Chapter 19. 地底からの牙

 頭には入れていたつもりだったが、実際に見るのとではワケが違った。ミッションエリアを空から眺めて、和泉は唾を飲み込まずにはいられなかった。


 急峻な斜面に挟まれた峡谷地帯。その至るところに鋼の獣が潜んでいた。陽光を反射して獰猛に輝く鈍色の群れは、ECHOエコーファクトリー謹製の重戦車、T-133〈マルタ〉を駆る地上部隊の精鋭たちだ。あるものは斜面の上から、あるものは谷の底から砲口を突きつけ、怪獣が現れるのを今か今かと待ち構えている。


 事態の深刻さが理屈でなく目でわかる。ECHOがここまで大がかりに部隊を動かすことは稀だ。


「戦場だな」


 後席の唯が呟いた。


「君、こういうのは経験ないだろ。怖くはないか?」


 まさか――否定しようと思った。自分が死ぬことなど少しも恐ろしくはない。


 即答できなかった。


「怖い……のとは少し違うんですが」


 不安は、ある。


 それは自分ではなく、自分以外の誰かが傷つくことだ。


「戦いになれば、全員が無事には済まないでしょう」


「嫌か?」


「そりゃあ……桐島隊員はどうなんです?」


「もちろん嫌に決まっているさ。でも、戦わなければもっと多くの犠牲が出る。いまさら君にする話でもないが」


 唯は和泉の両肩を軽く叩いて、


「みんな覚悟して来ている。あまり気負うな」


 そのとき、ECHOPADエコーパッドから通信のやり取りが聞こえてきた。周防が山吹に指示を与える声だった。


「始まりましたね」


 キャノピーを隔てた視界の中で、漆黒の戦闘機が高度を保ったまま静止する。曲線的なフォルムと、垂直尾翼にペイントされたSSS-Uトライエス・ユニットの隊章が目を引く。


 MF/A-02〈レーベン〉。


 汎用性と拡張性が売りのECHOの主力機である。


 自分が唯と二人で飛んでいるのに対し、あちらの乗員は山吹ひとりだ。順当に考えればレーダーを積むのはこっちの役目のはずだが、そうならなかったのは山吹の技量がそれだけ信頼されているからなのだろう。


「そういえば、あれから山吹隊員とは話し合ったのか?」


 和泉は首を横に振る。


 前回の事件から一カ月近くが過ぎた今も、山吹隊員との距離を縮めることはできていない。いっそもう一度ぶつかってしまえば話は早かったのかもしれないが、そんな機会はついに訪れなかった。


 唯は「まったく世話の焼ける奴め」といった具合に微笑んで、


「今度いっしょに飲みにでも行ったらいいんじゃないか? あの人たぶんそういうの好きだぞ」


「そういうのって?」


「だから、後輩から飲みに誘われるの」


 うまく想像できなかった。体育会系の山吹だけに快諾してくれそうな気もするが、同じくらいの確率で渋い顔をされそうな気もする。


「考えておきます」


 そして、その山吹が共通チャンネルに向けて叫んだ。


『――照準ロック。地中探査レーダー、照射!』


 山吹機の腹から突き出したアンテナが、それ自体が攻撃になりうる出力で電磁波を放った。すぐさま反射波が返り、山吹がまた声を張る。


『反応あり!』


 操縦桿を握る和泉の手にじわりと汗が滲み、


『目標、移動を開始しました!』


 緑がざわめき、鳥が飛び立つのが見えた。周防がスヴィーから飛び降りて双眼鏡を取り出し、崖上に陣取っていた戦車部隊が泡を食って後退した。


 地震が起こっている。揺れが予想していたよりも大きい。


『速えッ! 地表到達まで残り十秒、九、八――』


『山吹くん、高度をとれ! 来るぞ!』


 土砂が天高く爆ぜ、地が割れた。


 裂け目から最初にせり出してきたのは、異様に発達した角だった。続いて頭が現れ、前脚が這い出し、胴体が地面から引き抜かれた。


 二度、三度と身を震わせて土汚れを払い落とす。薙ぎ倒した木々に目もくれず、怪獣は空を睨んで咆えた。


「サイか?」


 鼻先から生えた大仰な一本角、岩盤をそのまま貼りつけたかのような体表、力強く大地を踏みしめる太い四つ足――いみじくも唯が漏らした通り、そいつの格好はサイに似ていた。


 焼けたような赤褐色と、森をかげらせるほどの体躯を別にすれば、だが。


 上空に逃れた山吹と入れ替わるように、和泉はレーベンを突っ込ませた。眼前を横切って注意を引き、死角となるはずの背中側に回り込んで視界から消える。


「自由電子レーザー砲、発射!」


 唯がトリガーを引いた。


 機首上部の左右に二門ずつ、計四門の砲口をもつ複合兵装ユニットが火を噴いた。外側の二門からレーザーが射掛けられ、ごつごつした背に炸裂する。


 命中した箇所が黒く焦げ、異臭まじりの煙が昇る――が、ダメージを与えるには至らなかったようだった。


「鎧か、あいつの体は!」


『だったら、こいつはどうだ!』


 山吹のレーベンが側面を衝いた。複合兵装ユニットの内側二門、二〇ミリ機関砲が唸りをあげて回転する。


 あられのような弾着のうち、怪獣の体を穿てたものは一発もなかった。悉くが硬い皮膚に阻まれて軌道を変える。あたりの樹や山肌が跳弾を受けて砕け散る。


 怪獣は鬱陶うっとうしそうに身じろぐばかりで、少しもこたえた様子を見せない。


 山吹が呆れ混じりに、


『おいおい、二〇ミリの掃射だぞ。なんてタフな奴だ!』


 と、しばらく沈黙していた周防が動いた。


『周防よりコマンドルーム。隊長、応答願います』


『藤代だ。――何か掴んだか?』


 ECHOPADの画面の中で、周防はこっくりと頷いた。


『驚きました。こいつはアルマテリウムだ』


『アルマテリウム?』


『三千万年前に生息していた重脚目の近縁種ですよ。まさか現代まで生き延びている個体がいたとは……』


 この人はこんなときに呑気なことを――後ろで唯が嘆息するのを、和泉は軽い驚きとともに聞いた。周防の口ぶりにここまでの興奮がこもるのは、和泉の知る限り初めてのことだ。


『重脚目は草食動物だったと知られていますが、アルマテリウムは例外です。獲物を探して常にうろつき、目についたものは何でも食べる。インドゾウ並みの巨体で活発に動き回っていたんですから、そりゃあ葉っぱや果実だけじゃ足りなかったでしょうね』


 ――インドゾウ?


 耳を疑った。和泉は改めて怪獣を見やる。


 地上では戦車隊が苛烈な砲撃を浴びせていた。T-133マルタの主砲、一二〇ミリ滑腔砲かっこうほうの発射音が轟く。左右と正面、三方から降り注ぐ火線に揺さぶられながら、しかし怪獣は怯まない。


 ずん、と腹にくるような足音。


 ひづめを下ろして固く大地を踏みしめ、怪獣が前に出る。


 たったそれだけのことで、相対していた小隊がじりじりと後退する。攻撃は間違いなく当たっている。なのに、歩みを止めることができない。


「あれの何がインドゾウ並みって?」


 こんなモンスターを相手にしては、戦車も戦闘機も子供のおもちゃみたいなものだ。ましてやゾウなど――


『そう、問題はそこなんだ』


 よくぞ聞いてくれた、という顔を周防はした。


『こいつだって、なにも元から五〇メートル級の化物だったわけじゃない。アルマテリウムの本来の大きさはインドゾウ程度なんだよ』


「それがどうしたらああなるんです?」


『休眠してるうちに成長したのさ。マグマのエネルギーは無尽蔵だからね。三千万年もの間ぴくりとも動かずにエネルギーを吸収していたとしたら、巨大に育っても不思議じゃなかろう?』


 じゅうぶん不思議じゃないだろうか。いまいち雑な推論という気はしたが、虚素レキウムも検出されない以上、他の仮説が立たないことも事実である。


 三千万年。その途方もない年月を思う。


 地底深くの圧力に耐え、火山のエネルギーを糧としてきた。あの強靭な皮膚。鉱物のような硬さも、熱を通さない分厚さも、それならば確かに説明はつく。


「そして、火山性微動のせいで目を覚ました……?」


『推測の域を出ないけど、おそらくね』


 間、


『――わかった』


 思案げに腕を組んでいた藤代が沈黙を破った。


『以後、目標をディゲラスと呼称。あくまで怪獣として対処する』


 もちろん、命名に悩んでいたのではあるまい。藤代の面持ちは険しく、言葉には不穏な含みがある。


『厄介な横やりが入るかもしれん。周防、』


『ま、その前に収束させるしかないでしょう。後になってから騒ぎ立てられるぶんには別にどうってことないですし』


 周防が怪獣ディゲラスへの興味をあっさりと引っ込め、やれやれといったふうに肩をすくめるのを、和泉は半ば拍子抜けして見つめる。


 ソリが合わないわけじゃないけど、副長も大概よくわかんない人だよな――和泉が首をひねっている間にも、周防はさらに調子を切り替えて、


『――とは言ったものの、正直、態勢を立て直さないことには如何いかんともしがたいですね。第二次攻撃で勝負をかけたいところです』


『物資を送る。追加で必要なものはあるか?』


『徹甲弾が要ります。それと降雨弾』


 藤代が眉をひそめる、


『降雨弾? 干ばつ対策用のか? あまり備蓄はないが……積めるだけは積ませよう』


 お願いします、そう言い置いて周防はコマンドルームとの通信を終えた。次いでECHOPADの回線チャンネルを変更し、戦車部隊に呼びかける。


『――撤退戦に移る! 各車、所定のラインまで一時退却!』


 左方、右方、正面。それぞれの小隊長から「了解」の応答が返る。露骨に悔しさの滲んだ声。彼らは押され気味ではあっても、決定的に戦線を崩されていたわけではない。当然、歯痒い思いはあるだろう。


 T-133マルタの履帯キャタピラーが駆動し、鋼鉄の車体が下がり始める。見た目に似合わぬ速さだ。両側の崖上から無骨な砲塔が引っ込んだ。


 しかし、正面の隊は逃げ切れなかった。


 弾幕を張りながら後退する彼らに、ディゲラスは着実に迫りつつあった。顔面で弾ける砲火も蚊に刺されたほどにしか感じないのか、忌々しげに首を振って喚くように咆え散らす。


「まずいな。追いつかれるぞ」


「援護しましょう!」


 和泉は操縦桿を倒し、ラダーペダルを踏み込んだ。レーベンの機体が横滑りしながら右回りを切り、ディゲラスの前に躍り出た。


 キャノピー越しに巨大な眼と睨み合う。


 直後、唯が攻撃ボタンを押した。武装の選択は弾速あしと精度に優れたレーザー。普通に当てても効き目がない以上、狙うべき部位は一つしかない。


 ディゲラスの左目が破裂した。


 ほぼ時を同じくして、山吹が短射程ミサイルを切り離した。二つのミサイルが白煙の尾を曳いて飛び、一発はディゲラスの首筋に、もう一発は脇腹に命中した。


 さしものディゲラスも苦痛だったに違いない。金切り声をあげながら激しく身をよじる。巨体が傾ぎ、炎と煙に覆い隠されていった。


「やった!」


 二機のレーベンが爆発の横合いを抜ける。和泉はコクピットの中で快哉かいさいを叫び、唯と親指を立てあった。


 しかし、終わってはいなかった。


 爆炎へと視線を戻した和泉は、そこで言葉を失った。熱色に照らされた煙を割ってディゲラスが再び姿を現したのだ。


 潰れた片眼から体液を滴らせている。


 体表の一部が痛々しくえぐれている。


 目に見えて傷を負っているにもかかわらず、弱っているとは思えなかった。牙を剥いたかおには煮えるような憤怒が宿り、足取りにも怪しいところはない。


 ディゲラスが空を仰ぎ、和泉機めがけて鼻頭を突き出す姿勢をとった。尖った角の先端が、黒い機体の航跡をなぞるように追う。


 ――何のつもりだ?


 いぶかったとき、ECHOPADから怒声が流れてきた。


『何やってんだバカ! 早くマヌーバを――』


 山吹とて、ディゲラスの行為の意味を理解したわけではなかっただろう。あるいはパイロットならではの勘が警鐘を鳴らし、彼に危険を悟らせたのか。


 どうであったにせよ、山吹は正しかった。


 ディゲラスがひときわ大きな雄叫びをあげた。ほんの一瞬、象牙色の角がブレたように見えた。認識できたのはそこまでだ。


 残忍な指向性を帯びた振動波が、和泉と唯の乗るレーベンを殴りつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る