Chapter 08. 輝けるもの来たりて

 あたりを夕暮れ色に汚染しながら、金色の竜が進撃してゆく。


 大地を揺るがせて移動する巨影に、唯はどうにか追いすがろうとした。が、生身の人間の足で敵うわけもない。行けども行けども差は開くばかりで、いくら走っても追いつくどころか銃の射程にすら捉えることができそうにない。


 駆けつけてくれた戦闘機だけが頼みに思えるが、あの機体の最大火力であるミサイルは効かないことが実証されたばかりだ。あれではパイロットには手の打ちようがないだろう。


 このまま見送ることしかできないのか。


 唯が歯噛みしたそのとき、ヘルメットのバイザーをまばゆい光が貫いた。


「くっ!? ――な、何だ?」


 突然、凄まじい輝きが天に向かって迸ったのだ。


 視界を塗り潰さんばかりの蒼さに目を眇め、唯はその方角を仰ぎ見る。


「あれは……洞窟のあったあたりか……?」


 胸の奥底から畏怖めいた念が湧き上がる。


 満ちゆく黄昏を切り裂き、渦を巻いてそびえ立つ光の柱。それは照らすもの全てを浄化するかのごとく清澄でありながら、人なる身では近寄ることもかなわぬほどの、暴力的なまでの神聖さを秘めているようにも感じられた。


 ただならぬものを察知したのは、どうやら唯だけではなかったらしい。竜が前進を止め、木々を薙ぎ倒しながら洞窟跡を振り返る。


 竜の喉から唸り声が漏れ、次の瞬間、まるで光の中にいる何者かを威嚇するかのように、明確な敵意のこもった咆哮が放たれた。


 そして、その咆哮に応えるように、それが起こった。


 光の柱から輝く球体が飛び出したのだ。


 光球は蔓延する虚素レキウムにも怯まず、竜と対峙する恰好で宙に静止した。その姿が変わり始める。まず球形が崩れ、次いで四肢が伸長し、ほとんど時を同じくして頭部と思しき部位が形成された。


 人間の形だ――唯はそう直感したが、しかし人間であるはずはなかった。竜とほぼ同等の大きさだ。ゆうに身長四〇メートルはあろう。


 光が、爆ぜた。


 唯は眼前の光景に魂を奪われ、銃をリロードするのも忘れて立ち尽くした。


 巨人が、空中から竜を睥睨へいげいしていた。


 青の紋様に彩られた、少しの無駄もない白銀の体躯。胸の中心で煌めく結晶体。複雑な形状の頭部は羽飾りのついた兜を被っているふうにも見え、紡錘を描く大きな眼は理性の光を宿している。


 巨人の厳かな佇まいから、唯は欧州の伝承に語られる戦乙女ヴァルキュリアを連想した。「七・一七」のアーカイブを閲覧したことはあるが、こうして実際に目にする巨人は、映像や写真で見るよりも遥かに凛々しく、美しい。


 あのとき、巨人は怪獣をたおすためだけに力をふるい、人間に危害を加えようとはしなかったという。


「味方……なのか?」


 虚素など意に介さぬとばかりに、銀色の足がつま先から大地に触れた。体重という概念に縛られないかのごとき穏やかな着地――だが半呼吸の後、そのオーラに耐えかねて山が震撼し、けがれた地面が轟音とともに捲れ上がる。


「うわっ!」


 衝撃波とともに雪が舞い、土塊や木片が押し寄せる。思わず顔を庇った腕の隙間から、竜が巨人に挑みかかっていくのが見えた。


 巨人は真っ向から受けて立った。


 巨躯どうしのぶつかり合いに空気がびりびりと鳴動する。両者が足を踏み下ろすたび、粉塵が高く噴き上がった。


「SeeYaahhhh!」


 裂帛れっぱく――巨人が気勢をあげる。


 突進してくる竜にタイミングを合わせて、その長い首を抱えるように掴んだ。体当たりの勢いを逆に利用して投げ飛ばす。三〇〇〇〇トンは下らないであろう重量が白い山肌に叩きつけられ、耳をろうする轟音と眩暈めまいすら覚えるほどの激震を生んだ。


 竜が雪を振り落としながら身をよじる。


 眼前で繰り広げられる神々の戦いに圧倒されていた唯は、一瞬の後、はっと思考を取り戻して息を呑んだ。ぎらつく鱗に守られた竜の背をめがけて、巨人が追撃の手刀を振りかぶったのだ。


 ――ダメだ、それは効かない!


 奴の鱗はミサイルの直撃にも耐えた。いくら巨人の力が強くても、単純な打撃が通じるわけがない。


 と、巨人の胸の結晶体がひときわ明るく輝いた。


 結晶体から発した光は、体の蒼い紋様に沿って腕へと通い、籠手のごとく発達した器官へと流れ込んだ。よく見れば籠手にも小さな結晶体がある。唯の目には、光がそこに集束したように見えた。


 手刀が竜を打ち据えた――刹那、フラッシュを焚いたような閃光が瞬き、壮絶な衝撃と化して炸裂した。


 ――凄い……。


 竜の苦痛の叫びを、唯は信じがたい思いで聞く。


 瞬きの間もなく巨人がさらに攻めたてる。銀色の脚はしなやかだが、膝から下はまるでブーツを履いているかのような堅牢なシルエットをしている。足首のあたりにやはり小さな結晶体が埋め込まれていて、その小さな結晶体に向かい、またしても胸のクリスタルから光が送り込まれた。


 夕暮れの彩りの濃霧を切り裂き、蒼穹の色を纏った拳が、蹴りが繰り出される。まるで舞踏だ、と唯は感嘆の吐息を漏らした。


 ふと頭上を仰ぐと、黒い戦闘機が所在なさげに旋回していた。攻撃中止の命令が下ったのかもしれない。


 無理もない、と唯は思う。


 こうなった以上、すでに戦いは人類の手を離れていると言うよりない。介入する余地など存在しないに決まっていた。 


「Haaaaah――」


 巨人が腰を落とし、籠手のような器官に青白い稲妻を走らせた。輝きを溜め込んだ両腕を前方へ突き出す。臨界に達したエネルギーが激しくスパークしたが早いか、必殺の光線となって解き放たれた。


 ミサイルを受け付けない強靭な鱗も、滅びの妖光も無力だった。あらゆる防御を貫いて荒れ狂った光線の熱に、竜はたまらず爆散した。


 ほんの三分にも満たない戦いだった。


 唯はしばらく動けず、やがて夕暮れ色の光が霧散していることと、炎の勢いがいつの間にか弱まっていることに気づく。


 風が雪原をさらう。木立ちの間を渡って抜ける。


 視界の中で、巨人が空に溶けるようにして消えてゆく。



     ◇ ◇ ◇



 意識が戻ったとき、和泉は林の焼け跡に立っていた。


 荒々しく呼吸を繰り返す。


 夢を見ていたような気がした。生きていることも、怪獣を叩き伏せた感触が手に残っていることも、何もかもが現実の出来事とは思えない。


 ふと、自分の右手が見覚えのない物体を握り締めていることを見て取った。短剣を象っているようにも見えるが、刃はなく、材質は陶器とも金属ともつかない。


 ほとんど無感動に懐にしまい込む。思考がまとまらず、


「俺に、何が起こってるんだ……?」


 そこでついに限界がきた。糸が切れたかのように全身から力が抜け、つんのめるように両膝が落ち、


「――和泉っ!」


 走ってきた誰かに抱きとめられた。


 ところが、その誰かもひどく憔悴しょうすいしているらしかった。和泉の体重を支えきれない。折り重なるようにして二人で雪の中に倒れ込む。


 素顔であれば息がかかるほどの至近距離。


 フルフェイスのヘルメットの、スモークのかかったバイザーの奥を覗き込んで、和泉はその人物の名を呟いた。


「……桐島隊員……?」


 死なせずに済んでいたのか――。


 和泉の息が一瞬詰まる。疲れきった口元に、ゆっくりと、抑えきれないといった感じの笑みが広がっていく。


「よかった、生きててくれて」


「馬鹿か、君はっ!」


 叱りつけるように叫んで、唯が身を起こした。怒気をはらんだ声音と裏腹に、切れ長の目が笑っていた。


「それはわたしの言うことだ! 君が生きていてくれて、本当に良かった……!」


 しかし、和泉は頬の緩みを抑えられない。命を拾ったことよりも、目の前の人を助けられたことの方がやっぱり嬉しくて仕方なく、生きていて良かったという言葉と自分自身とを結びつけることがどうしてもできない。


 唯の腕に抱かれたまま、いつしか和泉は眠りに落ちていた。


 その懐で、蒼い光が鼓動のように瞬いた。

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