Chapter 27. 繋ぐ手のぬくもり

 ノードリー隊員の見立てどおり、処理班はすぐに着いた。


 白一色の防護衣を纏った隊員が、ぐったりとした警官を二人がかりで連行してゆく。白いバンの扉が閉まるのを、和泉は重石を抱えたような気分で見つめた。


 若いほうの警官は銃声を聞きつけるなり現場に踏み込んできた。そのときの反応から察するに、エイリアンはさぞ巧妙に彼の上司を模していたに違いない。和泉と処理班の面々は、錯乱した警官を取り押さえるために鎮静剤を使わねばならなかった。


 ただ、実のところ警官の心配は無用だ。


 都内にはECHOエコーと提携している病院がいくつかある。警官にはひとまず検査を受けてもらうが、元凶であるエイリアンがすでに死亡済みなのだから、さほど面倒な事態にはなるまい。検査は何事もなく終わり、彼は心身のケアを施されたのち解放される。それはいい。


 問題は、エイリアンが化けていた中年警官のほうである。


 エイリアンの死骸が溶けても、服と装備はそのままだった。ということは、本物の中年警官が身に着けていた本物の服と装備だったのだろう。


 何もかもを奪った後、エイリアンが中年警官をどうしたのかは断言できない。生かしておく理由はなかったはずで、消し炭にしたのかもしれないし、養分として吸収したのかもしれないし、あるいは意外と瓦礫の下に隠してあるのかもしれない。


 ――でも……いつ擬態したんだ?


 当然、そこが気になってくる。


 円盤が墜ちてから和泉が駆けつけるまでの空白の時間。それが最も可能性の高いところだが、エイリアンの能力しだいでは別のタイミングもありえた。なにしろ和泉はフェンスを潜ってからずっと警官に背を向けていたし、藤代と通信している間は意識もしていなかったのだ。


 自分がもっと警戒していれば、もしかしたら――。


 そこから先の思考を、和泉は首を振ってねじ切った。答えを解き明かせば犠牲になった命が還ってくるというわけでもない。それにどのみち、今となっては真相は永遠に闇の中だ。


 瞑目する。キリエスに変身していない今、死せる魂の嘆きは聴こえない。せめて遺体が見つかってくれるよう祈りながら、和泉はそっと両手を合わせた。


 瞬間、ECHOPADエコーパッドが激しく震えた。


『――和泉隊員っ!』


 ものすごく焦れた調子の声が飛び込んできた。ECHOPADを手に取って画面を見ると、ポップアップしたウィンドウに、黒髪の女性隊員――桐島きりしまゆいの顔が映る。


 唯はこちらを見るなりかすかに表情を和らげたが、すぐさま口元を引き結んだ。いやに視線がきつい。怒っているらしい。


 和泉はおそるおそる、


「き、桐島隊員? びっくりさせないでくださいよ」


『びっくりしたのはこっちだっ! 無事だったなら早く連絡をよこせ。君がやられたんじゃないかと思って、みんな肝を冷やしたんだぞ』


 ――あ。


 和泉は銃撃されたときの状況を思い出す。


 ちょうど今そうであるように、回線が繋がっている只中だったのだ。エイリアンの擬態を見抜いた藤代隊長が警告を発し、その叫びが届いたか否かもわからぬうちに和泉との通信が断たれた――というのが、コマンドルームに詰めていた全員の認識であるはずだ。


 画面越しに睨み据えてくる唯の、刃物のような目つき。


 それ以上の言葉は不要だった。頭が下がった。


「すみません。何て言うかその、いきなりいろいろあったんで、自分でも気持ちが追いつかなくって」


『……で、怪我はないんだな?』


「全然」


 ナエが守ってくれなければ心臓を撃ち抜かれていた、というのが実際のところだが、正直に話す必要もあるまい。


『敵は仕留めたのか?』


「射殺しました。いま処理班が死骸を回収してます」


『ならいいが』


 唯は長い睫毛を伏せ、これ見よがしに溜め息をつく。


『やっぱり今度からは必ずわたしも連れていけ。ただでさえ君は少し危なっかしいところがあるんだからな』


「……俺ってそんなイメージです?」


 唯の返事はにべもなかった。


『自分の胸に手を当てて考えてみろ』


「ひどいなあ……」


 苦笑が漏れたが、反論する気は起きない。唯と知り合ってからというもの、彼女には格好のつかないところを見られてばかりだ。


『とにかく帰ってこい。君の仕事は終わったんだ』


「そうですね。じゃあ、基地で」


 ECHOPADを胴回りのポーチにしまい込む。


 あたりを見回せば、人影はずいぶんとまばらになっていた。和泉が呼びかけた時点で野次馬たちの腰は引けていたし、とどめとばかりに銃声がしては逃げ去ってしまうのも道理と言える。通行人がときおり興味を引かれて立ち止まりはするものの、作業しているのがECHOだと知るや否や足早に離れていくのだった。


 まあ、変に首を突っ込まれるよりはマシだ。


 和泉はそう結論づけた。


 処理班にはすでに手持ちの情報を伝えてある。作業が始まれば、人々が元の生活を取り戻すまでには一日とかかるまい。ここで自分にできることはもうない。


 きびすを返そうとした。


「……ん?」


 ブーツの裏が何かに触れた。拾い上げて靴跡をはたき落とす。


「パスケース、か」


 ウサギをあしらった浅黄色のカバー。ひっくり返してみると、透明シートの窓から切符代わりの電子マネーカードが覗いた。通学定期の印字があるから、落としたのは学生なのだろう。


 開けてみると、予想どおり学生証が見つかった。


 ――京珠けいじゅ高校二年、柚木ゆずき芽衣子めいこ


 顔写真が載っている。見覚えのない相手であることは一見してわかった。先刻まで雁首がんくびを並べていた野次馬たちの中に、この少女は間違いなくいなかった。


 たまたま通りかかって落とした、ということか。


 無い話じゃないな、と思う。銃声がしたとき起こったであろうパニックに巻き込まれたのなら、自分だって落とし物くらいするかもしれない。


「さて、どうしたもんかな」


 いちばん簡単なのは交番に預けてしまうことだ。


 しかし、警官に扮した敵に撃たれたばかりであるという事実が、結局はブレーキになった。いま交番に残っている者を警戒する意味はないと頭では理解していても、心理的な抵抗は如何ともしがたい。


 ――自分で届けよう。


 せっかく顔も名前もわかってるんだし。近くを捜してみて会えないようなら、学校に届けておけば本人の手元まで返るはずだ。


 和泉はパスケースを胸ポケットに入れ、墜落地点を後にした。




 予想に反して、捜し人はあっけなく見つかった。


 墜落現場のあった交差点から路地に入り、住宅地を抜けて都道に出て、そのまま道なりに北上すると民間用の避難シェルターが口を開ける。大人の足で十五分ほどの行程なのだが、その最初の二分が経つか経たないかというところで、和泉は小さな公園の脇に差しかかった。


 戸建とアパートに囲まれた、本当にささやかな空間である。樹と花壇とベンチの他には申し訳程度の砂場があるばかりで、すべり台やブランコはおろか動物の形をしたスプリングすら置かれていない。たとえ警報発令下でなくともここで子供たちが遊ぶかどうかは疑わしく、公園と言うよりは「空地」と「緑道」の合いの子みたいな印象を受ける。


 そこに、女子高生がいた。


 高校生だと判断できるのは、彼女が通学鞄を持っているからだ。ベンチに座ったまま鞄を両手で抱きかかえ、突っ伏すように深々と顔をうずめている。腕の間から鞄の黒い生地が覗いていて、金色のインクで校章がプリントされている。


 両目とも二・〇の和泉の視力は、約五メートルの距離をものともせず、校章の真ん中に「高」の文字がかたどられていることを見て取った。見覚えのある模様であった。それも、ごく最近に。


 掌中のパスケースを開けて、収まっている学生証と少女の鞄とを見比べる。


 ――ビンゴ。


 案の定、記された校章の意匠は一致する。


 声をかけよう、と和泉は決めた。少女が顔を伏せているため本人かどうかはわからないが、違ったら違ったでECHO隊員としての立場から避難を促してやればいい。事件がほぼ片づいているとはいえ、まだ一応は避難命令が継続している状況なのだ。我ながら今更だとは思うが。


 車止めのポールをよけて公園に入り、少女の前まで歩み寄った。


「君、ちょっといいかな?」


「っ!?」


 少女は、気の毒なほど過敏な反応を見せた。


 和泉としては無造作に近づいたつもりだったのだ。しかし、あたかも外界を拒絶するかのごとく身体を丸めていた少女には、やはり和泉の足音はこれっぽっちも聞こえていなかったのだろう。ブラウスに包まれた細い肩がびくっと跳ね、鞄にうずめられていた小さな顔が勢いよく頭上を振り仰いだ。


 呼びかけられて初めて他人の存在に気付いた、そんな驚きに見開かれた目がまっすぐに和泉を向く。小動物を思わせるくりくりとした瞳。普通にしていれば親しみやすい印象を与えるチャームポイントなのだろうが、今は頼りなさげな光が揺れていて、緊張からか面差しも硬い。怯えさせてしまっただろうか。


 ともあれ、学生証に載っている写真と同じ相貌には違いなかった。この少女こそがパスケースの持ち主、柚木芽衣子だ。


「驚かせてごめん。このとおり怪しい者じゃない」


 和泉が柔和な笑みを作ると、少女――芽衣子の顔色に安堵の気配が滲んだ。


 もっとも、それは和泉の努力というよりも、ECHOの隊員服による効果のほうが大きかったかもしれない。嫌われ者でも公的機関だ。いかに世間の風が冷たかろうと、身分の保証という点に限ってはこれほど強力なカードも珍しい。


「現場の前でこれを拾ったもんだから。君の落とし物だろ?」


「えっ? ――あ!」


 和泉がパスケースを差し出すと、芽衣子は慌てて鞄の中を探り、


「……ほんとだ。ありがとうございます、わざわざ届けてくれるなんて」


「いや、君を見つけられたのはたまたまだから気にしないで。……というか、中身を勝手に確かめさせてもらっちゃったから、むしろ謝らないといけないな」


「それこそ気にしないでください。見られて困るものは入れてませんでしたし」


 芽衣子は立ち上がってパスケースを受け取り、ぺこりとお辞儀をする。


 その仕草に、和泉は違和感を覚えた。


 まずは腰を浮かせる瞬間、次に頭を下げる際のほんの一瞬、芽衣子の所作と表情につきまとった一抹のぎこちなさ。隠そうとしたものが隠しきれずに顔を覗かせてしまった、という感じだった。


 まるで、何かを必死にこらえるような――


「もしかして、どこか怪我してる?」


 どこか、というのは実のところかなり白々しい言い草である。アカデミーの頃から怪我とお友達の日常を送ってきた和泉にとって、相手が体のどこを庇いながら動いているのかを察するのは決して難しい作業ではない。芽衣子の立ち姿。体重のかけ方から、痛めたのは右足だろうとあたりをつけた。


 こちらの視線に気づいたか、芽衣子は手品でも見たかのように目を丸くして、


「すごい。そういうのわかるんですね。漫画みたい」


「まあ、仕事柄ね。――転んだの?」


「あのUFOが墜ちた工事現場の前を通りかかったんですけど、人とぶつかっちゃって。たぶんパスケースもそのときに落としたんだと思います」


「……やっぱり騒ぎになってたか」


「大きな音が二回して、そこからは正直あんまり覚えてないです。みんな悲鳴をあげて走り出して、いきなり後ろから誰かに押されて。とにかく逃げなきゃって思って、この公園まで……」


 こんどは和泉が頬を引きつらせる番だった。円盤を撃ち落としたのも自分なら、パニックの発端となった二つの銃声も片方は自分が放ったものだ。


「よかったら見せて。応急処置くらいなら俺にもできる」


 すると、芽衣子はわたわたと両手を振る。


「いえ、そんな! 何から何まで悪いですよ」


「でも、警報が解除されるまでにはしばらくかかるよ。病院に行っても誰もいないし、シェルターまで歩けるくらい平気なんだったら、そもそもここでじっとしてなんかいなかっただろ?」


 最初に座っていたときのアルマジロのような格好が思い出された。


 慣れ親しんだ学校からの帰り道は、今日に限っては悪夢そのものだったはずだ。突然スマホが通じなくなり、空で戦闘機とUFOがドッグファイトをおっ始め、挙句の果てには銃声を耳にしたうえ群衆のパニックに巻き込まれた。一刻も早く一歩でも遠く、恐ろしい非日常から離れてしまいたかったことだろう。


 たった数分で世界が反転してしまい、自分ひとりだけが取り残されてしまったとしたら、その心細さは如何ばかりか。ECHOの隊員服を前にしておののくどころか気を緩めるような仕草を見せたのも、きっとそういう理由に違いない。


 やはり図星であったらしい。芽衣子は長い沈黙の末に、


「……そう、ですね……」


 まだ遠慮がちに、しかし観念したように再びベンチに腰をおろした。おっかなびっくりといった様子でローファーから足を引き抜き、黒いソックスに手を伸ばして、ためらうような手つきで引き下げてゆく。


「じゃあ……お願いします」


 虫も殺さぬような顔立ちにありありと困惑が浮かんでいるのを垣間見て、少し強引だったかな、と和泉は内心で省みる。こちらとしてはささやかな罪滅ぼしのつもりだったが、芽衣子の側からすれば自分は見ず知らずの男なのであって、いくら場合が場合とはいっても素足を晒すことに何の抵抗も覚えないはずがない。


 実際危ない絵面とは言える――和泉がECHOの隊員服姿でなかったら通報待ったなし、という類の。


 おかしな考えを頭から締め出した。妙な不安を与えたくない。


「捻挫だね。そこまで酷くはなさそうだ」


 瑞々しい白さのきれいな足だ。それだけに足首の腫れは目立った。


 そっと触れてみると、赤みが差した箇所が微かに熱を持っていた。無理をして公園まで急いだのが祟ったのか、内出血が起きている。とはいえすぐに処置すれば痣になることは防げそうだし、後遺症が残ることもないだろう。


 和泉はタクティカルベストのポーチから医療キットを取り出すと、瞬間冷却材の袋を叩いて布で包み、細い足首に押し当てた。びくりと脚が震える。感覚が麻痺してくる頃を見計らって湿布を貼り、包帯でぐるぐると固定して「よし」と一言、


「こんなところかな。変に負担をかけたりしなければ一週間くらいで痛みはなくなると思う。でも、後でちゃんと医者に診てもらって」


「は、はい……」


 芽衣子は神妙な顔でおずおずと頷く。


 彼女が包帯で膨らんだ足にソックスとローファーを履き直すのを見届けた和泉は、医療キットをポーチにしまうと、立ち上がって手を差し伸べた。


「その足じゃ一人で歩くの不便だろうし、家まで送るよ」


「え……いいんですか?」


「いいも何も、怪我人を置き去りにできないよ。いまさらシェルターに連れてく意味もないしね。――だからまあ、最後までお節介を通させてくれると嬉しい」


 最後の一言をつけ加えるのには勇気が要った。


 和泉の脳裏をよぎるのは、野次馬たちが囁いたECHOに対しての不信感だ。あれが市民の一般的な反応であるなら、この少女だって本音の部分では自分と関わりたくはないだろう。断られたら素直に引き下がろう、と心の中で決めていた。


 しばし芽衣子は呆気にとられたように目を瞬かせた。そして口元に手を当てて、


「――ふふっ」


 抑えた声で、しかしはっきりと笑みをこぼした。


「ありがとう、ございます」


 芽衣子が手を伸ばし、和泉の差し出した右手を取る。


 和泉は頬を緩めずにはいられなかった。


 賞賛がほしくて仕事をしているわけではない。感謝されたいのとも違う。誰かに尽くすのは見返りを求めてのことではない。その気持ちに偽りはないと、和泉は今でも自信をもって言うことができる。


 それでも、触れ合う掌から伝わる温かさは、確かにまた一つの現実なのだった。

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