Chapter 44. デウス・エクス・マキーナ

 夜が明けて、嵐のような午前が過ぎて、作戦開始時刻は誰の都合も待ってくれずに訪れた。


 すでにシグナは亜空間を脱し、天体観測所の施設の前で仁王立ちの体勢をとっている。その内部のコントロールブロックの最奥、人型戦闘形態用の操縦ブースにキャリルの姿はある。


 頭には上半分を覆うヘッドセット。胴や腕、脚にはシグナの兵装管制と連動したセンサーつきのプロテクター。


 キャリルが町の方角へと首を動かすと、連動してシグナの首が回転し、メインカメラの捉える町の映像が立体スクリーンに投影された。


 静かなものだった。


 避難が終わっているのだから当然と言えば当然だ。島民はシェルターに入っているか、さもなければ島を離れたかのどちらかで、町に残っている人間は一人もいないはずである。


 ふと脳裏に浮かぶのは、ここ数日で仲良くなった少年の顔。


 ――コーイチ、どうしてるかな?


 離島のシェルターなど数も規模も知れている。彼の家がシェルターから近い位置にあれば島内に留まっているだろうし、遠ければ島外に逃げることを余儀なくされただろう。彼の家の場所を自分は知らない。


 葦原興一。学校のクラスメイト。野球が得意。面倒見がよくて勇気があって、でもちょっと口が悪くて、たぶん己の頭で考えたり決めたりすることを面倒くさいと思っている男の子。


 ――ボクの、大切なともだち。


 今まで友人がいなかったわけではない。しかし、ネリヤにいた頃は交友関係もすべてコンピュータによって定められていた。キャリルが自分の意思で友達になることを選んだのは、葦原興一が初めてだ。


 だからだろうか、


 ――キミのことをもっと知りたい。


 ――ボクのことをもっと知ってほしい。


 並んで教科書をひらいて勉強したり、机をつき合わせて給食を食べたり、きのう見たドラマについて語り合ったり、一緒に島のあちこちを見て回ったり、彼の得意な野球でまた勝負したり――そんな日々を想像してみると、心がどうしようもなくワクワクする。胸が躍る。


 故郷をなくす気持ちだけは、彼に味わわせてはいけないと思う。


「勝とうね、シグナ。ネリヤの過ちを終わらせるんだ」


『無論です、キャリル』


 決意を固めたとき、天体観測所のアンテナが電波を放った。


 シグナのシステムが警報を発した直後、白い巻雲を貫いて、青々とした空の彼方から黒き威容が飛来する。


「来たな、ティマリウス……!」


 激震を起こしながら、鋼の怪物が島の地面を踏みしめる。


 何物にも染まらぬ意志を知らしめるかのような黒塗りのボディに、高貴さを表すような金縁。押し寄せる津波のごとき巨体は四本の長い脚に支えられ、地球で言うところの人馬一体のシルエットを形作っている。


 機械仕掛けの支配者、ティマリウス。その風貌は、キャリルの記憶に焼きついているのと寸分たりとも違わない。


『本惑星のあらゆる者に告ぐ』


 スピーカーから気品のある男声が喋りかけてきた。


 ティマリウスが直接話しているわけではない。ティマリウスの発する電波を拾ったシグナが、そのパターンを解析して人語に翻訳しているのだ。


『当機の名はティマリウス。創造者より与えられた「秩序の守護者たれ」という存在理由に基づき、あまねく宇宙の秩序を保全するものである』


 同じような翻訳作業が、今まさに世界各国で行われているに違いなかった。


『秩序の保全を実行するため、当機は宇宙に仇なす敵を排除する。計算の結果、生命の存在する宇宙においては、生命の存在しない宇宙よりも高速でアコウクロウ現象が進行すると確認された。当機は、と定義した。秩序を守護するため、全宇宙を脅かす災害、すなわち――』


 竜を連想させるかおの中央で、単眼が冷たく光を放つ。



『――「生命」を、この宇宙から排除する』



 慈悲もなければ話し合いの余地もない。相手は血潮の通わぬマシーンなのだと、ティマリウスの宣告を聞いた全ての者が理解した。


 黒鋼の裁定者が動く。


 人の形をした上半身の右腕で武装が展開する。弩弓のようなその機械こそが星をも砕くティマリウスの主兵装であることを、キャリルとシグナは知っていた。


「行くよ、シグナッ!」


 あれを最大出力で撃たせたら地球はおしまいだ。


 シグナの腰部にマウントされたウェポンラックへとアクセス。腰の両側面から巨大なナイフが射出された。左右のマニピュレーターで掴み取る。


 ――戦う!


 脳内を昂揚が駆け巡り、怖れの感情を吹き飛ばす。シグナの脚部と背面スラスターが力を溜め込んだ一瞬の後、キャリルは敵をめがけて一気呵成かせいに突っ込んだ。


 右を振り抜く。


 手元を狙った一閃を、しかしティマリウスはあっさりといなした。馬を思わせる前脚が高々と上がり、上体が大きく後ろに反れる。シグナのナイフが、コンマ数秒前までティマリウスの腕があった空間を虚しく切った。


 キャリルは流れる視界の端で、ティマリウスの武装が変形するのを見る。弩の翼にあたる部分が閉じ、右腕との接続基点を中心にぐるりと反転したのだ。


 弩弓が剣に変わっていた。


 シグナのシステムが危険を察知してアラートを鳴らす。


「ええいっ!」


 キャリルは体勢を戻し、頭上で左右のナイフを交差させた。受けの構えを作ったそこに、ティマリウスの初撃が落ちてくる。


 刃と刃が噛み合う凄まじい音。シグナの両腕から足元までを衝撃が突き抜け、踏みしめた地盤が蜘蛛の巣のようにひび割れた。


 体格においても重量においてもティマリウスはこちらを遥かに凌いでいる。パワーの差を見せつけるかのようにティマリウスが剣を押し込んでくると、そのぶんだけシグナの関節部は悲鳴をあげ、じりじりと膝が地面に近づいた。サブウィンドウに目をやると、持ちこたえられる時間は残り十秒もなかった。


 が、キャリルは焦らなかった。


「今だよ!」


 シグナの後方、天体観測所のパーキングスペースから飛び立った二機のレーベンが、ティマリウスの頭部を発煙弾頭で狙った。


 竜貌が爆風と煙に包まれる。


 ダメージが通った様子はなかったが、ティマリウスはほんの刹那、状況を把握することに演算のリソースを振り向けた。剣にこもった力がわずかにゆるみ、その隙にシグナは横へと逃れる。


 同時にキャリルは、シグナの背面のウェポンラックにアクセスしている。そこには電磁投射砲コイルガンが収納されていて、操縦者の合図ひとつで砲塔が左肩へとスライドし、暴動鎮圧用のスタンボールを撃ち出すことができる。


 キャリルの記憶する限り、惑星ネリヤにいた頃は一度も使われることのなかった装備だ。しかし銀河を漂流する中で、キャリルはその威力を試す機会に何度か恵まれていた。


 ――大気圏内でティマリウスのシールドが減衰するとはいっても、本体の装甲だって堅牢だ。普通に攻めても破壊できないと思う。


 SSS-Uトライエス・ユニットの副長と昨日交わした通信が想起される。


 ――でもあいつの胴体には、開発のときに技術者が出入りしていたメンテナンスハッチがある。ハッチ自体は稼働直前に塞がれてしまったそうだけど、その部分だけは他のところと比べて構造的に脆くなってるはずなんだ。


 シグナの照準装置がキャリルの腕前を補正する。的は大きく距離は短い。あちらの機体が煙に覆い隠されていようとも、シグナのセンサーは絶対に狙いを狂わせはしない。


 ――そこにスタンボールを叩き込めば、勝てる!


 燃え盛る星海を根城にしていた宇宙海賊。ワームホールの向こうから触手を伸ばしてきた怪生物。降りかかる火の粉は皆これで振り払ってきたのだ。純粋な戦闘用ではないが、一発の破壊力だけならヘタな兵器よりも信用できる。


 耳朶じだによみがえる自らの声に鼓舞されて、キャリルは電磁投射砲のトリガーを引いた。


 高圧電流を纏った球体が高速で射出され、煙幕の中へと吸い込まれる。稲光が二度、三度と瞬き、あたりはしばし、死んだような静寂に満たされた。


「やった……!」


 途方もない解放感が一気に押し寄せてきた。キャリルは我知らず詰めていた息をつき、はあはあと荒い呼吸を繰り返していた。


 ――センサーがティマリウスの健在を訴えるまでは。


『警告。回避を推奨』


 とっさには動けなかった。シグナのシステムが一時的に機体のコントロールを奪い取り、スラスターを噴かして横に逃げようとした。


 間に合わなかった。


 コントロールブロック全体が激しく揺さぶられた。油断しきっていたキャリルの意識が恐慌に溺れる。


「な、なに!? シグナ、どうなったの!?」


『被弾。損傷は軽微ですが、電磁投射砲が使用不能です』


 首を巡らせて左肩に目をやると、シグナの言葉どおり、無惨に大破した砲身が見えた。損傷はどうやら弾倉にも及んだらしく、こぼれた金属球が周囲の山林にめり込んでいる。


「スタンボールが当たったのに、どうして!」


『こちらの砲撃の寸前、ティマリウスの前方に高エネルギーが発生したようです。シールドを展開したのだと考えられます』


「シールドは地球上では弱まるはずでしょ?」


『一点に集中することで強度を上げたのでしょう。――キャリル、追撃に備えてください』


 そんな馬鹿な――。


 しかし心の底では、シグナの分析が当たっているのだろうとも理解していた。シグナが「おそらく」と言い表したとき、その推測が外れたところをキャリルは過去に見たことがない。


 煙幕の奥からティマリウスが悠然と現れる。艶やかな黒い外装には、ほんの微かな瑕すら見出すことができない。



『すべての生命に告ぐ。ただちに抵抗をやめよ』



 今度は電波ではなかった。飛び交う通信波から地球の言語パターンを解析したのだろう、ティマリウスは今や自らの音声で呼びかけてきていた。


 ソプラノとバスを一つの喉から重ねて出しているかのような、明らかに合成とわかる不気味な声だった。


『生命は自己を存続させるために、自らが生産するよりも多くのエネルギーを消費する。そのことが宇宙のバランスを乱し、アコウクロウ現象を引き起こしているのだ』


 ――なんだって?


『君たちは世界の破壊者だ。生まれるべきではなかった子供たちなのだ。この宇宙が永らえるために、君たち「生命」は排除されなければならない。もし理性があるならば、抵抗をやめ、当機の決定を受け入れよ』


「生まれるべきじゃなかった……?」


 どこまでも冷徹な言葉が、キャリルの神経を逆さに撫で上げる。


「それは、ボクがおまえに言うセリフだ!」


 シグナの腕部に搭載された多連装ランチャーへとアクセス。右の前腕の装甲が縦横にスライドして、手首を取り巻くように六つの砲門が展開する。


 キャリルがトリガーを絞るや否や、砲門が唸りをあげて回転をはじめる。次の瞬間、嵐のような勢いで無数の火線が吐き散らされた。


 単純に砲弾を装填して連射しているのとはワケが違う。多連装ランチャーが備える六つの砲門は、徹甲弾と炸裂弾、さらにビーム弾が順繰りに撃ち出されるよう配置されているからだ。徹甲弾が敵機の装甲を割り、炸裂弾がその傷を広げ、ビーム弾が内部機構を焼き尽くすという凶悪な逸品。言うまでもなく、暴徒鎮圧のために投入されるような甘っちょろい装備ではない。


 シグナの最大火力であるこの兵器を、キャリルはできれば撃たずに済ませたかった。実戦で試したことがなかったからだ。そして実際に撃った今、これまで封印してきて正解だったと心の底から安堵を感じる。


 こんなものを使っていたら、自分は、誰も殺めないままに地球まで辿り着いてはいなかっただろう。


「どうだ!?」


 攻撃は面白いように当たった。


 命中弾のうち、シールドを抜いてティマリウス本体にダメージを与えたものは一発もなかった。


 ティマリウスの赤い単眼がシグナを――否、コントロールブロックの中のキャリルを刺すように見据える。


『優先排除対象を確認。排除を実行する』


 長大な剣が煌めきを発した。


 天を衝く巨体が進撃を開始する。黒と金の鋼板が太陽を照り返して威風を吹かせ、四脚が大地を踏みしめるたびに足元で木々がへし折られてゆく。


「くっそう――」


 ティマリウスに意思はない。黒いボディから放散されてくるような殺気も、肺腑を握られるかのようなプレッシャーも、こちらの生身の脳ミソが勝手に感じ取っているに過ぎない。


 頭で理解していても、キャリルは息を詰めずにはいられなかった。


 そのとき、烏色の翼がティマリウスの眼前を横切った。


 垂直尾翼に施されたペイントから、キャリルにはそれがレーベン二号機だとわかった。和泉が操縦し、桐島きりしまという女性隊員が砲手を務める戦闘機。ティマリウスの注意を引きつけるつもりなのか、単眼の視界のど真ん中をわざとらしく飛翔する。


 レーベンがミサイルを発射するのと、ティマリウスが斬撃を振り下ろすのが全くの同時だった。


 ミサイルがあっけなくシールドに阻まれた直後、ティマリウスの刃がレーベンの右の主翼を削り取っていった。


「イズミぃっ!」


 キャリルは思わず叫んでいた。


 傷ついた戦闘機が錐揉きりもみをはじめる前に、後部座席が射出されてパラシュートが開いたのは見えた。しかし、和泉が乗っているはずのパイロットシートは、未だ火を噴く機体の中にある。


 和泉を乗せたままのレーベンが、制御を失って戦場から遠ざかる。落ちていく先には崖があり、崖のむこうには一面の海を除いて何もない。


 派手な水柱があがった。


「そんな……」


 乗機が爆発したのだ。到底助かるまい。


 衝撃と動揺がキャリルの心を打ちのめす。そして黒曜の怪物は、心などとは無縁の存在にほかならなかった。


 紅蓮に輝く視線が、再びキャリルへと巡った。


 ――次はお前だ。


 そう告げているかのように思えた。


 水柱の中から銀色の巨人が飛び出したのは、そのすぐ後のことだった。

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