Chapter 32. さよならスワンプマン

 徘徊者たちは、砂糖にたかるアリのように集まってきた。


 その中に父と母の姿もあった。人垣を割って芽衣子の前に現れた二人は、やはり十七年間共に過ごしてきた両親と少しも変わるところがなかった。


 ――来ないで!


 芽衣子は無我夢中で叫んだ。が、恐怖に潰された。渇ききった喉はもはやまともな言葉を紡いではくれず、引きつったような呼気以外に出てくるものは何もない。


 腰だけを動かして後ずさる。背中がプレハブの外壁に当たる。涙の筋がこびりついた頬を拭こうともせず、居並ぶ徘徊者の群れへとせわしく視線を巡らせた。


 だがその実、芽衣子の瞳は目の前の光景を映していない。


 父と母の姿を正面から見た瞬間、新たに滲んできた涙がたちまち視界を塞いでしまった。しゃくり上げながら首を振るばかりとなった芽衣子の、怯えで凝り固まった顔に宿る、駄々をこねるときの幼児にも似た頑迷さ。


 まるで、拒絶していれば現実だって塗り替えられると信じているかのような。


「――そんなに怖がることはないだろう?」


「――そうよ。なにも死ぬわけじゃないんだから」


 しかし、父と母の仮面をつけた何者かの声は、芽衣子に逃避を許そうとしない。


「父さんだって母さんだって、外見だけが同じってわけじゃあないんだぞ。遺伝情報を読み取って骨格や筋肉なんかを再現するのはもちろん、ニューロンに刻まれた知識や記憶に至るまでを複製してある。もとの人格を完全にコピーしたんだ。父さんの頭の中にはだな、三人で過ごした思い出がそっくりそのまま詰まっているんだ」


「お母さんもね、産まれたばかりのあなたを初めて抱いたときの感触から、きのう朝ごはんを食べながら喋った話の中身まで、全部忘れてなんかいないのよ。あとはあなたが私たちと一緒になるだけ。また今までどおり三人で暮らしましょう?」


 微塵みじんの違和感もなく耳から流れ込んでくる、聞き慣れた声。二人の言葉は毒のように心に染み込み、芽衣子の脳裏で像を結ぶ。


 差し込んでくる日差しのまぶしさで、自分はベッドから起き上がる。身支度みじたくを済ませてリビングのドアを開けると、母の料理の匂いがふわりと漂ってくる。トーストに味噌汁という取り合わせは柚木家ではよくあることだ。すでに食卓についている父は気にした様子もなくパンを齧り、味噌汁を椀から啜り込む。おはようと自分が言う。おはようと二人は返す。やがて食後のコーヒーを飲み終わった父が出勤していき、程なくして自分も席を立つのだ。玄関を出る自分にむかって手を振る母の、屈託のない笑顔。自分は学校へと歩いていく。授業がはじまる。窓の外へと視線をやれば、そこには嘘のような青空がある。世はすべて事もなし。きょうもあしたもきっといい日になるだろう。


 そして、そこに人間は一人もいない。


 父も母も、自分も、クラスの皆も、ヒトの皮を被っているに過ぎない。何かのきっかけで化けの皮が剥がれれば、隠れていた異形の本性が露わになるのだ。


「いや……」


 悪寒が正気を運び去った。吐き気すら覚えた。


 芽衣子の口から、我知らず、意味のある言葉が引きずり出された。


「いや、そんなの嫌あっ! あなたたちは、私のお父さんとお母さんじゃない! あなたたちと一緒に暮らす私なんて、私じゃないっ!」


 もう何年も発したことのないような大声でわめく。叫びは放った端から耳朶じだをすり抜け、自分の脳みそにすら残らず消えた。頭の中には狂乱しかなかった。ただ、二人の言うことを受け入れてはいけないという一念だけだった。


 父が目をしばたたかせ、母と顔を見合わせた。


「なんだなんだ、きょうはずいぶんと聞き分けが悪いな?」


「そういう日だってありますよ。お父さんにはわからないかもしれませんけどね、芽衣子は年頃の女の子なんですもの。それに、こればっかりは実際になってみないとわからないことでもあるでしょうし」


「ぬ。そういうことなら――皆さん、お願いできますか」


 父がぐるりと周囲を見回す。


 人垣を成していた徘徊者たちの中から二人、若い男が進み出た。芽衣子は立ち上がりかけ、右の足首を激しい痛みに灼かれて転ぶ。


 どのみち逃げる場所もなく、腕力で敵うはずもなかった。抵抗する間もなく手足をがっちりと押さえ込まれ、地面に組み伏せられる。身動き一つできない。無理な体勢で固められた身体が軋み、肺腑はいふから苦悶の息がこみあげた。涙がとめどなく頬を濡らす。恐怖のためなのか痛みのためなのか、もう自分でもわからない。


 カツン、と乾いた音が聴こえた。


 頭をもたげて数メートル先を確かめると、父の革靴の近くにカプセルのような物体が落ちていた。片手に握れるサイズの容器だ。球をこねて伸ばしたような形をしている。銀一色の滑らかな表面は金属のようでもあり、プラスチックのようでもあった。


 ――あれは何?


 疑問を声に出すことさえできなくなった芽衣子の目の前で、カプセルが妖しく光り輝いた。空気の抜けるような短い音とともに、中心から二つに割れ開く。


 どろり、と粘液があふれ出した。


 あるいは、液というのは正確ではないかもしれない。溶けたゼラチン質が中途半端に固まったような質感。緑と白が入り混じったまだら模様の、かびの巣食ったチーズのような色合いが芽衣子の嫌悪感を煽った。


 地面に広がった粘液だまりが、重力に逆らうように盛り上がった。その形がぐにゃりと歪む。見えない手が粘土をこねているかのようだった。


 やがて変形が終わったとき、そこには人型の影が佇んでいた。


 家のリビングで目の当たりにした、あの怪人と瓜二つの恰好をしていた。芽衣子の母に成り代わった、そしておそらくはこの場の全員の正体でもあるのだろう、おぞましい化け物の姿だ。


「さあ芽衣子、手を取りなさい。そして生まれ変わるんだ」


「おめでとう芽衣子。今日があなたの新しい誕生日になるのよ」


 見るも恐ろしい異形の指が、芽衣子の額にむかって近づいてきた。



     ◇ ◇ ◇



 バリケードのような人垣の間を縫って駆けていく茶々丸を追い、和泉は正面から突っ込んだ。何の小細工もしない。敵が多勢だろうと知ったことではない。助けを求めている人がいる――その現実に比べれば、他のすべては些末さまつなことでしかない。


 群れをなす徘徊者たちの中心に飛び込み、乱戦に持ち込む。銃を持っている警官を真っ先に片づけ、老人が振りかぶった杖を弾き飛ばし、飛びかかってきた女の鼻っ面にカウンターで肘を合わせる。


 和泉は目まぐるしく立ち回りながら、きつく奥歯を噛み締めて、湧きあがってくる無力感に耐えた。殺意もあらわに襲いかかってくる町民たち。眼前のこいつらはもちろんエイリアンが擬態したものだが、この戦いを制したところで殺されてしまった本物が帰ってくるわけでもないのだ。どこまでも無益だった。


「クソッ! お前たちの目的は何なんだ? なぜ人間を殺す!?」


 いつしか茶々丸の姿は見えなくなっていた。それでいい。あの犬は芽衣子に残された唯一の家族かもしれないのだ。こんな死地に留まってほしくはない。


 と、そのときだった。


 距離を保ってこちらを眺めていた中年の男女が、ふいに口を開いた。


「――殺す、とは人聞きが悪いな」


「そうですよ。私たちは宇宙にとって意義のあることをしてるんですから」


 和泉はそちらに向き直って、はっと目を見開く。


 芽衣子がいた。


 男女の立つ位置のさらに奥、プレハブの壁に背を預けるようにして、崩した正座でへたり込んでいる。ぴくりとも動かない。顔は力なくうつむいていて、そこにどんな表情が浮かんでいるのかを窺い知ることはできなかった。


「……その子を放せ」


「どうしてだね? この子はわれわれの娘だが」


 その言葉で、彼らこそが芽衣子の家族に化けたエイリアンなのだとわかった。よく見ればたしかに、二人の面差しには芽衣子と通じるところがある。


「親子の絆を踏みにじっておきながら、ぬけぬけと……! なにが宇宙にとって意義あることだ!」


 和泉の怒りを意に介したふうでもなく、二人は不敵にほくそ笑む。


「ああ、この姿のことかね? なら心配はいらんよ。われわれは擬態対象の考えうる限りの情報を保存し、いつでも再生することができるんだから。われわれは全ての知的生命体を宇宙のレコードに残したいんだ。文明や文化はもちろん、個体レベルまで余さずに。――どうだ、悪い話じゃなかろう?」


「あなたの言う『親子の絆』だって、ちゃんと私たちの精神に保存されているんですよ。ほら、よく言うじゃありませんか、生命活動を止めた個体に対して『あいつは僕たちの心の中で生きているんだ』とか何とか。まさしくそれが私たちの目的。あなたたちという存在は、私たちのなかで永遠に生き続けるんです」


「――ふざけるな!」


 なんて身勝手な! 和泉は憤激に肩をわななかせる。


 こいつらが容姿ばかりでなく人格までもを模倣できるというのは本当だろう。だからこそ、エイリアンとして活動する深夜を除いては、行動に違和感を持たれないまま社会に溶け込むことができたのだ。


 人ひとりを殺して、その役に収まるエイリアン。本人を完璧に演じるゆえに、本人がいなくなったことに周囲の誰もが気づかない。なるほど、それは彼ら二人の語るとおり、その者が生きているのと同じことなのかもしれない。


 しかし、だとしたら――


 入れ替わられるまで間違いなくそこにいた本物の彼ら彼女らは、いったい誰に顧みられるというのだ? 死んだという事実をも無かったことにされながら!


「保存だと? 永遠に残るだと? 冗談じゃない……おまえたちはただ、宇宙にひとつきりしかないものを食い物にしているだけじゃないか!」


 殺された者の無念を置き去りに、存在の証を根こそぎ盗み取る悪魔の所業。しかもこいつらは擬態したあと、近しい者から手にかけてゆくのだ。人と人とが結んだ関係を利用して!


 ――絶対に許さない!


 滾る感情に突き動かされ、和泉は懐からバイフレスターを引き抜いた。


「キリエス――――――――――ッ!!」


 視界が蒼い閃光に染まり、ぐんぐんと目線が高くなってゆく。天空への橋を駆け上がる。魂が人を超越した神性に触れ、ありとあらゆる知覚がクリアになった。


 そして、町じゅうに満ちる嘆きを耳にした。


 箱根で聴いた湖の生き物たちの苦痛とも、名古屋で戦った怪獣の生への執念とも違う。明確な言葉を伴ったその声は、この町で犠牲となった者たちの魂の叫びにほかならなかった。


 和泉は、ここで何が行われていたのかを、今はっきりと理解した。


「Oooooooh――!」


 銀に輝く巨大な拳が、嚇怒かくどとともに打ち下ろされる。


 キリエスとなった和泉の身長は四〇メートルほどもあり、体重は三二〇〇〇トンに達する。パンチはエイリアンの体をたやすく砕き、押し潰すと思われた。


「――Mu……!?」


 が、そうはならなかった。


「高次元より来たる戦士よ、貴様といえど邪魔はさせんぞ! われわれはすでに数多の文明を記録している。それを無に帰すわけにはいかんのだ!」


 芽衣子の父が腕を突き上げ、声を張り上げる。


 芽衣子の母がぴったりと寄り添い、同じように両手を掲げた。いや、彼女だけではない。徘徊者の全員がキリエスを仰ぎ見て、双眸を爛々らんらんと光らせていた。


 キリエスの拳が、不可視の力場に阻まれて止まる。


「同胞たちよ、わが元に集え!」


 エイリアンたちの体型が崩れ、不定形のゲルのように変わる。彼らは融合して一気に体積を増し、一人の巨大な怪人として立ちはだかった。


 いまやエイリアンの体格はキリエスとさして違わない。


 キリエスは大きくバランスを崩され、背後のビルに倒れ込んだ。


「GuAaa!」


 ビルが崩落し、瓦礫がキリエスの上に降り注ぐ。


 体勢を立て直そうともがくキリエスめがけて、敵は指先から光弾を放った。直撃はしない。しかし手数が精度を補う。左右あわせて十本の指から撃ち込まれるビームの驟雨しゅううが、ビルを砕き、あちらこちらで火炎を噴き上がらせる。


 仰向けに倒れた巨人が、一面の煙に覆い隠されてゆく。




 夜風が炎を巻いて町を舐める。爆発の衝撃で飛び散った大小さまざまのコンクリート片が、当たれば死ぬ勢いで降り注ぐ。


 そんな一角に、女の子がひとり佇んでいた。


 真っ白なワンピースに身を包んだ少女には、戦地と化した町の危険さもまるで気にならないかのようだった。涼やかな顔つきで遥か頭上を見上げ、未だキリエスを呑み込んだままの煙幕へと怜悧れいりな眼差しを向けている。


「――その怒りはあなたの優しさ? それとも……傷?」


 詩でも口ずさむかのような調子で、少女――ナエは虚空に囁く。


「さまよえる魂と心が通ったのなら、キリエスの力に適応しはじめているということ。あなたが私の言葉を必要としていないことを、今は喜ぶべきかしら?」


 視線の先で、キリエスは一方的に封じ込められているように見える。


 が、ナエはいささかも動じない。


 和泉眞は選ばれし者だ。ひとたび辿り着く場所を定めたならば、死すらも恐れず突き進んでゆく――そういう意志の強さを持っているからこそ、彼はキリエスに協力者として選ばれたのだ。


 和泉の逆鱗に触れることの意味を、敵はまもなく知るはめになるだろう。


 その身と、その魂をもって。




 間もなく、戦いの趨勢すうせいはナエの予想したとおりになった。


 まずエイリアンが光弾を乱れ撃つ手を止めた。


 キリエスは依然として沈黙している。初撃を切り返して以降、キリエスからの反撃はただの一度もなく、弾幕の制圧圏から脱しようという動きもなかった。もう仕留めたか、そうでなくとも虫の息というところまで追い詰めたはずだとエイリアンが判断しても無理はない。それでもエイリアンはまだ油断していたわけではなく、歩み寄って煙の奥を覗き込もうとしたのはむしろ、確実なとどめを刺そうという慎重さのあらわれだったと評するのが妥当であろう。


 しかし結果的には、その行動が命取りになった。


 エイリアンが身を屈めようとした瞬間、もうもうと立ち込める煙を貫いて銀色の腕が伸び、目と鼻のない緑の顔面を鷲掴みにした。


 そのまま体を入れ替えるようにして引きずり倒す。巨人と怪人が粉塵にまみれながら揉み合い、気づいたときにはキリエスが敵の上に馬乗りになっていた。


 もらった弾幕のぶんを返してやろうというように、キリエスはエイリアンの顔めがけて次々と拳を叩きつける。


「DaAh! RuAaa!」


 身を守ろうとしてエイリアンが持ち上げた腕を構わず砕いて、そこからはもう一方的だった。一撃ごとにグシャリと何かが潰れる音がして緑の体液が飛び散り、キリエスが拳を戻すたびに怪人との間で粘液の糸が引かれる。


 怒りに染まったキリエスの眼光が、さらに輝きを増した。


 泣いているようにも見えた。


 八発目が落ちる寸前で、エイリアンはようやく膝をねじ込むことに成功した。大きく身をよじってキリエスを振り落とし、這って距離を開けようとするその挙動に、もはや戦意は残っていない。


 逃げの一手を打つべく身を起こした怪人に、しかしキリエスの追撃が迫った。


「ZeeAah!」


 気迫を乗せたソバットがエイリアンの腹部にめり込む。避けるためのいかなる動作も許さず、防ごうとするならガードの上からでもぶち抜いてやろうという、獰猛な意思を宿した一撃。


 弾道ミサイルが炸裂したような衝撃だった。


 エイリアンの体がくの字に折れ曲がり、ほとんど何の抵抗もできないままに宙を舞う。吐瀉物としゃぶつを撒き散らしながら吹っ飛んでゆく。


(逃がすものか)


 血が沸騰しそうなほどの激情が体のなかで燃え盛る。だがそれと裏腹に、頭の芯は氷水に浸かったかのように冷えている。


 飾り羽根のようなキリエスの耳に、犠牲者たちの悲しみが届き続けている。


(終わらせてやる、こんなことは……今、ここで!)


 胸の結晶体――コアクリスタルが拍動を打ち、両脚へと光を送り込む。


 光が、翼の形に変わった。


 そのときのキリエスを傍目から見れば、羽のついたブーツを履いているように映ったはずだ。左右の踵から生えた翼が風をつかみ、ぶわ、とキリエスの体を浮き上がらせる。翼がはためくたびに青白い残光が夜天をえぐった。いくつもの光の粒子が羽毛のように舞い踊った。


 空をける。


 キリエスの右腕が激しく稲妻をはしらせ、手甲状に発達した器官からきらめく刃を伸長させる。それは実体を持たぬ剣。昂る魂の力で成形された、輝く剣だ。


「HaAaaaaah!」


 銀と蒼の残像をいて、キリエスは一直線に突進する。視界の中でエイリアンが急速に近づき、次の瞬間、すさまじい手応えを感じた。


 光刃がエイリアンの腹に突き刺さり、背中側へと抜けたのだ。


 異形の顎が三叉さんさに開いて絶叫を迸らせる。キリエスは容赦をしない。追い打つように右手をねじり込み、さらなる力を剣に注ぐ。


 莫大な熱量が刀身を通じて流れ込み、エイリアンの肉体を内側から焼いた。荒れ狂った光が皮膚を破り、全身の至るところから火花の飛沫しぶきが噴き出した。


 絶叫が断末魔に変わる。


(おまえだけは、魂のひとかけらも残さない!)


 キリエスは敵の体に足をかけると、渾身の力をこめて刀身を引き抜いた。


 間合いが遠ざかる。エイリアンの四肢が末期を迎える昆虫のように痙攣し、脱力するのが見えた。


 直後、東京の夜空を爆炎が赤く染め上げた。



     ◇ ◇ ◇



 変身を解くときの宙に投げ出されるような感覚は未だに慣れないが、着地に失敗しなかったのは成長と言っていいだろう。和泉はあたりをぐるりと見回し、自分がどこに降りたのかを探った。


 一度は復旧した路面の舗装もすっかり破壊されてしまい、十日前と大差ないほどの惨状を呈している。ラジオ局の駐車場だと察するまでに数秒の間が必要だった。


 そのとき、背後から名前を呼ばれた。


「――和泉さんっ!」


 凍りついたかのように、和泉はぴたりと動きを止める。


 肺の中身を空っぽにするかのような、長い、ひたすらに長い息をつく。


「――ごまかせると思ったか?」


 そして和泉は振り返る。その手に銃を握りしめて。


「和泉さん、どうして……」


 振り返った先で、柚木芽衣子は困惑した面持ちを浮かべていた。突きつけられた銃口にまっすぐ視線を向けている。恐怖とショックに彩られた、とても演技でできるとは思えない表情。


 事実、演技ではないのだろう。


 このエイリアンが人間の脳の構造を複製できるというのなら、そこに生じる感情も当然、本物のそれと変わりない。


「キリエスに変身している間、亡くなった人たちの魂の声がずっと聴こえてた。柚木さんの声もあったよ。おまえは柚木さんじゃなく、その仇だ」


「……ぜんぶお見通しなんですね。やっぱりあなたは漫画みたいな人です」


 いつかと同じことを言って、芽衣子は淋しげに笑う。


「いちおう忠告しておきます。引き金をひけば、あなたは『柚木芽衣子』という存在をこの世界から完全に消し去ることになりますよ。それでも私を撃ちますか?」


 和泉は血を吐くように叫んだ。


「あの子は……もういない!」


 撃ち出された銃弾が無情なまでの正確さでエイリアンの胸を貫いた。芽衣子のかたちをした肉体が音もなく崩れ落ち、緑の泡となって消滅してゆく。


 これで、幕引きだ。


 和泉は銃を懐に収め、ECHOPADエコーパッドを起動した。


「――和泉よりコマンドルーム。藤代隊長、応答願います」


『こちら藤代だ』


 バッテリーは充分に残っていたが、和泉はあえて省電力モードで通信した。画面を埋め尽くす、飾り気ない字体の「SOUND ONLY」。


『要救助者は……少女はいたのか?』


 はい、と和泉は答える。


「あの子は生きていたんです……たしかに、この町で」


 茂みのむこうから茶々丸が飛び出した。和泉の傍らを通り過ぎてゆく。


 ほんの少し前まで芽衣子であったエイリアンは、すでに粘液まみれの衣服を残すのみとなっていた。それは本物の芽衣子が着ていた服だったろうが、もはや茶々丸はそちらに目もくれない。


 矢のように走る茶々丸が、プレハブの陰に消える。


 寂寥せきりょうを帯びた高い遠吠えが、夜の空気を切り裂いてゆく。

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