第3話「絶望の居残り」

「やめろ!!来るな!!!ぁぁあああああああ!!!!!いだいっっっ!!!離せぇぇぇっ!!」


 ドアへ向かう人の波からはじき出された男が右腕に食いつかれている。左腕で食らいつくその顔を抑えるが、背後から襲ってきた奴に首を食いちぎられる。悲鳴も上げられぬまま噴水のように彼の首から血が噴き出して辺りを濡らす。ぴゅーぴゅーと血を噴き出しながら仰向けに倒れるとハイエナのようにやってきた奴らが彼の腹を引き裂き内臓を啜る。


 親を見失い、泣き叫ぶ子供にも奴らは容赦なしだ。肩に食いつかれ、体育館に叫び声のような泣き声が響き渡る。小さな体からいとも簡単に四肢が引きちぎられてあっという間に肉塊と化した。


 俺はその光景をただ黙って見ていた。動こうにも体が動かなかった。まぶたさえ、ホチキスで止められたように動かなかった。瞬きもできず人が人を食らうという信じがたい光景をただただ焼き付けていた。


「雨宮!」


 最上の声でふと我に返る。


「何が起こってるの!?」


 俺の背後に立ち、幕を開けようとする。俺はそれを遮るようにして幕を完全に閉めた。


「見ないほうがいい」


 幕を握ったまま、一言だけ最上に放つ。


「見ない方がって言ったってただごとじゃないんでしょ!?」


「いいから見るな。幕から手を離せ」


 後ろにいる後輩二人は幕の外から聞こえてくるうめき声と絶叫に震えていた。最上は俺を不審な目で見降ろしている。


「……じゃあなにが起こってるかだけでも話して」


「……知らない方がいい」


「それじゃあしょうがないでしょ!?自分たちが危険な目に遭ってるのはもう分かってるの!話しなさい!」


「知らなくていい。いいから少し静かにしろ。……俺だって何が起こってるか分からない」


 嫌悪の表情を見せる最上。それでも俺は幕を掴む手を離さない。


「とりあえず放送室に上がれ。カーテンは全部閉めろ。小窓があるが絶対に外は見るな。俺は一番後に行く」


 最上も含めた三人に指示を出す。放送室まで行けばひとまず安全だろう。幸いまだこちらには気づかれていない。



 三人が階段を上る。口の前に人差し指を添えて静かに行動するよう促す。彼女達が放送室に入るころ、体育館からは絶叫が消え、代わりにうめき声が体育館を満たす。


 去り際にもう一度幕を開けた先には、数十体の亡者が血液と肉片で溢れた床をべちゃりべちゃりと足を引きずりながら進む姿があった。ご丁寧に逃げ切った人たちは亡者がここから溢れださぬようにドアをすべて閉めていったらしい。先ほど同様ドアを外から強く叩く音も聞こえてくる。

 それに反応するようにしてドアに額をこすりつける奴が数体。いずれにせよ、ドアからの脱出は不可能になった。


 頭の奥で「もうどうあがいてもダメだ」という考えがぼんやりと浮かぶ。それから逃避するように深呼吸をして俺も三人に続いた。



 放送室は体育館の二階にある小さな部屋だ。放送器具と小さなテーブルが置いてあるが俺たち四人くらいなら全員が寝転がっても窮屈には感じないスペースはある。


 放送室のドアを開けると、小窓を覗く最上とその下で小さくかがんで震える藤宮、小窓から一番離れたところで体育すわりをする有沢の姿があった。


「……先パイ」


 ドアの前に立つ俺を藤宮は涙目で見つめている。


「なんなんスか……あれ」


「……だから見るなっつっただろ」


「だって……食屍鬼なんて、そんな、現実には」


「……現実よ。夢なんかじゃない。映画の中の話でもない」


 小窓から離れ、最上が頭を抱える。


「さっきまであの場にいた人たちが、さっきまで一緒にいた人たちを食べてる……。そんな、ひどすぎる……」


「ここから逃げなきゃ……そうっスよね先パイ……?」


「……そうしたいがもう遅い。出口は全部ふさがれた。それに、もし仮に遅くなかったとしても一番出口から遠いところにいた俺らが逃げようとすれば、人波にあぶれてあいつらみたいに人を喰ってただろう」


「そんな……」


 重たい沈黙が流れる。誰がどう見たって状況は絶望的。ここで餓死するか、意地でも出て奴らに食い殺されるか。この目に焼き付いた先ほどの光景が浮かぶ。


「……助けが来るまでここで待っているしかないのね」


 崩れ落ちるようにして最上が座る。額に汗を浮かべ顔色は少しだけ悪いように見えた。


「最上先輩……大丈夫ですか……?」


「……ええ。心配しなくてもいいわ」


 先輩として気丈に振る舞ってみせる最上。あんな光景を目の当たりにしたら誰だって気分が悪くなって当然だ。


「……助けなんて来るんスかね」


 藤宮がうつむいたまま呟く。


 全員が藤宮の問いに答えることはしなかった。


 俺も助けが来ることはないなんて分かっていた。だとしてもそれを口に出すほど愚かでもないし、助けは来ると無責任なことも言えなかった。


「このまま死にたくないッスよ……」


 体育座りの膝の上、交差した腕の中へ頭をうずめて涙声で弱音をこぼす。


「……結衣ちゃん、私たちは大丈夫だよ。きっと生きて出られるから」


「そうよ。死ぬなんて簡単に言っちゃダメ。みんなで頑張らなくちゃ」


 藤宮を励ます二人。そんな彼女たちを見て俺に一つの決意が浮かぶ。


「……そうだ。有沢の言う通り、生きてみんなでここから出るぞ」


 俺一人の命じゃない。だから無理なんて弱音は吐かずにここから出るしかないのだ。

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終末世界の歩き方。 飯来をらくa.k.a上野羽美 @eli-wallach

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