Chapter 36. 異星からの旅人たち

 シグナの内部は実に無骨なものだった。


 金属板が剥き出しになった狭い通路を、キャリルの後について歩く。熱を感じさせない光が天井からほのかに注いで、夏服のブラウスに包まれた少女の身体を薄闇のなかに浮かび上がらせていた。


 濡れた白い生地から、下着の紐と小麦色の肌が透けて見えた。


 興一はぎくりとして息を呑み、慌てて視線を足下へと落とす。幸い、キャリルに気取られた様子はなかった。


 それにしても――半ば呆れが混じる、


 己の正体を握った部外者を拠点に招き入れるというのは、本来リスクの大きい行動のはずだ。だというのに、キャリルときたら少しも警戒するそぶりがない。無防備に背中を晒していることといい、この女には危機感ってやつが決定的に欠けているんじゃなかろうか。


「……ま、あの馬鹿力なら地球の男くらい怖くねえか」


「何か言った?」


「べつに何も」


「ならいいけど。――そんなことより、着いたよ」


 着いた。その言葉の意味を掴みかねて、興一は眉根を寄せた。


 キャリルが足を止めた場所が、どう見ても行き止まりでしかなかったからだ。目の前は壁に塞がれていて、操作できるパネルの類も見当たらない。天井に半球状のカメラらしき装置がくっついてはいるが、それはここに限ったことではなく、同じ物体を途中の道で何個も見かけた。特別なものだとは思えなかった。


 が、キャリルはその装置に向かって呼びかけた。


「シグナ、ただいま!」


『おかえりなさい、キャリル』


 いきなり男の声が聞こえてきた。興一は目を白黒させて、


「あのカメラ、スピーカー内蔵してんのか……」


 キャリルは相手を「シグナ」と呼んだ。機体と同一の名前だ。ということは、声の主はこのロボットに搭載されている人工知能か何かなのだろう。


 頭がくらくらする。


 転校生の正体が宇宙人で、そいつは巨大な人型ロボットを連れていて、ロボットのAIと事もあろうに日本語で喋り合っている。


 意味がわからない。


『キャリル。現在の状況下で隔壁を開放することは推奨できません』


「なんでさ?」


『うしろの地球人はどなたですか?』


 興一は内心このAIに同情を禁じ得なかった。流れてくる合成音声には子をさとす親のような感情の起伏がこもっていて、彼――AIに性別があるならばだが――が日頃からキャリルに振り回されていることが容易に想像できたからだ。


 もちろんAIであるからには、実際には人格や感情なんて持ち合わせてはいないのだろうけど。


「コーイチはボクのトモダチだよ」


『あなたの友達、ですか?』


「そうさ。ボクのこと助けようとして海に飛び込んでくれたんだ。怪しい人じゃないよ」


『…………』


 スピーカーが沈黙する代わりに、半球状の装置から微かに駆動音が漏れた。興一は、カメラのフォーカスが自分に向けられたのだと理解する。


「あー……キャリルの言ったとおりだ。こいつと同じ学校に行って、同じ教室で勉強してる。クラスメイトってやつだ」


『先程キャリルが「コーイチ」と発言しました。それがあなたの名前なのですか?』


「ああ。葦原興一ってんだ」


『葦原興一。トモダチ、クラスメイト。――承知致しました』


 と、カメラから赤いレーザー光が興一めがけて伸びてきた。外のハッチが開いたときにキャリルを認証したスキャニングビームだ。


 ビームが頭のてっぺんからつま先までをなぞってゆく。これといって感触があるわけではないが、視線を浴びているような気配があってこそばゆい。


『興一。あなたの生体情報を記録してもよろしいですか?』


「するとどうなる?」


『当機への搭乗権保持者リストにあなたの情報が追加されます』


「なるほどね。わざわざキャリルに開けてもらわなくても入ってこれるようになるってことか」


 初めて使った通販サイトみたいで何だか笑える。ゲストとして決済手続きに進むか、それとも会員登録してお買い物ポイントを貯めるか――みたいなやつ。


 興一は少し考えて、シグナの申し出を受けることに決めた。


 どうせぶっ飛んだ状況なのだ。個人情報どうこうを気にするような常識的な物差しは、この場においてはバカバカしいだけだった。


「キャリルがいいならオレは構わねえけど」


「いいよ」


 ……いや、おまえはもっと慎重になったほうがいいと思うが。


『記録完了。――隔壁を開放します』


 落ち着きのある声がそう宣告した直後、目の前の壁がゆっくりと動き始めた。ぶ厚い壁面が上下に割れて、片や天井へ、片や床へと吸い込まれてゆく。


 隔壁の奥から姿を現した新たな通路は、これまで辿ってきた道とは異なる佇まいを見せていた。透明な円筒状のチューブの中を、足場が橋のように伸びているのだ。橋の向こう側にはアパートの一室がすっぽり収まってしまいそうな大きさの球体がある。そして自分たちと球体とを隔てる空間には、ゼリーのような物質がぎゅうぎゅうに詰まっているのが見て取れた。


 キャリルに先導されて橋を渡る。


 日に焼けた手のひらが触れた瞬間、球体の表面がぼうっと光り、切れ目が入って左右に開いた。どうやら自動扉らしい。


 潜った直後に元通りに閉じた扉を見つめながら、興一はぽつりと感想を漏らす。


「なんか……電車の接続部分みたいな造りだったな」


『コントロールブロックは乗員の安全のため、当機本体から独立して設計されています。耐熱性の緩衝ジェルを充填した空間の中に、球形の外殻に包まれた部屋が浮いている構造をイメージしていただければ』


「出入りするときだけチューブが隔壁と繋がるんだよ。ボク地球の電車はまだ乗ったことないけど、コーイチがそう言うなら近い感じなんだろうね」


 このときにはもう、当初キャリルに抱いていた警戒心は見る影もなく消えつつあった。


 考えてみれば「宇宙人から巨大ロボットの制御室に招待される」なんて体験は一生に一度できるかどうかだ。むくむくと湧き上がる好奇心に駆られて、興一は一歩、二歩と部屋の中へと足を踏み出してゆく。


 区画そのものが球形なのだから当然と言えば当然だが、壁にも天井にもきれいなカーブがかかっている。新鮮さを感じる反面、ちょっと使いにくそうだなという気もする。それでも生活空間を兼ねていることは確かなようで、いかにも地球外的なセンスのインテリアに混じってタンスだのちゃぶ台だのが置かれている様はとんでもなくシュールだ。


「すげえな。これ立体映像か?」


 興一の言う「これ」とは部屋のあちこちに浮かぶスクリーンである。ためしに指でつつくと何の感触もなく突き抜けてしまい、実体が存在しないとわかる。


「空間に投影してるの。タッチして操作できるやつもあるよ。地球ではARっていうんだよね、そういうの」


「へえ……」


 振り返ったところに、タオルが投げ渡された。


「それで体拭いて」


「おう、サンキュー」


 興一は礼を述べて顔を上げ、


「――――ッ!?」


 次の瞬間、試合中にも発揮したことのないような反応の速さで体ごとキャリルから視線を外した。


 心臓が破裂するのではないかと思う。


 背を向ける寸前、目の最奥に焼きついた、小麦色の――


「おまえっ……おまえなあ、非常識もいい加減にしろよ! 男の前でいきなり脱ぎ出す奴があるか!」


「え――あっ! そっか、そうだよねっ。ゴメン!」


 指摘されて初めて気づいたのだろう、キャリルがあたふたと慌てはじめる。


 蒸発しかかった興一の脳みその中で、わずかに残った冷静な部分が「宇宙人にも恥じらいって概念があるんだな」とよくわからない感心をしている。なにせキャリルのことだから「コーイチだって上は脱いでるんだから一緒じゃないか!」くらいは言ってくるんじゃないかと心のどこかで疑っていたのだが、違ったということは、今までのあれこれはやっぱり天然だったわけか。


「あっち向いててやるから、着替え終わったら声かけろ!」


 ぴしゃりと言って、興一はタオルに顔をうずめた。キャリルの位置からはこっちの背中しか見えない――そんなことは百も承知だったが、赤く火照った頬を静めるにはそうする以外に仕方がなかった。


 ――ああ、クソッ。


 このタオルをいつもはキャリルが使ってるんだよな、などと考えてしまう自分が嫌だった。


 あいつは宇宙人なんだ。オレとは根本的に違う生き物なんだ。あいつの裸を見てドキドキするのは、動物相手に興奮するようなもんなんだ……。


 己にそう言い聞かせながら、興一はキャリルの「もういいよ」の声をひたすらに待つ。


 願わくは、そのときには気まずい空気が切り替わっていてほしかった。

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