと思えば……」
山吹は呆れた。ブリーフィングの席でも散々確認した話だったからだ。
もちろん、まったく別々に飛行するわけではない。同じルートで標的に接近するし、戦況に応じて通信でやりとりを交わしもする。
が、エレメント・リーダーとウイングマンの関係ではないという意味において、二人はたしかに編隊ではない。
そのほうがうまくいくはずだと、山吹が周防に進言したのだ。
「俺とおまえの相性が悪いことなんざわかりきってるだろうが。今回は桐島もいねえしな。編隊長としておまえに言うこと聞かせる自信はねえよ」
『まあ、いろいろ言い合いましたけど……だからって任務の最中に指示を無視したりしませんよ』
「いや、おまえじゃなくてな」
『どういうことです?』
「首輪付きを前にして、俺が、適切に指示出す自信がねえってことだ」
とうに自覚している――怪鳥との再会を果たしてからというもの、自分の精神からクールさが失われていることなどは。
『……大丈夫なんですか』
「戦うのに支障はねぇよ。もともと俺は指揮を執るのに向かねえ性分だ、おまえにとっても悪い話じゃねえ」
『こっちで適宜状況を見ます。サポートしますよ』
「好きにすりゃいい。ただおまえの場合、俺の心配するよりも自分が落っこちねえように気をつけたほうがいいと思うがな」
『だったら何かアドバイスくださいよ。コルドラーと二度会敵したパイロットって山吹隊員だけじゃないですか。何か掴んでいるんでしょう?』
――ふむ。
山吹は腕を組み、キャノピーから透けて見える灰色の天井を仰ぐ。
正しい要求だ。情報は共有しておくべきだろう。
「確実に言えるのは、こっちの勝算はミサイルによる一撃離脱だってことだな。二〇ミリが効かねえのは判明してるし、レーザー砲も大して有効とは思えねえ」
『ドッグファイトを仕掛けるなってことですか?』
「ああ」
山吹は頷いてから、ふと気づいて眉をしかめ、
「つーか、突っ込みすぎる癖を直せテメーは」
前々から気になってはいたのだ。
山吹はときどき、和泉が狂っているのではないかと疑うことがある。
宇宙船が相手ならまだいい。自分でもドッグファイトに持ち込むことを選択肢に入れる。しかし、体長何十メートルという怪獣に対してまで躊躇なく接近戦を挑んでいくのは、とても「果敢」の一言で済ませられる話ではない。
唯が同乗しているときは彼女の判断ということもあるだろうが、シミュレーターでの訓練の傾向から察するに、こうした無茶は和泉の癖だ。一人で飛んでいるときのほうが蛮勇を振るいがちなことからも、それは明らかだった。
「とにかく距離を保て。ちょっとやそっとの稲妻なら機体が受け流してくれるが、羽でぶたれたら一発でアウトだぞ」
『わかりました。――なんだ、けっこう見てくれてるんですね』
「やかましい。嫌でも目につくんだよテメーのは」
なんだか上手く会話のペースに乗せられた気がする。
「……ったく」
こういうところが生意気なのだ、こいつは。
そのとき、ECHOPADの映像が周防の顔に切り替わった。
『――山吹くん、和泉くん。たった今コルドラーが翼を広げたのをライブカメラで確認した。出撃を頼む』
山吹は、ほんの一瞬だけ瞑目した。
「……待ちわびたぜ」
喉の奥からこみ上げる灼熱の吐息を、静かに言葉に乗せた。
エンジンに火を入れ、次々立ち上がってゆくシステムにすばやく目を走らせる。油圧安定、動翼チェックOK、データリンク完了、アビオニクスとFCS共に正常。どこにも不調はない。キャノピー越しに外を見ると、整備士が手信号で点検終了を伝えてきていた。親指でサインを返してやる。
整備班の退避が済むと、床が上昇をはじめた。格納スペースはそれ自体がエレベーターになっており、発進用の電磁カタパルトに接続されている。
レールの末端へと運ばれた漆黒の機体の中で、山吹はヘルメットのバイザーを下ろした。
「山吹よりコマンドルームへ。システムグリーン。
『
「了解。レーベン一号機、
カタパルトが作動した。
猛烈なGが体じゅうにかかり、背中がシートに押し沈められる。山吹はその瞬間、己がパイロットであることを全身で感じる。
ゲートの形に切り取られた灰色の空めがけて、矢のように飛翔する。
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