Chapter 34. 転校生の秘密

 翌日、キャリルはしごく平然と登校してきた。


 授業など少しも頭に入らなかった。二限目の終わりを告げる鐘が鳴り、社会科教師の梅村うめむらが引き戸の向こうに消えたのを見計らって、興一はちらりと隣席に目を配らせる。


 キャリルはこちらの視線に気づく様子もなく、取ったばかりのノートを熱心に読み返している。


 一週間も同じ教室で過ごしていれば慣れもするが、これは本来驚くべきことと言える。独特の間延びした声で教科書をそのまま音読してゆくだけの梅村の授業は、もはや睡眠の呪文に等しいと生徒の間ではもっぱらの評判である。


 なのにキャリルときたら、しっかりと板書まで写しているのだ。


 生まれ故郷でもない国の「現代における民主政治のしくみ」の何がそんなに面白いのか、興一にはさっぱり理解できない。やっぱりこの女は普通じゃないと心から思う。


 ひょっとしたら宇宙人なのかもしれない。


 そう考えれば全部のつじつまが合う気がした。きっとこいつは銀河の彼方から送り込まれてきた調査員なのだ。学校に潜入して人間社会の成り立ちを学び、海辺に隠してある宇宙船へと情報を持ち帰って、同じく集まってきた仲間たちと秘密の会議を行うのだ。議題は「この星の文明はわれわれの脅威たり得るか」。もしも結論が「地球人類恐れるに足らず」であったなら、彼女たちは満を持して地球の征服に乗り出すつもりに違いない。


 先月だったろうか、東京では宇宙人の侵略活動によって多くの人が犠牲になった、とニュース番組で報じられていた。


 軽々しく野球の約束などしてしまったが、キャリルとはもっと距離を置いたほうが身のためなのではないか――


「葦原!」


 いきなり間近で声がした。


 蒲生だった。椅子に横向きに座り、どでかい欠伸あくびを押さえようともせずに大きく伸びをして一言、


「なにぼーっとしてんだ。梅村の催眠術で夢でも見てたか?」


 そりゃおまえだろ、と興一は唇を曲げる。


「ちょっと考え事してただけだ」


「考え事ぉ?」


 蒲生はこれ見よがしに眉を上げ、興一とキャリルの間に視線を走らせたかと思うと、意味ありげに頷いてこう言った。


「ああ……なるほどね」


 何がなるほどだこの野郎、


「おい、なんか勘違いしてんだろおまえ」


「まあまあ、皆まで言うなって。俺にはちゃんとわかってるから」


 全然わかってねえ。興一は舌打ちとともに頬杖をつく。


 なにしろ教室じゅうがこの調子である。


 予想していたこととはいえ、好奇心まるだしの目で針のむしろにされるのは思った以上に鬱陶うっとうしい。直接口で言ってくるだけ蒲生はマシな部類だ。


 むず痒い視線に晒されているのはキャリルも一緒のはずだが、興一の見るところ、彼女がそのことを気にかける様子はない。よく平気でいられるもんだと妙な感心を覚えてしまう一方で、あいつ空気とか読みそうにねえもんなあ、という謎の納得感も湧いてくる。


 キャリルがこの学校生活で何を感じ、何を考えているのか、興一には皆目見当もつかない。それは今に始まったことではなく、彼女が転校してきてからずっと続いている話ではあるのだけれど。


 もしもキャリルが本当に宇宙人なのだとしたら、彼女を理解できると思うほうがおこがましいのかもしれない。


「――しかしあれだよな。終業式の日にまでお勉強なんてウチの中学もどうかしてるよな。かったるくて仕方ないっての」


 蒲生が話題を変えるのを聞いて、興一は我に返った。


 そのとおりだ。


 終業式、なのである。


「授業日数カツカツなんだろ。どうせ半ドンなんだからいいじゃねえか別に」


「そりゃそうだけどよ、梅村の授業の後に校長の長話が待ち受けてるのは地獄だって。眠れすぎて夜寝れねーよ」


「そいつは同感」


 二人で声をたてて笑ったとき、がらりと教室の戸が開いて、担任の棗田なつめだが入ってきた。


 教室内を飛び交っていた私語が急速にしぼむ。棗田はそのまま教壇に立ち、自身に注目が集まったタイミングを計って、開口一番こう言った。


「あー……スマン。実は体育館の準備がまだ整ってなくてな、終業式を始められるようになるまで少し待ってもらわにゃならん」


 爆発的なブーイングが巻き起こる。


「というわけで、先にホームルームを済ませちまおうと思う。式が終わったら、おまえらそのまま帰っていいぞ」


 ブーイングが一転して歓声に変わる。


 早く遊びたいという本音を隠そうともしない教え子たちの反応に苦笑いを浮かべながら、棗田は休暇中の注意事項を伝えた。


 曰く、海やプールでの事故に気をつけること。


 曰く、熱中症への対策を怠らないこと。


 曰く、夜遅くの外出は校則違反であること。


 曰く、天体観測所でのアクティブSETIを明後日に控えて島全体が騒がしくなっている今、軽はずみな行動は慎むこと。


 そして最後に、休み明けの提出物が配られた。回ってきたプリントの一枚を見て、興一は内心げんなりする。


 ――進路志望調査票。

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