Chapter 07. 覚醒の蒼き光

 和泉の意識は、青い光の寄せ返す空間を漂っていた。


 まどろみのような安らぎが五体の隅々までを満たしている。力を込めることがまったくできない一方で、それを不快だとは感じない。うっすら目を閉じているのだという感覚があって、ということはこの視界いっぱいの青は自分の瞼の裏側に広がっているのだろうと想像する。


 なぜ、こんなところにいるのだろう。


 記憶を辿る。覚えている最後の光景は、崩れゆく洞窟と、行く手の奥から押し寄せてくる黄昏色の光の波濤だ。右の掌へと注意を向ければ、桐島隊員の体を突き飛ばしたときの感触が今もまざまざと残っている。


 ――そうか、


 自ずとひとつの理解が降りてきた。


 ――俺は、死んだのか。


 状況から言って、それ以外の結論を導きようがない。半端な防護で大量の虚素レキウムを浴びた人間が生きていられるはずはないし、岩塊に押し潰されたのであれば侵食症に罹るまでもなくお陀仏だ。自分が命を拾えている道理は万に一つもなかった。


 ――それなら、それで構わない。


 後悔もなく、未練もない。ただ「意外と苦痛はないんだな」という悠長な感想がよぎるだけだ。


 自分の身などよりも、桐島隊員のほうがずっと気がかりだった。虚素はともかくとしても落盤から救えたかどうかは疑わしい。なにしろ突然のことだったし、地下深くに潜んでいたのであろう怪獣の大きさからすれば、数メートルのズレなど微々たるものだったはずだ。


 わかっていても、巻き添えにするのは嫌だった。


 自分の目の前で死ぬのはもう自分自身だけで充分だった。


 故郷の村が燃えた十五年前の七月一七日から、そうあるようにと己に言い聞かせてきたのだ。だから最後の瞬間、脳ミソは回転することをやめ、身体は死神の手から桐島隊員を逃がすための機械と化した。


 結局のところやり遂げられたかどうか知るすべはなく、やり遂げたところでかつて犠牲になった村人たちが生き返るわけでもない。十五年も余計に生きながらえた罪が今更赦されることもあるまい。死後の寝床が皆と一緒であるとは到底考えられず、そのことが和泉はほんの少しだけ悲しい。


 ふと、周囲の青がいつしか濃さを増していることに気づいた。


(……眞……)


 ――!?


 唐突に声が聞こえて、和泉は驚きのあまり跳ね起きようとして失敗した。相変わらず体の自由はきかず、瞼をひらくこともかなわない。


(言ったはずだわ。あなたは死なない)


 声は、和泉の心に直接響いてきていた。


 あの女の子の声だ、と直感した。冬山の奥へと自分を誘い、何やら助言めいたものを授けてくれた、白いワンピースを着た幻の少女。


 無事だったのかと和泉はまず安堵して、次にこうして自分が声を聞けているということは彼女も死んでしまったのかと不安になって、そもそもあの子は幽霊なのではなかったかと我に返る。


 ――あたたかい。


 優しく撫でられるかのような心地よい感触を覚えた。抱きすくめられている、と感じる。蒼光の海にたゆたう自分の背中から、小さな手が回されている。


 ひどく懐かしい感覚だった。


 身体とも精神とも違う、魂が女の子のことをおぼえているかのようだった。


 なのに、女の子のことを知っているはずのこの自分には、彼女が何者なのかを思い出すことがどうしてもできない。


 先刻まで胸を満たしていたベタ凪のような心持ちは、少女の囁きに耳をくすぐられるや否や吹き飛んでしまっていた。じりじりと熱を伴う痛痒に駆られながら、和泉は虚空に向かって問いを放った。


 ――君は、誰なんだ?


 声は、和泉の疑問には答えなかった。


(あなたの中には、私がいるもの)


 意識が蒼い輝きに包まれ、無限に拡大してゆく。

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