Chapter 31. ノイズのあふれる時間
ナエに忠告されるまでもなかった。ウィークリーマンションを一歩出た瞬間、和泉は「かかった」と内心ほくそ笑んだ。
尾行がついているのだ。
二軒隣のコンビニに置かれた郵便ポストの裏に一人、斜向かいのビルの室外機の陰にもう一人。あまり腕利きではないとみえる。こうもあっさり標的に気取られるというのは、囮か、あるいは最初から示威的な行動のつもりなのか。
こちらが
おそらく違うだろう、と推測する。
今日は私服だし、町で聞き込み調査をしているときに名乗った肩書きは「ネットメディアのジャーナリスト」である。和泉の本当の身分を知っているのは柚木芽衣子だけであり、その芽衣子が徘徊者と繋がっているとは考えにくい。つまり、仮に接触した人々のなかに徘徊者が紛れ込んでいたとして、その正体がもしエイリアンであったとしても、こちらの素性が割れている確率は低い――と、思う。
もちろん、監視がついたということは多少なりとも疎まれているのだろう。一般人が動画をネットに流すくらいは許容できても、メディアに拡散されるのは都合が悪いということかもしれない。
だが、こちらには引き下がるつもりなど毛頭ない。
脅しに一切つき合わず、このままラジオ局まで突き進む。そのとき連中がどう反応するかが問題だった。念のため、プランが監視から襲撃に切り替わる可能性を警戒しておく。
(あいつらの正体、君なら見破れるんじゃないか?)
ナエとの対話を試みる。が、彼女の答えはそっけなかった。
(無理ね)
まさに和泉が予想したとおりの冷たい口ぶりである。もとより明るい返事を期待してはいなかったが、こうもばっさり切り捨てられると清々しさすら覚えてしまう。
(私は霊体だから、死せる者の魂は見える。いくつもの魂の残骸がそこらじゅうに漂っていることだけはわかるわ。でも、人の集まる街なんてどこに行ってもこんなものよ……残念だけれど)
呼吸ひとつぶんの間、
(生ける者の魂は、目の前にいれば漠然とした性質くらいは感じ取れるかしら。澄んでいるか濁っているか、友好的か敵意があるか――そんな程度ね。超能力者じゃあるまいし、姿の見えない相手のことなんて区別できるわけないでしょう)
(……テレパシーで言うセリフじゃないと思うんだけど)
(こうして話せるのは、私たちの魂がキリエスの加護によって繋がれているからよ。たしかに私は人間にない力を使えるけれど、それは厳密に言えば私自身の力ではないの。私は光のひと
(そうそう都合よくはいかないってことか。だったらしょうがないな)
和泉は路地裏へと足を向けた。
このあたりは地下鉄の駅に近く、商業ビルやオフィスも並んでいる。が、繁華街と呼べる規模ではない。終電の時刻を過ぎても休まず営業を続けるのはコンビニくらいのもので、裏通りともなれば人の気配は完全に絶える。
壁に圧迫された脇道に、靴底がアスファルトを噛む規則正しい音が響く。
(――眞)
(わかってる)
後ろから、足音が一人ぶん余計に聞こえはじめた。
和泉はできるだけ自然な仕草を装いながらジャケットの前を開ける。隠し持ったECHOガンをいつでも抜けるようにだ。気配どころか足音すら隠そうとしない動き方から、もはや和泉は監視者たちの目的を襲撃一本に絞っていた。
その考えを肯定するかのように、行く手が人影によって塞がれた。
現れた男は、これ見よがしに金属パイプをぶら下げていた。武器をちらつかせれば相手が逃げ出すと高をくくっているようだった。こっちが背中を向けて引き返そうとしたところを、後方のもう一人と連携して挟み撃ちにする算段なのだろう。お
和泉はそのまま男めがけて突っ込むと、有無を言わさず
男が悶絶してくずおれる。
後方の二人目が慌てたように走ってくる。和泉はコンパクトに身体を捻り、回転の勢いを乗せてそいつの側頭部に蹴りを見舞った。二人目の男はビルの外壁に顔面から激しく打ちつけられ、鼻血で筋を描きながらずるずると倒れ込む。
どちらも痙攣して動かない。
和泉は注意深く視線をはずし、二人目の男が壁に残した血痕を見やる。白いタイルに引かれた線は、街灯の頼りない光の中でもはっきり赤いと判別できる。
その赤が、みるみるうちに毒々しい緑へと変色した。
「――決まりだな」
やはり、先日のエイリアンの生き残りがいたのだ。
和泉はなぜ討ち漏らしたのかを考えかけて、すぐにやめた。そこまで判断するには材料が足りず、仮説をたてて検証している場合でもない。ひとまず現に敵がいるとわかっただけでも収穫だ。コマンドルームにも情報を伝えておくべきだろう。
そのときだった。
胸ポケットが立て続けに四度、小刻みに振動した。その場所にはプライベート用のスマートフォンを入れてある。そしてこの震え方は、SNSアプリのメッセージ着信時のものだ。
よくない予感がした。
スマートフォンを出してアプリを開いた。
『芽衣子:たすけて ――1分前』
『芽衣子:かぞくがちがうものになりました ――30秒前』
『芽衣子:いえをでました ――10秒前』
『芽衣子:いまかくれてます ――現在』
まず四通とも目を通して、ひらがなばかりの文章に目が滑って、もう一度最初から全部読み返した。
かぞく、
家族が、違うものになった――?
「――こいつらッ!」
理解が及ぶが早いか、ありとあらゆる思考が蒸発した。
ECHOガンを握る。倒れ伏した襲撃者たちの頭を撃ち抜く。ふたつの
走り出す。走っていく。
ジャケットの隙間から吹き込む夜風に急かされて、和泉は一散に駆けてゆく。
◇ ◇ ◇
同刻。
体を丸めるようにして眠っていた茶々丸が、のそりと起き上がった。
茶々丸はベッドを覗き込み、次いで二階の部屋という部屋をくまなく巡り、階段を下りると一階も隅々まで回った。ベランダも窓ガラスごしに確かめたし、トイレも風呂場も見たし、ほとんど物置きと化していて滅多に出入りしない仏間だって忘れずに調べた。
それでも、芽衣子はどこにもいなかった。
芽衣子の父の姿も、芽衣子の母の姿もなかった。
最後に、茶々丸はリビングに入った。ここを後回しにしたのは特別な理由あってのことではなく、単純に階段から一番遠くにある部屋だからだ。まさしくその最後の部屋で、茶々丸は今までに家の中で嗅いだことのない臭いを嗅いだ。
茶々丸は臭いを辿った。
臭いは、開けっぱなしになっている玄関の外へと続いていた。
◇ ◇ ◇
プランターの陰からそっと周囲を窺う。深夜二時の
芽衣子は、ラジオ局の敷地の片隅にいた。
すぐ背後にはプレハブ造りの仮設スタジオの壁。明かりがないことから無人だろうと踏んでいた。目の前にはウッドプランターを並べて作った花壇があって、その先には大いにスペースを余らせた駐車場がある。駐車場は街道に面しており、歩道とのあいだは背の低い生け垣――たぶんセイヨウツゲだ――によって区切られている。
芽衣子は力なく顔を伏せ、細かく肩を震わせはじめた。さっきからずっと、道路に視線をやるのと膝を抱えて顔をうずめるのとを繰り返しているのだ。
家の玄関を飛び出してから、ひたすらに走って、走って、走って、走った。何事かを考えると頭がどうにかなりそうだった。行く手に徘徊者の影が見えるたびに辻を折れ、角を曲がるごとに恐ろしさに負けて振り返った。後ろを確かめるのも怖かったけれど、確かめないことのほうがもっと怖かった。最初こそ父と母の二人だけだった追手は、振り返るたびに数を増した。
どこをどう来たかなんて少しも憶えていない。街道に出たときにはもう、癒えきっていない足が限界を迎えていた。
隠れられそうなところを探して真っ先に目についたのがここだ。よりによってとは思ったが、ゆっくり場所を選んでいる余裕もなかった。一も二もなく生け垣の裏に飛び込んで、あとはアルマジロのように丸くなって一切の身動きをやめた。燃えるように熱くなった全身が酸素を求めて喘ぎ、心臓がばくばくと破裂しそうなくらいに跳ねて、その呼吸と鼓動の音で気取られはしないかと内心気が気でなかったが、無限とも感じられる時間が過ぎたとき、生け垣のむこうの気配はいつの間にか消えていた。
プレハブの前まで体を引きずり、震える指で和泉にメッセージを打った。
和泉からの返信は早かった。芽衣子のスマートフォンの画面はSNSアプリを呼び出したままになっていて、会話スレッドの最新の欄にはこう書かれている。
『和泉眞:すぐそっちに行く ――10分前』
文面を見た瞬間、芽衣子の喉から
そして現在に至るまで、芽衣子は膝を抱えて涙をこぼし続けているのだ。
不意に、手の中でスマートフォンが再び振動した。
『和泉眞:どこに隠れてるか教えて ――現在』
はっとした。言われてみれば当たり前の話で、このSNSでのやりとりに位置情報が紐づかない以上、和泉の側ではこちらの居場所を知るすべがないことになる。
瞬間的に恐慌に陥った。
芽衣子は、画面を数回タップしてカメラアプリを立ち上げた。
何ということはない。ごく単純に、プレハブを写真におさめてメッセージに添付しようとしたのだ。桃華たちとのコミュニケーションのために用いるアプリを別にすれば、カメラは芽衣子が使い慣れているほぼ唯一の機能と言える。気に入った景色を撮影し、あとでその写真を眺めながら絵を描くというのが、芽衣子の趣味であり習慣でもあるからだ。
たとえわずかでも冷静さが残っていれば、ラジオ局にいると一言伝えるだけで充分だと気づけていたはずである。
が、そんな知恵はもう働かなかったし、事態は最初から最後まで芽衣子の手の届かないところで進行していた。仮に芽衣子が別の行動を選んでいても、その後の展開はさほど違ったものにはならなかったろう。
アウトカメラのレンズをプレハブに向けて、画面を見た。
「――ひっ」
見て、次の瞬間、頭の中が真っ白になった。
指から力が抜ける。スマートフォンが地面に滑り落ちる。
芽衣子の視線の先にはラジオ局の建物がある。二階建てのプレハブを置いただけの仮社屋。ベージュの壁には開閉できるタイプの窓がついていて、窓にはしっかりとブラインドがかかっている。
そのブラインドの隙間から、ふたつの目が覗いていた。
芽衣子は、声にならない叫びをあげた。
◇ ◇ ◇
同刻。コマンドルームのモニター相手に睨めっこを続けていたサクラ・ノードリーが、いきなり「ん」と「お」の中間くらいの声を発した。
サクラの端末の画面には、ラジオアプリから流れてくる怪電波を波形データに変換したものがリアルタイムで表示されている。
藤代は稲妻のように立ちあがると、サクラのシートに身を寄せた。
「何を見つけた?」
「んと……ここが一番わかりやすいかな、っと」
サクラがアプリを停止させた。ディスプレイに映る波形がぴたりと静止する。サクラはさらに十分前の波形のキャプチャー画像を呼び出すと、人差し指でふたつの波形を交互になぞる。
「ほら、この部分。ちょっと比べてみてください」
「――? なるほど、一致しているな」
「あたしにもそう見えます。どうもこの電波、特定のパターンを十分くらいの周期でループしてるっぽいんですよ。さすがに内容までは暗号解読班に回さなきゃわかりませんけど、やっぱりこれ、エイリアンの交信波なんじゃないかなって」
「同一のパターンの繰り返しなら、行動計画を全体に行き渡らせるためのメッセージである可能性が高いな。敵は休眠状態で円盤に乗ってきたのかもしれん。電波が流れている間に休眠している個体を目覚めさせれば、指令の伝達と勢力の拡大をほぼ同時に行える……」
そこで藤代は言葉を切り、後ろのシートを顧みる。
「――
「じゅうぶん考えられる話でしょうな」
周防副長はあっさり頷いて、
「いちばん初めに警官に擬態したときに、地球の社会制度や科学技術についての知識を獲得したんでしょう。それより前は仲間内でのコミュニケーションを優先して強力な電波を使っていた。だからこっちの通信が妨害された。ところが今となっては、交信波をラジオの電波に迷彩するなんて芸当が連中にはできるわけです」
ディスプレイの光を反射するメガネのレンズに遮られ、周防の目にいかなる感情が浮かんでいるのかを窺い知ることはできない。しかし、言わんとしていることはよくわかった。
「この先、偽装はより巧妙になる。もしも他の町で同じことが起こったら、そのとき我々が交信波をキャッチできる保証はない……そういうことだな?」
周防が、そしてサクラが沈黙をもって肯定する。
――やむを得んか。
藤代はコマンドルームの壁に備えつけられた大型モニターへと視線を移す。文京区内の道路網が映し出されている中を、一つの光点が移動している。SSSU-6。和泉のECHOPADのGPS信号だ。
「ノードリー隊員、回線を開いてくれ。私から和泉隊員に説明する」
「……陸戦隊を出動させるんですか?」
「ああ」
エイリアンの活動が電波障害という形で顕在化することは以後あるまい。厄介な話には違いないが、裏を返せば、わざわざ敵に先手を譲る必要がなくなったという見方もできる。
「和泉隊員にはこのままラジオ局に突入してもらう。放送の停止が確認されたら、ただちに陸戦隊と情報部を動かして、文京区を中心に検問と電波管制を敷く」
「きっといい顔しないでしょうね、イズミン」
「だろうな」
つかの間、サクラは目を伏せた。この作戦のあいだ、あるときはオペレーターとして、またあるときは電子戦担当者として、最も頻繁に和泉と言葉を交わしてきたサクラだ。市民の平穏を
だが、やるよりほかに道はない。
回線が開かれ、息を荒げた和泉の顔が大写しになった。
「藤代だ。その様子だと、やはりエイリアンが潜伏していたか?」
『ええ……こいつら、夜中のうちに住民を殺して、昼間はその人に成りすまして生活しているんです。警察や区役所にも息がかかっていると見ていいでしょう。このままじゃ東京がエイリアンの植民地になりますよ』
「それを防ぐために我々がいるんだ。今夜じゅうに一網打尽にするぞ」
それから藤代は、地域一帯を封鎖することを告げた。
話を聞くうち和泉の表情はだんだんと曇っていったが、意外にも彼は最後まで口をはさんではこなかった。
もはや一人の隊員に任せておける状況ではなくなっている。いかに若い和泉といえど、そのことを理解しないわけにはいかなかったのだろう――コマンドルームにそんな空気が流れた。
だから、
「――以上だ。質問や異論はあるか?」
『ひとつあります』
和泉のこの返しは、全員を面食らわせた。
『情報提供者の少女が一名、助けを求めてきています。家族に擬態したエイリアンに襲われたようです。少女の保護に向かうのを優先してもいいでしょうか?』
藤代は眉ひとつ動かさず、
「その少女、本当に要救助者だろうな? 罠ということはないか?」
『……隊長』
「怪獣相手であれば私もこんなことは言わんがな、この敵に対しては、そういう可能性も考慮しないわけにはいかん。擬態の恐ろしさは私よりもおまえのほうが知っているだろう」
凍るような沈黙。
気の遠くなるような、実際には二秒か三秒に過ぎなかったであろう間をおいて、和泉はいつになく強い語調で断言した。
『泣いてる子がいるかもしれないんです。行きます』
「わかった。だが、警戒を怠るなよ」
了解の声を最後に回線が閉じられ、モニターがブラックアウトした。
◇ ◇ ◇
ECHOPADをホルダーに戻すや否や、和泉はふたたび進む先の虚空を睨んだ。
コンクリートの地面を蹴って、前へ前へと身を飛ばす。
焦燥に駆られていた。
今の通信で十分弱はロスした。出るべきではなかったのだ。芽衣子の救出について隊長のお墨付きを得られはしたが、だからといってコマンドルームに何ができるというわけでもない。この瞬間にも芽衣子の命は脅かされているかもしれず、現にここには自分しかいない。一分一秒が惜しい。
どこにいるかを尋ねたきり連絡が途絶えていることも、和泉の焦りに拍車をかけていた。メッセージは既読になっているのに返事がない。絶対におかしい。助けを求めているのなら、どうして彼女は己の居場所を伝えてこない?
都道を横切って住宅地に入った。
ここでもやはり、いくつものスマートフォンが暗闇に輝いていた。しっかりとした足取りで徘徊する、人の皮を被った人ならざる者の群れ。戦って勝てない数ではないが、相手にしている場合でもない。視界をかいくぐるようにして進む。
あの子の家はこのへんだったよな、と思う。
ということは、この近くにはいないってことだよな、とも思う。メッセージの文面からして、芽衣子は自宅から離れたところに身を隠しているはずだ。
そのとき、ナエの声が脳裏に響いた。
(眞、何か来るわ)
「何かって――」
何だ、と訊こうとした和泉の足を、柔らかい感触が掠めていった。
「うわっ! ……犬?」
和泉は暗がりに目を凝らす。やはり犬だ。犬種は柴で、毛並みはトーストのような小麦色で、首元に赤い首輪がはまっている。十字路の入口で足を止め、半身で振り返って、ふたつの黒い眼で静かにこちらを見つめている。
「もしかして、茶々丸くんか?」
柴犬が短くワンと一回吠え、くるりと顔を背けた。
ついて来いと言っているかのようだった。
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