Chapter 53. やり残している仕事

 沙耶佳と再会したのは、俺が正式に部隊へ配属されてからだ。


 候補生のときより自由度がマシになったとはいっても、現実問題として俺がいたのは百里で、沙耶佳のいる東京との間を行き来すんのは骨が折れた。自衛隊ってところはECHOエコーと比べて休みに関しちゃ制約が多くて、スケジュール的にも外泊できねえことがしょっちゅうだったしな。


 というわけで、会おうってときには沙耶佳のほうが茨城まで来るのがパターンだった。


 あまり楽しくはなかったはずだ。


 だってそうだろ? あのへんで観光スポットなんて霞ヶ浦くらいのもんだし、他に見るもんっつったら俺たちの航空祭しかなかったんだから。


 でも、沙耶佳は文句ひとつ言わなかった。


 俺に何かを要求することもなかった。わざわざ遠出して彼氏でもねえ男と休日を過ごすってんだから、見返りを求めたって罰は当たらなかっただろうによ。


 ――って、なんだそのツラ。


「それはもう事実上お付き合いしてるようなものでは」だと?


 …………。


 よくわからん。そういうもんなのか? 俺は完全に昔のまま変わってねえつもりだったし、沙耶佳も同じだと思ってんだが……。


 まあ、いい。今は置いとこう。


 どうであれ話の先は長くねえんだ。


 なにしろ、俺と沙耶佳がそうやって会っていられた期間は、たった一年すら続かなかったんだからな。


 沙耶佳は大学を卒業した後、立川駅前のアパレルショップで働いてた。


 ……コルドラーがやって来るまでは。


 列島に接近するコルドラーを最初にキャッチしたのは空自のレーダーだった。ちょうど今回みたいな感じだな。だが、たった一つだけ、どうしようもなく違っていたこともあった。


 空自がそのままコルドラーを迎撃したことだ。


 当時はECHOとの連携について今ほど法整備が進んでなかったし、だいいちあの日のECHOは初動をしくじって、見当違いな場所に防衛線を敷いてた。俺たちがやるしかなかった。


 戦闘の結果はデータベースにあるとおりだ。俺たちが武器を使い果たして撤退したあと、奴は悠々と立川を襲った。


 避難誘導もクソもなかった。


 空を飛んでたコルドラーがどこに降りるかなんざ誰にもわからなかったしな。鳥の気まぐれを予想できた奴がいたなら、そいつは予知能力者か何かだろ。


 ……街を瓦礫の山に変えた後、コルドラーは低気圧に乗るように飛び立って、そのまま海の向こうへと消えて戻らなかった。


 天気が崩れてたのは不幸中の幸いだったのかもしれねえ。繁華街のど真ん中で怪獣が暴れたにしちゃあ、死人や怪我人の数は少なかった。出歩いてる人間がそもそも普段より少なかったんだな。


 残念ながら、沙耶佳はその少数派の一人だった。


 吹っ飛んできた看板が頭に当たったらしい。


 俺が知らせを聞いて病院に駆け込んだときには手術はもう終わってて、沙耶佳はなんとか一命を取り留めた後だった。


 ほっとしたが……結果はこれだ。ぬか喜びだったな。


 今でもときどき、あのとき俺の機体がイーグルじゃなくてレーベンだったらと思うことがある。


 もう少しましな想像なら、せめてレーベンを動かせた奴らが誤報に惑わされていなかったら、とかな。


 けれど所詮、そんなのは想像でしかねえ。


 イーグルの機銃もスパローもサイドワインダーも怪獣には通じなかったし、ECHO側のお偉いさんは責任を追及されてクビを切られた。沙耶佳の意識が回復するかどうかは医者にもわからん。


 現実に起こったことは、それで全部だ。



     ◇ ◇ ◇



「しばらくして報道が落ち着いた頃、ECHOの人間が会いに来た。それが藤代さんだった。新部隊の創設にあたって組織内外から優秀な人材を集めている、ってあの人は言ったよ。――要はスカウトだな」


 断るつもりだった、と山吹は述懐する。


「俺に声がかかった時点で、宇宙探査局の研究員を副長として招聘しょうへいすることがすでに決まっててな」


「周防副長ですよね?」


「そうだ。で、藤代さんがエイリアン相手の防衛戦で活躍した人だって噂は自衛隊まで届いてた。宇宙のエキスパート二人をトップに据えようって部隊が、怪獣と戦う役に立つとは思えなかった」


 それはそうだろうな、と和泉は思う。


 もともと虚素の調査機関として発足したECHOにとって、怪獣災害への対処は紛れもなく本業の一環と言える。


 だが、エイリアンとの戦いは事情が違う。こちらは諸々の争点――たとえば「侵略者が生物兵器として怪獣を使役したら」という境界線の議論であったり、異星のオーバーテクノロジーと渡り合うに足る組織がECHO以外に存在しないという現実であったり、他国に主導権を握られたくないという各国の思惑であったり――が複雑怪奇に絡み合い、玉虫色の決着を見た結果に過ぎない。


 藤代や周防の実績がどんなに華々しくても、ECHOの成り立ちを考えれば彼らの専門分野は傍系だ。


 そういった人物が新設部隊の指揮を執ると聞いたら、自分が山吹の立場でもECHOの本気を疑っていたに違いない。


「頭に血が上って、つい怒鳴っちまった」


 遠い記憶を探るような口調、


「空の向こうよりも街を見やがれ、そんなことだから何も守れなかったんだ――ちゃんとは覚えてねえが、たしかそういう感じのことを言った気がする」


「それは……でも、」


「ああ。作戦に参加してなかった藤代さんに言ったところで仕方ねえ話さ」


 噛み合わない。和泉が問いたかったのは怒りの本当の矛先についてだ。


 山吹は続けた。


「ところがあの人、だからこそ一緒に来てほしいって言うんだ。レーベンの仕様書を俺の前に広げて、こいつを誰よりも上手く飛ばせるパイロットが自分にはどうしても必要なんだってな」


 和泉は面食らって、


「仕様書ですか? レーベンの?」


「機密情報だよな。流石に俺もぶったまげてよ、あんた俺が断ったらどうする気だ、って訊いたんだ」


「隊長、何て答えたんです?」


「断られるとは考えていない、だとさ」


 おかしそうな山吹の含み笑い、


「俺の経歴を洗いざらい調べ上げてたんだろうよ。俺が戦闘機バカだってことも、コルドラーのせいで植物状態になっちまった幼馴染がいることも、たぶんあの人は知ってた。レーベンを見せれば絶対に首を縦に振るって確信があったんだな」


「なんか……意外です。藤代隊長って規則とかには厳しい人だと思ってました」


「普段はな。でもあの人、いざってときは横紙破りけっこうやるぜ。でなきゃノードリーを隊に置くかよ」


 それを言われると和泉はぐうの音も出ない。藤代がサクラ・ノードリーに対して「違法な捜査を控えろ」と指導するところは見たことがあっても、「違法な捜査を止めろ」と命じるところは思えば目にした記憶がない。


「『私と周防は宇宙に目を光らせることができる。君は地球の空を飛ぶことができる。少数精鋭をもってあらゆる脅威に即応できる部隊を編成するには、君の力が必要だ』――藤代さんがそう言ったとき、俺の心はもう決まってた」


 降り続く雨がしとどに窓ガラスを濡らしていた。


 山吹がベッドから視線を剥がす。


「――俺がコルドラーにこだわる理由はこんなところだ。ゆうべのヤツは首のまわりに白い毛が生えてた。間違えようがねえ、四年前に現れたのと同じ、『首輪付き』と呼ばれてた個体だ」


 まっすぐこちらを射貫く眼の奥で、意志が黒々と燃えている。


「沙耶佳は俺が戦うことを望んじゃいねえだろうが――」


 だとしても、と彼は迷いなく口にする。


「首輪付きを仕留めることは、戦闘機のパイロットとして俺がやり残してる最大の仕事なんだよ」

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