Chapter 37. 楽園は遠く、されど近く

「本っっ当にゴメン!」


 ぱんっ、と両手が打ち合わされる音がした。


 巨大ロボットの制御室の中、丸いちゃぶ台を挟んだ反対側で、星から来た女の子が深々と頭を下げている。


 どんな状況でも続けば慣れる。


 心臓が平素のリズムを取り戻してゆくのを感じながら、興一はあらためてキャリルの格好に目をやった。黒字で縦に「あるかでぃあ」とプリントされた妙ちきりんなTシャツと、ジッパーで開け閉めできるタイプのグレーのパーカー。今はちゃぶ台の陰になっていて見えないが、下はデニム生地のショートパンツだった。どこの星でも服飾文化は同じように発達するらしい――というわけではもちろんなくて、どれも島のスーパーでひと山いくらで売っているやつだ。


 興一は右の親指と人差し指で眉間のしわを解きほぐしながら、


「おまえの星がどうだったかは知らねえ。でも地球の……少なくともこの国では、むやみやたらと他人に肌を見せたりしねえんだ。友達でもだ。今のオレが言ってもあんまり説得力ないかもしれねえが、オレだってなにも好きで下しか履いてないわけじゃないし、おまえがオレに合わせる必要もまったくねえんだ。いいな?」


「うん……ボクの母星でも、そのう、裸はダメというか……そういうのはキチンとあったんだけど」


「だけど?」


「ボク、ネリヤ――あ、これ母星の名前ね。ネリヤにいた頃はお手伝いロボットにお世話してもらうのが普通でさ。星を出てからもずっとシグナと一緒だったから、着替えのとき誰かが側にいるって感覚にすっかり慣れてて」


「つい日頃の癖が出た、ってわけか……」


 わかるようなわからんような。スマートホームで生活したら自分もそんな錯覚に陥るのだろうか。


「――ん? ちょっと待て。ひょっとしておまえ、実はいいトコの生まれだったりすんのか?」


「えっ?」


「いや、AIだけならまだしも、人間の世話してくれるお手伝いロボットって相当金かかるイメージなんだよな。しかもこのシグナだろ? 絶対そのへんの一般人が持ってていい代物じゃないだろコイツ」


 興一はキャリルから視線を外し、部屋の奥のひときわ大きな立体スクリーンを見やった。


 さすがにシステムに関わる部分までは日本語に設定できなかったのか、興一には解読できない文字ばかりが並んでいる。が、併せて表示されている図柄を見れば、それがシグナの兵装についての情報であることは簡単に察せた。


 キャリルが「ボクの剣」と口にしたとおり、シグナは武力なのだ。それも、一機あれば女の子ひとりで銀河を渡り歩けるほどに強力な。


 もしこんな危険物がそこらじゅうを行き交うのだとしたら、どう考えても銃社会どころの騒ぎでは済むまい。キャリルの家だけが何らかの特権を許されている、と考えるほうがずっと自然だ。


「ん~……半分当たりかな?」


 小首をかしげるキャリルに視線を戻して、


「なんだそりゃ」


「ネリヤでは何もかもが自動化されてて、人工知能もロボットも珍しいものじゃなかったんだよ。皆が持ってる生活必需品だった。でも、ボクがそれなりの家柄の出だっていうのは正解」


 ――まじかよ。


 自分で尋ねたことだというのに、興一は呆気にとられるあまり二の句を継ぐことができなかった。


 たっぷり陽光に焼けた小麦色の肌、ネコ科の獣にも似る抜群の運動神経、一足飛びに距離を詰めてくるような人懐こさ。


 目の前のキャリル・メロという女の子の個性からは、とてもじゃないが「高度に機械化された文明社会」だの「伝統ある良家での育ち」だのといった環境を連想することができない。


「あっ! 今『うそだろ似合わねー』って思ったでしょ? 失礼しちゃうなあ。これでもボク王女だったんだからね」


 しかもめちゃくちゃVIPだった。カミングアウトがこんな感じでいいのだろうか。そして、いつの間にかこっちが悪者にされているのは何故なのか。


「……と言っても、お飾りの王室ではあったけどね。政治も経済もコンピュータ任せだったから」


「はあ? いまいちピンと来ねえ。いる意味ないだろそれ」


「地球にも『統治しない王家』があるって教科書に載ってたよ? それにさっきも言ったとおり、ネリヤでは国のことから一人ひとりのことまで機械が全部決めてたからさ……象徴として人間の王族がいることは、地球生まれのコーイチが思うよりもずっと大っきな意味があったんだよ」


 やはり合点がいかないというのが本音だ。社会科の授業をほとんど寝て過ごす興一には、国がどうの政治体制がどうのといった話題は悲しいほどに縁遠い。


 それでも、異星の人々の暮らしぶりには興味を惹かれた。


「一人ひとりのこと、ってのは?」


「いつどんなことを学んで、どんな職業に就いて、資産はいくら持って、誰と結婚して、どこに住んで、何歳で子供をつくって……とか、とにかく全部。その人の資質と社会の状況とを照らし合わせて、最適なプランをコンピュータが設計してくれてた。情報は統合ネットワーク上で共有されてたから、持ってる端末の性能差のせいで格差が生まれることもなかったし……まあ、みんな不自由なく生活できてたことは、確かだよ」


「なんつーか……進んでんな。理想郷ってやつか」


 岩場に置いてきてしまった鞄の中身へと思いを馳せる。夏休み明けには提出しなければならない進路志望調査票。


 あんな紙切れ一枚でも、興一にとっては時限爆弾と変わらない。


 キャリルはきっと、進むべき道について悩んだことなどないだろう。王女という立場がなくとも、彼女の星では機械がすべてを決定してくれるのだから。


「どうせならオレもおまえの星に生まれたかったよ」


 興一としては純粋な褒め言葉のつもりだったのだ。


 しかし――


?」


 キャリルの反応は芳しいものではなかった。


 夜空のように深く彩られたキャリルの瞳。じゃれつくような眼差しは今やすっかり鳴りを潜め、いつしか固い意志を宿した眼光に取って代わられている。


「最近じゃ地球でも、人間の代わりになれるコンピュータってすごく注目されてるんだよね。いちいち人が動かさなくてもモノがひとりでに考えて動いてくれたり、ネットに繋がってて遠隔操作できたり……どんどん便利になってるんだって、図書室で借りた本に書いてあったよ」


「ああ、そりゃそのとおりだ、けど」


「だからボク、コーイチが先生くらいのオジサンになる頃には、地球もネリヤと変わらないくらいの電脳社会になってるんじゃないかと思うんだ。でもねコーイチ、忘れちゃいけないのは――」


 興一はただただ戸惑うしかない。


 惑星ネリヤでは高度な機械文明のおかげで皆が不自由なく生活していた――そう語ったのは他でもないキャリルなのだ。地球の科学が辿り着くであろう未来を、ひと足先に実現させた社会が彼女の星には確かにある。


 自分に向いていることは何なのか。どう生きれば失敗しないのか。その答えを機械が与えてくれるなら、悩みも不安もなく幸せに暮らしていけるはずではないか。


「――なあ、おまえさ、」


 地球人に「お願い」をしに来たのだとキャリルは言った。その頼み事とやらは、いまの話と何か関係のあることなのか?


 興一は尋ねようと意を決して、


『キャリル、緊急事態です』


 天井から降ってきたシグナの声に阻まれた。


「どうしたの?」


『航空機を確認しました。二機がこちらに向かって接近中。ECHOエコーと考えられます』


 最も手近にあった立体スクリーンが外の映像を映し出した。入道雲の浮かぶ青空を切り裂いて、漆黒の機影が確かに二つ、こちらへと近づいてきている。


 人の住んでいる島、それもECHOの関連施設がある場所にいきなり巨大ロボットが出現したのだ。戦闘機が来るに決まっていた。


「あちゃー。いったん亜空間潜行して様子を見よっか」


『了解しました』


 亜空間潜行?


 聞き捨てならない言葉に興一はたじろぐ。


「おい待ておまえら、それやるとどうなるんだ」


「ちょっとのあいだ隠れるだけだよ?」


『三次元世界から隔絶された時空間に移動することで、あちらからの視認や干渉を不可能にします。乗員の生命および健康への影響はありません』


「戻ってきたら何万年も経ってるとか……」


『本機の存在する位相を一時的にずらすだけです。亜光速航行を伴うものではありませんので、あなたがたがリップ・ヴァン・ウィンクル効果、もしくはウラシマ効果と呼称する現象は発生しません。ご安心ください』


「そもそもボク、今まで島と亜空間のシグナとを毎日行き来してたんだよ? だから大丈夫、へーきへーき」


「……まあ、そういうことなら……」

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