第四話 代替人間

侵略知性体 ザザ 登場

Chapter 25. Dance with the UFO

 視界いっぱいの群青ぐんじょうを、漆黒の鳥となって駆ける。


 操縦席に備えつけられたディスプレイに、海面すれすれを飛ぶ円盤の光学映像が表示されている。その画面が激しく波打ち、たちまちのうちに暗転するのを見て、和泉いずみしんはいっそう気を引き締めた。


「和泉よりコマンドルーム。間もなく対象と接触します」


 声は果たして届いたのかどうか。微妙なタイミングだった。通信をオンにした途端スピーカーがノイズを吐きはじめ、言い終える頃には雑音に支配されていた。


 円盤が撒き散らす怪電波のせいだ。


 これがためにECHOエコーは初動対応をしくじった。国立天文台から「不審な飛行物体あり」との通報が入ったとき、人工衛星による監視の網はとうにくぐられた後であり、円盤は太平洋側から日本に向かって近づいているところだったのだ。


 ――何が目的だ?


 円盤が来るであろう方角の空を睨みながら、和泉は対異文明用のIFFを起動させた。暗号化されたメッセージを電波に乗せて発信するという仕組みで、メッセージは素数の知識を応用することで解読できる。われわれはこの惑星に文明共同体を有する知的種族であり、あなたがたと対話する用意があります――。


 回答はない。念のため周波数を切り替えて同じことを試したが、やはり結果は変わらなかった。


 ECMの権化のような相手である。もとより無駄と知りつつの行動ではあった。そもそもジャミングでカモフラージュしながら侵入してくる時点で、友好的にふるまうつもりがあるとは思えない。


 ややあって、空の一点に影が生まれた。


 ぐっと操縦桿を引いてレーベンを上昇させる。間もなく、遥か下方を円盤が素通りしていった。和泉は大きく旋回してその後を追う。


 あちらが速度を抑えていることはすぐにわかった。心の中で警戒のレベルを一段階上げる。素直に応援を待つべきか。


 和泉の迷いは一瞬しかもたなかった。


 行く手に町が見え、そして円盤がスピードを上げた。


 虚を衝かれた。あちらはレーダーに映らず、光学的な手段でなければ捕捉できない。観測衛星との通信を封じられている以上、目視圏外に出られてしまったら打つ手なしだ。


 和泉は即座にオーグメンタを作動させ、距離を開けられまいとする。身の毛もよだつ勢いで減っていく燃料。大洗上空で加速をはじめたレーベンは、霞ケ浦を突っ切ろうかというときに水蒸気の雲を突き破り、柏に差し掛かったあたりでスーパークルーズに移行した。


 そこから東京に到達するまで一分とかからなかった。


 その一分もない時間のうちに、和泉はさらに幾通りものパターンで必死に交信を試みた。が、電波はそもそも届かず、発光や発煙を用いた信号にも円盤は返答をよこさなかった。


 ――仕方ない。


 和泉は苦々しいものを感じながら、操縦桿のトリガーボタンのカバーを跳ね上げる。


 まだ日の沈まない時刻である。多量の情報が飛び交う東京都心にとって、電波妨害によるインフラの麻痺は下手な破壊活動よりも遥かに深刻な脅威となりうる。すでに影響が出ているだろう。決断するしかない。


 高度を下げるとともにオーグメンタに再点火。噛み合わせた奥歯が軋みをあげる。間合いが一気に縮まる。


 トリガーにかけた指を押し込もうとした。


 円盤が、稲妻のように消えた。


 物理法則をまるで無視した急制動。


 後ろをとられた――そのことを理解した和泉はとっさに操縦桿を倒し、ラダーペダルを蹴りつけた。レーベンはよく反応した。体じゅうの血が一斉に片寄る感覚とともに、機体が強引極まるターンで左へ逃げた。


 半瞬前までレーベンがいた空間をビームが焼き貫いた。


 ふっ、と荒い息をつく。


 これでわかった。こいつは敵だ。


 はっきりとスイッチが切り替わる。やむを得ないとはいえ、敵意が明らかでない相手を撃ち落とすことには抵抗があった。しかし今、ためらう理由はなくなったのだ。


 和泉はそのまま旋回を保ち、円盤がふたたびレーベンを追い抜く瞬間を待った。むこうの運動性がこちらを凌駕している以上賭けには違いなかったが、やる価値はあると踏んでいた。もし敵がさっきの魔法を無制限に使えるのなら、速力で撒こうとはせずに、最初から空戦に持ち込んできたはずだからだ。


 まさしく読みどおりだった。


 円盤は減速しきれず、レーベンの前方へと滑り出た。


 近い。和泉は油断をしない。すばやく機体を制御して旋回方向を反転させる。敵もこちらの狙いを察したか、真逆の軌道をとって食らいついてくる。


 航跡が絡み合い、二重螺旋を描くように伸びてゆく。


 カラスとUFOが踊る。


 四度目の交差を終えたとき、和泉は背中を見せて逃げる番だった。射掛けられる火線をかわしながら、首を反らして円盤に目を凝らし続ける。いつまた馬鹿げた機動を繰り出してくるか知れない。絶対に振り切られてはならず、持久戦に引きずり込まれてもならない。


 次で勝負に出よう。和泉はそう決めた。


 そして、五度目の交差が起こった。


 仕掛けた。


 猛然と切り返した機首の先に、


 確かに押し出してやったはずの敵がいない。


 何があったかなど考えるまでもない。あの常軌を逸した機動。反重力フィールドと慣性コントロールなくしては為し得ない悪魔のわざ


 そうくるだろうと思ってはいた。ここぞの場面のために温存している可能性は和泉とて覚悟の上だったし、それをした相手が必ずこちらの背後上方に占位することもわかっていた。


 和泉は、残りの燃料をオーグメンタにぶち込んだ。


 舵を限界まで引き起こす。レーベンの頭が天を仰ぎ、炎の尾を曳きながら、流れる綿雲めがけてぐんぐんと上昇してゆく。


 円盤が加速して追い縋ってくる。むこうもここで決着をつけるはらだ。抜け目なく旋回の内側に留まって、ビームの照準を合わせている。


 軸線が重なる寸前、和泉は横転を打った。


 放たれたビームが空を切った。


 内と外が入れ替わる。曲芸じみたマヌーバが空振りに終わった今、もはや円盤は旋回半径を狭めることができない。形勢不利を悟ったか、脇目も振らずに降下して離脱にかかる。


 レーベンの黒翼が、太陽を背にして翻る。


 和泉は機首を下げて突撃した。視界の中で急速に大きくなる円盤の姿。外すほうが難しいほどの距離まで迫ったとき、和泉はついにトリガーを絞った。


「いけっ!」


 自由電子レーザー砲が空域を薙ぐ。


 ふた筋の光条が、円盤の滑らかな装甲を射抜く。小さな爆発が起こり、撒き散らされた金属片が太陽に照らされてきらきらと輝いた。


 円盤が煙を噴いて墜落してゆくのを見届けて、和泉はレーベンを水平飛行に復帰させた。コクピット内の機材に目をやる。妨害電波は無事に止まったらしく、ディスプレイの表示が元通りになっていた。


『――お疲れ、イズミン。大丈夫だった?』


 声とともにウィンドウが開き、サクラ・ノードリー隊員の顔が映った。連絡が早いのは助かるが、共通回線で「イズミン」はやめてほしい。


「……まあ、なんとか無事です。あと一回なら離着陸できそうなので、墜落地点の状況を確認してから帰投しようと思うんですが」


『OK。こっちからも処理班が向かったよ。三〇分もあれば着くだろうから、引き継ぎ終わったら戻ってきて』


 よくも悪くもノードリー隊員は虚飾をしない。事態の収束が確定するまで気を抜くべきではないにもかかわらず、口調からはやりきった感じが透けていて、表情はいかにも肩の荷が下りたといったふうだ。


 和泉は苦笑混じりにヘルメットの下で片眉を上げる。


「了解。――ノードリー隊員もお疲れ様です」


 無線の電波が乱されていたとはいっても、有線通信を介して避難命令を発したり、インターネットを使って警戒を促したりと、できることはいくらでもあった。自分も生きるか死ぬかの局面だったが、彼女も彼女なりに濃密な時間を乗り切ったという気分なのだろう。


「さて、と」


 通信を切って、円盤の落ちた地上を見やる。


 まだ残骸が燃えているのか、黒煙が風にたなびいている。幸い工場が集積している区画からは外れており、大規模な火災には発展していないようだった。


 少し視線を動かせば、東京ドームの白い天蓋てんがいが目に飛び込んでくる。


 ――文京か。


 あたりには大学や公園など、広い敷地を有する施設が多い。レーベンを駐機させる場所には困るまい。


 和泉はノズルを下に向け、ゆっくりと降りていった。

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