Chapter 26. 宙よりの侵入者

 小学校のグラウンドにレーベンを着陸させ、応対に現れた職員への挨拶を手短に済ませると、和泉は足早に校門を潜り抜けた。


 立ち昇る黒煙を目印にして走る。


 街道沿いにこそ立派なオフィスやマンションが並ぶものの、道路を一本渡ると民家ばかりの景観が広がる。よく見ればどの家も洒落た造りをしていて、それなりに裕福な層が住んでいると推測できた。なんとなしに居心地の悪さを感じる。自分には縁のないところだ。


 狭い路地を抜け、反対側の通りに出た。


 やはりと言うべきか、墜落地点では騒ぎが起きていた。すでに野次馬が集まっていたのだ。各々スマートフォンやデジタルカメラを手にして、円盤が突っ込んだ建設現場のフェンスの奥へと向けている。


「ここは立入禁止です! 近づかないでください!」


 群衆の中から警官の声が漏れ聞こえてくる。しきりに退去を呼びかけているが、その語調からはどこか戸惑いが感じられた。ことUFOに関しては警察も素人とそう変わらない。それがわかっているからなのか、野次馬たちはいっこうに警官の言葉を聞き入れようとしない。


 ――ノードリー隊員が見たら怒りそうだな……。


 当然ながら避難命令はまだ解除されていない。だというのにこうなるのでは、人々に危険を知らせるべく八方手を尽くしたであろう彼女もやりきれまい。


 だが、すべては前触れなく始まり、あっという間に終わったのだ。警報が皆に知れ渡るにはあまりにも時間が足りなかったし、運良く知ることのできた者もシェルターから離れた場所にいては避難のしようがなかった。そんな状況で手持ちの電子機器がちょうど息を吹き返したら、脅威が去ったものと思い込んでしまってもさほど不思議ではない……のかもしれない。


 そう自分を納得させることにする。


 和泉は二度の咳払いの後、すうっと息を吸い込んで、



「皆さん、下がってください!!」



 瞬間、どよめきが引き潮のように静まった。


 脳天を打ち抜かんばかりの声量を浴びて、群衆が一人、また一人と振り返る。注がれる何十個もの視線。多くは和泉より年下か同年代くらいの若者だが、なかには四〇代も半ばを過ぎようかという主婦らしき姿もある。


 和泉は居並ぶ顔をぐるりと見回し、堂々と口を開いた。


「この地区には怪獣警報が発令されています。我々が皆さんの安全を確保するまで、然るべき場所にて今しばらくお待ちください。――通していただけますか」


 ECHOエコーの制服は効果覿面だった。気まずそうな沈黙とともに人垣が割れる。開いたその道を進んで、和泉は円盤の残骸へと近づいてゆく。


「これだもんなECHOは。いつもいつも隠し事ばかり……」


「余計なこと言うな。目ぇつけられたらヤバいぞ」


 途中、そんな会話が聞こえてきた。思わず表情が硬くなる。


 ――まるでこっちが悪者だ。


 突如降って湧いた非日常に興味を惹かれ、一線を踏み越えた者が命を落とした例はいくつもある。しかし、野次馬たちの心配はそこにはない。いま彼らが恐れているのは、保護や機密保持といった名目で身柄を拘束されることのほうなのだ。


「べつに取って食ったりしないんだけどなあ……」


 賞賛が欲しくて仕事をしているわけではない。とはいえECHOの活動はもっと理解を得られてもいいはずだよな、と和泉はちょっと傷つきながら思う。


「お疲れ様です」


 奥まで辿り着き、二人の警官に歩み寄る。


「ECHO日本支部、戦略特捜隊SSS-Uの和泉です。現場保存へのご協力ありがとうございました」


「いえ。……お一人で?」


「あとから処理班が来ます。それまでは自分が」


 中年の警官は頷き、部下を残して和泉をフェンスの内側へと招き入れた。


「工事現場ですか。何が建つんです?」


「FMラジオの放送局だそうです。もっとも、こうまで壊れては工期どおりには建たないでしょうがね」


 建設中の施設は骨組みの段階であったらしい。形を留めている部分を見るに三階建てほどの慎ましやかなビルだが、駐車場の予定地と合わせた敷地面積はなかなかのものだ。スタジオだけでなく本社機能も兼ねる造りなのだろう。


 その右半分が、円盤によってえぐり取られていた。


「たしかに……これは酷い」


 損壊している箇所の鉄筋は蝋細工のようにねじ曲がり、もはや建物を支える役には立ちそうにない。骨組みの全体が大きく歪んでしまっており、ラジオ局の社屋というよりは、このまま前衛芸術として発表するのだと紹介されたほうがまだしも信じられそうな有様だ。補修で済むレベルを完全に超えている。


 一方の円盤はと言えば、こちらもこちらで無残な格好を晒していた。鈍く光沢を放っていた外装は焼け焦げ、何の役割を果たしていたのかもわからぬ機械の部品がそこかしこに散乱している。


 つい先刻までドッグファイトを繰り広げていたのが嘘のようだった。木っ端微塵に砕けたその様は、墜落の衝撃がいかに大きかったかを雄弁に物語っている。


 乗っていたのが何者であれ、これではまず生きてはいまい。


「――藤代ふじしろ隊長、応答願います」


 ECHOPADエコーパッドを手に取り、ふたたびコマンドルームとの回線を繋ぐ。返事はすぐに来た。


『藤代だ。状況は?』


「円盤はビルの建設予定地に落下、大破しています。民間人に死傷者は出ていないようですが……」


『エイリアンの死体は確認できるか?』


 藤代の双眸がいつになく剣呑な色を帯びていた。


 円盤がどのような目的で訪れたのかは今となっては知るべくもないが、その行動に鑑みて、地球や人類への害意があったことは否定しがたい。そういう相手に対しては、藤代は一切の手心を加えないことで知られる。


 侵略者の攻撃艦隊を「蒸気の海」の藻屑へと変えたヒギヌス戦線。東南アジアの小国の紛争に介入し、裏で糸を引く宇宙商人を捕らえたファナン‐ガマ停戦。いずれもアカデミーの教科書に載るほど有名な話である。


 つまり、藤代啓吾けいごという男は対異星人戦のスペシャリストなのだ。


 初動が致命的に遅れたにもかかわらず和泉機の発進が間に合ったのも、藤代がぎりぎりのところで通常部隊の指揮に割って入ったからだった。


「死体は……見える範囲には無いですね」


 捜し物をするには瓦礫をどかす必要があるが、とても一人でこなせる作業ではない。処理班に期待するしかあるまい。


『無人機だった可能性はあると思うか?』


 この問いには確信をもって答えることができた。首を横に振って、


「それはないかと。急制動や方向転換を連続で行えなかったのは、乗員に負担がかかりすぎるからでしょう。コイツが無人機なら墜ちてたのは俺のほうですよ」


『今、誰かと一緒か?』


「警察の方がいます。……隊長?」


 藤代の面持ちがみるみるうちに険しさを増した。つられるように和泉も眉をひそめる。隊長はいったい何に気づいたのか。


 そして、時間がどろりと濁った。


『離れろ!』


 藤代が血相を変えて一喝した。直後にECHOPADの画面がノイズにまみれ、和泉とコマンドルームを結んでいた回線が断ち切られた。


(――眞、後ろよ!)


 頭のなかに直接響く鋭い声。和泉がその意味を掴むより早く、目の前の景色が陽炎のように揺らぐ。


 虚空から滲み出るように現れた少女がつま先からふわりと降り立ち、真っ白なワンピースの裾が翻った。少女――ナエは和泉に向かって掌をかざし、怜悧なまなざしに力をこめた。



 銃声が轟いた。



 和泉には何が起こったのかわからない。わからないが、ただならぬ事態が進行していることだけは疑う余地がなかった。本能に突き動かされた体が、飛び退って背後へと向き直る。


 そこに、冗談のような光景があった。


 銃弾が宙に静止していた。


 波打つ光が障壁となって、弾を空中に縫い止めているのだ。


 ナエが腕を下ろすと、光の盾は霧散した。三八口径の銃弾が重力に引かれ、甲高い音とともに地面を転がる。


 遮るもののなくなった和泉の視界に、拳銃を構えた警官の姿が飛び込んできた。真新しい硝煙を燻らせる銃口が、まっすぐ和泉の心臓へと伸びている。


 肌が粟立った。


 認識がようやく現実に追いついた。


「おまえ、人間じゃないな! 正体を現せ!」


 和泉はECHOガンを抜き撃った。


 警官が短く呻き、もんどりうって倒れる。血のあふれる腹部を押さえながらしばらくの間もがき、やがて動かなくなった。


 和泉はゆっくりとにじり寄ったが、その警戒は杞憂に終わった。警官の体が崩壊を始めたのだ。湿り気のある耳障りな音をたてながら溶けてゆく。赤かった血はたちまち緑に変色し、肉や骨はどろどろとした白灰色のゲルとなった。


 残ったのは警官の衣服と装備一式、そして人の形に広がった粘液だまりだけだ。


 和泉はしゃがみ込むと、グローブをはめた手で粘液を掬い取った。親指と人差し指のあいだに緑がかった糸が引かれる。不快な感触だが、臭いはない。


「人間に寄生……いや、擬態していたのか……?」


 成分を調べるまでもない。これが人体の組織に由来するものだとは思えない。エイリアンが人間に化けていたと考える方がずっと自然だ。


 和泉の首筋を冷や汗が伝う。


 危ないところだった。会話すら交わしておきながら、欠片ほどの違和感も見出せなかったのだ。


 電波妨害と擬態。どちらも人間社会に混乱をもたらしうる能力だ。こんな奴が世に放たれていようものなら、地球はそれと気づかぬうちに乗っ取られてしまったかもしれない。ここで阻止できたのは幸いというほかない。


「ナエ――」


 君のおかげで助かった。そう言おうとした。


 しかし、少女の姿はいつもどおり忽然と消えていた。

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