Chapter 45. 黒鋼の裁定者
巨人が手を伸ばすと、指先から蒼い光弾が迸ってティマリウスの足元で爆ぜた。そのまま巨人は鮮やかに空を
滑らかな銀色の肌。澄みわたる胸の結晶体と、そこから血管のように四肢へ向かって伸びる蒼い紋様。
キャリルは、その巨人の名を知っている。
「来てくれたんだ、キリエス……」
しかし今、キャリルにとってはもっと重要なことがある。
いくつかの事件において、キリエスは明らかに和泉を守るような行動をとっているということだ。
キリエスが現れたならば、きっと和泉は生きている。
「よかった……」
ほっと安堵の息をついたキャリルは、スクリーン越しにキリエスと目が合ったことに気づいた。淡く光る大きな双眸が、じっとシグナのカメラを見つめている。
まさかこちらの姿が見えているはずはない――そう思った。
違った。
シグナの中にいる自分が、キリエスには間違いなく見えている。その証拠に、全身にぽかぽかとした温もりを感じる。日なたぼっこをしているときのような心地よい感覚が、キャリルの体を柔らかく包み込んでいる。
ふと、その眼差しに既視感を覚えた。
『どうしましたか、キャリル』
「いや……何でもないよ。たぶん気のせい」
視線の交わりは、時間にして十秒もなかっただろう。
兜を被ったような形の頭が動き、銀色の顔がゆっくりと背けられていく。
キリエスが振り返った先では、先程の光弾によって巻き上げられた土煙が薄まりつつあった。機械特有の駆動音がして、粉塵の中から無傷のティマリウスが歩み出てくる。
「気をつけて、キリエス!」
キャリルはシグナの外部スピーカーに叫んだ。
「こいつは、キミが今まで戦ってきた相手とは格が違う!」
果たして言葉が通じるのかという不安は一瞬にして払拭された。キリエスはしっかりと頷いてみせ、気迫の声を吐きながら構えをとる。
万の援軍を得たような思いで、キャリルはシグナを前進させ、キリエスの隣に並び立った。
「一緒に戦おう。ボクらで未来を繋ぐんだ!」
「ZeAh!」
同時に地を蹴り、左右に分かれて走り出す。
キリエスが右手から光刃を伸長させる。それを確認したキャリルは脚部スラスターを噴かして急制動。盛大に立ちのぼった土埃に隠れて腕部多連装ランチャーを再び展開、ティマリウスの上半身と下半身の間を狙う。
人で言えば腰。馬で言えば首の付け根。そこにティマリウスの弱点が――メンテナンスハッチを溶接した箇所がある。
横殴りに浴びせかけられた猛烈な弾雨を、やはりティマリウスはシールドを集束させて遮断した。
そして、キリエスが反対側から懐へと飛び込んだ。
「HaAaah!」
輝く刃が振り抜かれ、
『無意味だ』
まるで予知していたかのように、黒曜の巨躯がゆらりと傾ぐ。
四つの脚を巧みに操って斬撃の軌道から身を外したとき、ティマリウスはキリエスに背中を見せる体勢にあった。
後脚が血も凍る速さで跳ね上がる。
蹄をかたどった金属塊が圧倒的な重量を乗せて、おそるべき精度でキリエスの頭を蹴り抜いた。
「Ga――」
首から先がちぎれ飛ばなかったのは幸運だったとさえ言える。
凄絶なカウンターをもろに受けたキリエスの体が、数十メートルも離れた山の斜面に叩きつけられた。樹木が潰れてメキメキと悲鳴のような音をたて、高々と舞い上がった岩塊が飛礫となって銀色の肌へと降り注ぐ。
よろめきながらも起き上がろうとするキリエスに、ティマリウスが容赦なく追撃を浴びせようと弩弓を向ける。
「危ないっ!」
叫び、キャリルはナイフを握って駆け、
『――無意味だと告げた』
『――警告。攻撃感知』
寸前。ティマリウスの温度を感じさせない声が響き、やや遅れてシグナのアラートがけたたましく鳴った。
キャリルは気づく。
キリエスへを標的と定めていたはずの弩が、いつの間にかこちらに突きつけられている。
「うぇっ!?」
心臓が鼓動を止める。反応が遅れる。
シグナのコンピュータが今度こそ機体の制御を奪い取り、フルスラストで側方に逃げる。
わずかなエネルギー充填の後に弩から放たれた光球が、一瞬前までシグナがいた位置で大爆発を起こした。
吹き荒ぶ熱波が白い騎士を
サブスクリーンに映った光景を目にしたとき、キャリルの背筋に痺れるような戦慄が走った。
岩山が大きく
「ほんのちょっとのチャージでこれか……!」
『直撃すれば大破は免れません。慎重な判断を求めます』
「わかってる。ありがとね、シグナ」
メインスクリーンに視線を戻す。
レーベン一号機が高高度から襲いかかり、レーザーを射掛ける様子が見えた。
また地上では、キリエスが立ち上がっていた。胸の結晶体が輝くと、その光が蒼い紋様に沿って滑るように流れ、銀の指先から光弾となって放たれる。
ティマリウスはどちらも防がなかった。
黒い装甲表面で火花が咲くのにも委細構わず、腕の弩弓から真紅の光矢を迸らせる。
「――Hu...!」
キリエスが体を捻り、エネルギーの矢を紙一重で
「ダメっ! まだ来るっ!」
キャリルは血相を変えて叫ぶが、忠告するにはすでに遅い。あさっての方向に飛び去るはずだったティマリウスのビームが、刹那、飛燕のように翻る。
ティマリウスに掴みかからんとしていたキリエスへと紅の矢が急迫し、横合いから膝を貫通した。
「GuO...!?」
がくりと脚が折れる。
つんのめり、土砂を跳ね散らせながら倒れゆくキリエスをめがけて、ティマリウスの片手が素早く伸びた。
鋼の五指が銀色の頸に食い込む。
そのまま腕が上がっていくと、キリエスの足はいとも容易く地面を離れた。吊り上げられたことで首が絞まり、キリエスが呻きながら身をよじる。
助けに入ろうとしたのだろう。レーベンがミサイルを放った。が、爆発に揺さぶられてもティマリウスの握力が緩むことはなく、衝撃を受けても墨色の重装甲は歪みもしなかった。
ティマリウスの弩がレーベンに向く。
「やめろおぉ――――ッ!」
キャリルは全速力でシグナを突進させた。
シグナがしがみつくより一瞬早く、ティマリウスの弩が火を噴いた。
「ああっ……!」
キャリルは絶望的な思いで矢の行く先を見やった。
青空へと駆け上ってゆくレーベンを、赤い光が追いかける。高さを稼ぐだけでは避けきれない――レーベンのパイロットもそう察したか、機体を鋭くターンさせた。
烏色の翼の下方には、島の陸地はすでにない。
急降下に転じる。
海面すれすれで機首を起こしたレーベンを、さしもの光矢も追尾しきれず海に没する。水柱と蒸気が噴き上がり、それらを振り切るようにしてレーベンが再び空へと帰ってゆく。
無理な機動が祟ったのだろう、飛行が危うい。失神しなかっただけでもパイロットは賞賛されて然るべきだが、もはや彼の援護を期待できそうにはない。
そしてもちろん、ティマリウスのパワーをシグナの腕力で抑え込むことは不可能だった。
「――んくっ……!」
力任せに振りほどかれてバランスを崩し、
『――警告。回避不能』
ノータイムで射られた光矢がシグナの胸元で炸裂した。
「うわあああぁ――――っ!」
コントロールブロック全体が震動に襲われ、至るところで火花が弾ける。
視界が二度、三度と回転した直後、左半身がどこかに強く打ちつけられた。自分の肘が意に反して鳩尾あたりにねじ込まれ、吐き気とともに呼吸が止まった。
反射的に涙が浮かぶ。滲んだ視界がスクリーンを捉える。
ティマリウスが腕を振ったように思え、
画面いっぱいがキリエスの背中で埋まって、
――激震。
とうとうキャリルは操縦ブースから投げ出され、硬い金属の上でのたうった。身を起こそうとついた手に
「……ぁっ……ぐぅぅ……!」
食いしばった歯の隙間から搾り出すような声が漏れる。
――立たなきゃ……!
自分を叱咤して立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
機材や家具の散乱する床に
◇ ◇ ◇
学校に忘れ物をした、次の便に乗るから先に避難しといてくれ――それだけ言って両親を振り切り、脇目もふらずに港から引き返したあとは楽だった。ECHOの戦車部隊が島のあちこちに展開していたが、あんな奴らは物の数ではない。こちとら生まれも育ちもこの島なのだ。昨日今日初めて島に来たような連中の目など、自分なら造作なくかいくぐれる。
そういうわけで、興一は今、天体観測所の裏手の山に身を潜めている。
――やべえな、こりゃ。
岩陰から身を乗り出すと、ほんの百メートルほど先に戦場が見える。
キリエスと呼ばれるあの銀色の戦士は、四月に芦ノ湖で怪植物と戦って以来、たびたび姿を現してはニュースを賑わせている。人類に味方してくれる無敵の救世主として。
しかし、そんなキリエスの力をもってしても、ティマリウスは手に余る敵であるように思われた。
「Ooooh――!」
倒れたシグナに歩み寄ろうとするティマリウスの後方から、キリエスが光の鞭を伸ばして抑えようとしている。だが、それが無謀な試みであることは傍目から見ても明らかだった。フルメタルの怪物はキリエスに輪をかけてデカく、おまけにキリエスはさっき片脚をやられたばかりだ。
綱引きでは分が悪いと悟ったのだろう、キリエスは力を振り絞って跳躍した。鞭を手繰るようにしてティマリウスの背に飛び乗り、連続して手刀を浴びせる。
「Haa! Zeah!」
半人半獣の首根を打つごとに蒼光が瞬き、金属を殴る音があたりに轟く。
しかし、ティマリウスはびくともしない。
ボウガンのような武装から、おびただしい数のビームの矢が射出された。花火のように打ち上げられた矢は空中で
巨人が痙攣したように背筋を反らし、苦悶の声を発する。ティマリウスが大きく体を揺すると、キリエスは為す術もなく振り落とされた。
倒れ込んだ巨人の腹を、鋼の脚が踏みつける。
「GuuOh...!」
キリエスの胸の結晶体が明滅をはじめる。そのことがどんな意味を持つかなど興一の知るところではなかったが、ドクンドクンという動悸のような音からは、どう聞いても不吉な予兆しか感じ取ることができない。
「このままじゃ負けちまうぞ……」
興一はぼやき、シグナへと視線をやった。焼け焦げて煙をあげる白い機体は、山の斜面に横たわったままぴくりとも動かない。
脳裏をよぎるのは、星空の下で笑う少女の顔。
「未来は変えられるんだろ……?」
世の中のことは全部なるようにしかならないと、今までずっと思ってきた。なりゆきに任せるのが賢いやり方だと信じた。
だが、あの女は違うのだ。
「寝てないで自分の言葉を証明してみやがれ、キャリル!」
優勝のかかった試合のときでさえ、ここまで一つの念が胸を焦がしたことはなかった。自分自身でもわけのわからない感情に突き動かされて、興一は岩陰から飛び出した。
目指す先は、シグナの内部へと続くハッチだ。
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