Chapter 46. たとえつむじ曲がりの愚かさでも

 ようやく呼吸が整ってきた。


 砕けんばかりにきつく歯を食いしばりながら、キャリルはそろそろと体を起こした。額に浮いた脂汗が珠となって落ち、金属張りの床をぽつぽつと濡らす。


 強打した左腕が動かない。


 肘から先が焼けるように痛む。骨が折れているのかもしれない、という奇妙なまでに冷静な思考。


 ――でも……負けられない!


 断続的に火花を散らせる天井を仰いで怒鳴る。


「――シグナ、聞こえるっ?」


『聞こえています、キャリル。――動力系、駆動系、ともに致命的な損傷は認められません。システム復旧します』


 シグナはどこまでも落ち着いて事実だけを伝えてくる。人格を持たない人工知能の声が、この極限の状況にあって、キャリルの心を励ましてくれる。


 シグナはまだ戦える。


 自分も、まだ抗える。


 希望が潰えていない限り諦めるわけにはいかなかった。


 それだけに、次いでシグナが放った一言はキャリルをひどく驚かせた。


『脱出してください』


 耳がおかしくなったのかと疑う、


「なに言ってるのさシグナ、いまさら――」


『現在、本機は戦闘状態にあります。私も最善を尽くす所存ですが、戦況は流動的であり、乗員の無事を百パーセント保証することはできません。ただちに脱出することを推奨します』


「……うん?」


 どうも話が噛み合っていない。


 もしや、実はシステムの復旧ができていないのだろうか。


 被弾の衝撃でシグナが狂ってしまったということはないか――キャリルは真剣に心配し、一秒後、それが杞憂に過ぎなかったことを思い知るはめになった。


 自動扉が開き、ここにいるはずのない人物が飛び込んできたのだ。


「キャリルっ!!」


「――え、」


 我を忘れた。素っ頓狂な叫びが喉から飛び出た。


「えええええっ!? コーイチ!?」


 顔を見紛うはずがなかったし、声を聞き違えるはずもなかった。


 要するに、シグナは先程から興一に向かって警告を行っていたのだ。機械であるシグナが認識した以上、いま自分の目に見えている葦原興一は、夢や幻覚の類ではありえないということになる。


 興一は室内の惨状を見るなり眉をしかめて歩み寄ってきた。そんな友人の鼻っ面めがけて、キャリルは己の混乱を包み隠さず浴びせる。


「なんでいるの!?」


「なんでって、前に来たとき生体情報を記録したじゃねえか。おまえにロック解除してもらわなくても、コイツに乗れるようになってんだよオレは」


「いや、そうじゃなくって……どうして避難してないのさ! バカじゃないの!? 死んじゃうかもしれないんだよ!」


 混乱は、言葉にしたそばから怒りへと変わっていった。


 たしかに最初、興一に近づいたことに打算がなかったと言えば嘘になる。一打席の勝負を挑んだのも変化球を見たいとせがんだのも、ティマリウスの弩を攻略するヒントになればと考えたからだ。それは認める。


 だが、仲良くなりたいと思ったのは、決して少年を戦いの場に連れ出すためではなかった。


 危険な目に遭わせるために友達になったわけではないことくらい、興一だって理解してくれていると思っていたのに――!


「死ぬかもしれないのはおまえも一緒だろ」


 興一も退かない。わめくキャリルを真っ向から見据えて、


「おまえが乗ってなくてもシグナは動けるはずだよな。なのにそうしないのは、おまえが自分でカタをつけることに意味があると思ってるからじゃねえのか? やりたいことのためにバカな真似してんのはお互い様だし、いいじゃねえかバカでも別に。人間様の特権だろ」


 キャリルはもどかしい思いで首を振る。


 一理はある。自らの意思を放棄して機械に頼りきってしまったことが惑星ネリヤの過ちであるならば、それを正すには自分自身が闘わなければならない――キャリルがそのように考えていることは事実だ。


 しかし、彼には根本的なところがわかっていない。


「違うっ! たしかにそれも大事だけど、もっと単純な理由があるんだ」


「単純な理由?」


「勝てないんだよ。シグナが旧式だって話はしたでしょ? シグナの演算速度じゃティマリウスの性能には敵わない。全部の動きが読まれる。むこうの予測を狂わせるには、人間の判断っていう不確定要素を交えることが絶対に欠かせないんだ」


 すると興一は俯いて、後ろ髪を左手で掻きむしった。


 納得してくれたか――キャリルは安心したが、それも束の間のことだった。興一が再び顔を上げたとき、その眼は意を決したような光を宿していた。


「じゃあ、操縦はオレがやる」


「……はい?」


 思ってもみなかった提案に、キャリルは目を瞬かせる。


 興一が動かす? シグナを?


「ネリヤ星人がやるより地球人がやったほうが読まれにくいだろ?」


 名案だと直感した。光明が差したとすら思った。


「――そ、それだあっ!!」


 キャリルは勢い込んでシグナに呼びかけ、ヘッドギアとプロテクターのロックを外させる。


「ナイスだよコーイチ! それ全部つけたら操縦ブースに立って!」


「掌返すの早いなおまえ……これで合ってるか?」


「合ってる! コーイチが動けばシグナも同じように動く。武装は脳波制御。適切な姿勢をとって、頭の中で『撃て』って考えれば撃てる」


「推進器は? それも脳波制御か?」


「うん。スラスターにも武装と同じ要領でアクセスできる」


「オーケー、なんとなくわかった」


 そこで興一は、ちらりとキャリルの左手に視線を当てた。


「おまえさあ、こういう操縦方法なんだったらつまんねえ意地張るなよな。正直なところオレが来てよかったろ?」


 むぐ、とキャリルは言葉に詰まる。


「言っとくけどな、あんな事情聞いといて中途半端で放り出せるほど冷血漢じゃねえぞオレは」


「……それは知ってる」


「オレも自分で未来を変えてみたくなったんだ。最後まで手伝わせろ」


 それきり返事を待たず、興一は鋼の白騎士を立ち上がらせた。


 首を巡らせてゆく。シグナの首が連動して回り、メインカメラを搭載したツインアイが戦場の様子を捉える。


 凄惨な光景であった。


 あたり一帯の自然が屍を晒していた。弩に削られた丘は土砂崩れを起こし、茶色い山肌を露出させている。火の手が森を伝って延び、じわじわと焦土の輪を広げつつあった。すでにどれだけの生き物が命や住処を奪われたか知れない。


「ちっ、島で好き放題暴れやがって……!」


 殺戮の中心ですべてを睥睨へいげいする征服者。炎を反照する黒い脚が、うつぶせに倒れた巨人の頭を地に押さえつけているのが見える。


 キリエスにトドメを刺そうとしていたのだろう、ティマリウスはちょうど弩を大剣へと変形させたタイミングだった。にもかかわらずシグナの再起動に対しても抜け目なく反応してきたのは、さすがの反応速度と評するべきか。


 単眼がこちらを睨んだかと思うと、竜のような貌の顎門あぎとが開き、


「コーイチ、避けて!」


「うおっ――」


 興一が身を屈める。


 次の瞬間、稲妻がシグナの頭上を走り抜けていった。


「あっぶねえな、あンの野郎ッ」


 まともに受けていたら今度こそ破壊されていただろう。勇ましく毒づいた興一だが、首筋を冷や汗が流れているのがキャリルの位置からは丸見えだ。


 そのとき、キリエスが雄叫びをあげた。


「Zee...IiYaaah――――ッ!!」


 閃光。壮絶なスパークが衝撃となってキリエスの全身を走り抜ける。地面が爆ぜて土が飛散し、巨人自身の体が電気ショックに打たれたかのように跳ねた。


 直接触れた箇所を高エネルギーで焼かれては、ティマリウスといえども無傷とはいかない。蹄が融解する前にと、すぐさま足を離して後退する。


 キリエスが起き上がる。


 下界の穢れを寄せつけないかのようだった滑らかな肌は土埃に塗れ、銀と蒼が織りなす美しさは今や見る影もない。両脚に力を込めようとして果たせず、がくりと片膝をついたその隙を、ティマリウスは見逃さなかった。


 剛剣が振り上げられる。見るだに重々しい刀身は、キリエスの脳天を砕くに充分な威力をたやすく叩き出すだろう。


「させっか!」


 興一が腰を上げ、流れるような動作で何かを投げた。シグナのマニピュレーターがいつの間にか丸いものを握り込んでいたのだ。


 ――石?


 キャリルは興一の意図を図りかね、飛んでゆく物体に目を凝らす。野生の獣ならいざ知らず、ティマリウス相手に石なんか投げても効果はないだろうに――。


 だが直後、キャリルはあっと驚愕の声をあげた。


 スタンボールだった。


 電磁投射砲が破壊されたとき、弾倉からこぼれて地面に散らばってしまったスタンボールの残弾だ。戦っているうちにずいぶん動き回ったつもりだったが、光矢が直撃したときに砲撃位置まで吹き飛ばされていたらしい。


 とっさの行動とは思えないほどの見事なコントロールで、球体が大剣のどてっ腹にヒットした。その衝撃でスタンボールのスイッチが作動し、高圧電流が放射される。


 ティマリウスの外装にねじ曲がったアーク放電が走るのを眺めながら、興一は感嘆の唸りを漏らす。


「うおお、すげえ。便利だなこれ」


「すごいのはコーイチだよ。そんな使い方思いつかなかったもんボク」


 ティマリウスの動きが鈍った機を逸することなく、キリエスが踵から光の翼を生やして飛翔した。


 明滅を繰り返す胸の結晶体から、あたかも心臓が血管へと血を送り出すかのように、体表の蒼い紋様をエネルギーが伝った。エネルギーは銀の両腕の先、手甲のように発達した器官へと流れ込む。


 光を溜め込んで輝く腕を、キリエスが前方へと突き出した。

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