第2話「押さない、駆けない、喋らない」
「……まぁ、課題はあれど一応形になってるから明日から次に行ってもいいかな」
「うおー!出ました!雨宮先パイの超絶上から目線!今日もキレキレッスね!」
「喧嘩売ってんのかコラ」
指定したページまでの練習を終えたところで六時をまわっていたので、そろそろ切り上げることにする。下にいる運動部の面々はまだまだ練習を続けるらしく、片付けるそぶりすら見せていない。
「有沢、帰る支度するぞ」
ステージの隅で発声練習をする有沢に声をかける。
「あ……はい……!でも、運動部がまだ練習してるしもう少し残っていってもいいんじゃないでしょうか……?」
「確かにそうだな。……でもこういうのはメリハリが大事だからな。キリのいいところでかつ、満足のいく結果で終わったらすぐ帰るのが上達の基本だぞ」
「……そうですよね!」
彼女なりに元気よく返事をした後、ステージに散らばる小道具を片付け始めた。
「……本当は?」
いつの間にか後ろに立っていた最上が俺の心中を見透かしたように尋ねる。
「まぁ、さっさと帰りたいからだよね」
「職権乱用」
「お前が部長だったらそうしただろ」
「まぁねぇ」
台本に色々と書き込みながら横目で返事をする最上。その台本はおびただしい数の文字が書き込まれ、ところどころにマーカーが引かれている。一時期俺も真似してみようかと思ったがこんなに書き込むことは見つからなそうなのでやめた。覗き見るとすごい嫌な顔をされるし。
「もう帰る準備できたッスよ!!」
荷物を抱えた藤宮がステージの脇で帰り支度を進める俺たちに宣言をする。
「そうか。お疲れ」
「うぃっす!じゃあお先に失礼するッス!……ってなに一人で帰らせようとしてるっスか!いつもみたいにみんなで帰るッスよ!」
「相変わらずノリツッコミが素晴らしいわね」
「結衣ちゃん……お笑い芸人になれると思うよ」
「由利ちゃん何気にキツイ言いぐさッスよ……それ」
「いいぞ、有沢。もっと言ってやれ」
「目指せR-1グランプリ……!」
「なんでピン芸人スか!一人でノリツッコミって悲しすぎるッスよ!」
藤宮と有沢で本当にコンビ組めるんじゃないか。
全員が帰りの支度を整え、家に帰ろうかという時、普段はこの時間に流れることはない校内放送が流れてきた。
『校内に残っている生徒、職員に連絡します。ただいま市内や周辺地域で暴動が発生しているとのニュースが入ってきました。校内に残っている生徒や職員は体育館に避難してください。また、近隣住民の方々にも避難所として当校の体育館を開放します。体育館で練習をしている運動部は直ちに片付けを始めてください。繰り返します……』
「……えっ。なんかやばい感じッスか外」
若干の焦燥を孕みながら繰り返すスピーカーを仰ぎ見て藤宮が声をあげた。
「こんな田舎で暴動って……何言ってるんだ……?」
困惑しているのは俺たちだけではなく、下で練習をしている運動部員も同じだった。全員が手を止めて不審そうに放送を聞き、数人が顧問の指示で片づけを始めている。
よく聞けば市内の防災放送も内容は聞き取れないがけたたましく市内に響いている。何かが起こっているのは間違いないらしい。
「まさか……本当に食屍鬼がやってきたッスか」
「結衣ちゃんそんなこと言わないでよ……」
「……とりあえずは体育館から出ない方がいいな」
十分くらいすると校内に残っていた生徒や、近隣住民の方々が体育館に集合してきた。みな困惑や不安の表情が浮き出ている。窓の外はもう真っ暗になっていた。
ステージの上から人々を見下ろす。別に意図してここにいるわけではないので、時折当たる視線がなんだか恥ずかしい。かといって俺たちしかいないステージの上は、人でごった返している下よりも断然快適なのでこの場を離れようとは思わなかった。
次第に騒がしくなる体育館。暇つぶしにスマホを弄っていた藤宮が声を上げる。
「噛まれた人が次々に人を襲い始めてヤバい@東京都。ゾンビが出た@埼玉。暴動が発生して避難所にいるけど、逃げてる途中で人が人を食べてたのを見た@千葉……えっ、これガチでヤバくないッスか」
「……まだ言ってるのか。どうせ混乱に乗じて誰かがデマを流してるだけだって」
藤宮を軽くあしらった瞬間、体育館の後方が騒がしくなった。
「おい!ちょっと開けてくれ!怪我人だ!うちの妻が通行人に首を噛まれた!誰か手当を!!」
「待ってくれ!俺もさっき手を噛まれた!救急箱さえあれば自分でなんとかする!誰か持ってたりしないのか!」
すぐさま保険医が駆けつけて一人一人に手当を施す。そのほかにもまだ数人くらい「噛まれた」と訴える人の姿があった。
「……まさかな」
苦笑いを浮かべたが、手には汗が握られている。
ただの狂犬病みたいなものだ……。噛まれた人が人を襲うなんてそんなバカげたこと起こるわけない。……映画じゃないんだから。
大きく息をつく。
藤宮はスマホを見ながら「ヤバいっすよこれ」と情報収集に当たっている。その肩にしがみついて震えている有沢。大して気にも留めずに台本を読んでいる最上。
彼女たちを見ながら「もし本当に最悪の事態が起こったら」という考えが頭をよぎったが馬鹿馬鹿しくてそれを打ち消した。
一時間もすれば証拠不十分の噂が体育館にこだましていた。
誰もが口々にする「ゾンビ」という言葉が耳に入る。ほれみろ、みんなゾンビって呼んでるじゃねぇか。まぁ、それはどうでもいい。
「噛まれて死んだ人が復活して人を襲い始めたらしい」
「東京はすでにゾンビで埋め尽くされたらしい」
あくまで「らしい」の段階ではあったが不安に駆られる人々に虚構を信じさせるには十分だった。あちこちからすすり泣く声さえ聞こえている。
ステージ上の部員たちもその不安の波にあおられてだんだんと表情に余裕を失いつつあった。
「……藤宮、もうスマホしまっとけ」
「でも……」
「どっから湧いたかもわからないデマでみんな不安になってるのが見えるだろ?暴動とやらが収まるまでもうツイッターはやめとけ」
「……はいッス」
ステージの幕を閉める。誰もが俺の方に注目したが「片付けてるだけです。気にしないでください」と言ったら何も言わずにそのまま下を向いた。
ステージ下に広がる不安に飲まれたくなかったのだ。
しばらくしてから幕を少しだけ開けて下の様子を見る。体育館はもう座るスペースがないくらいに埋まっていた。先ほど怪我をしていた人は横になり、苦しそうな表情を脂汗とともに浮かべている。
ドアの前には警官や、うちの体育教師が協力して避難する人たちを誘導していた。
「どんな感じ?」
最上が静かに幕を開ける。
「いよいよ避難所らしくなってきたって感じだ」
「そうね。次は炊き出しでもするのかしら。もういい時間にもなったし、お腹が空いてきちゃった」
「じきにあるだろ。まぁそれまではのんびりしてようぜ」
「そうね部長」と言って奥に戻る最上。なんか部長と呼ばれたのは初めてな気がする。
引き続き下の様子を見る。
すっかりゾンビの噂が蔓延している体育館で、注目を浴びているのは噛まれた人たちだった。
「噛まれた人はゾンビになって人を襲い始める」
ゾンビ映画の基本だがあくまでは映画の中の話。それを全員分かっているからこそ、誰も「そいつは危険だ」とは言えずにいた。しかし、負傷者を見るその表情はやはり不安を隠せないようだ。
負傷者は明らかに最初よりも顔色が悪くなっている。保険医も救急車を呼んではいるがなかなか繋がらないらしい。
それもそのはずで、外は今まで聞いたことのないくらいの数のサイレンが響いていた。「道を開けてください」という隊員の声がかろうじて聞こえる。
明らかに外が異常な事態であることは分かり切っていた。
「……おい!なんだあれ!!」
後方で数人が解放されている後ろのドアを指さす。その方向を見ようとするがステージの上からではよく分からない。
姿勢を変えてどうにか見えないものかと目を凝らしていると叫び声が上がった。
「……助けて!!!!噛まれた!!……奴らが後ろに!!!」
外から警官の静止を振り切って血まみれの中年男性が走りこんできた。
その姿を見て絶叫する人たち。さんざん煽られていた不安や恐怖が一気に爆発した。
阿鼻叫喚の中、様子を見に外に出た体育教師が戻ってきた。彼は脂汗を浮かべながら体育館のドアを閉めて大きな声で指示する。
「ドア付近にいる人たちは全員ドアを閉めて!!!!早く!!!!!」
叫び声が上がる館内で怒号にも似た声が響く。とっさに反応した運動部員たちがドアへと駆けつけて閉めた。さすがは体育会系。
「誰かドアを叩いても絶対に入れるな!!!!もう救助が必要な人はいない!!」
その場にいた体育教師以外の全員が何が起こったのかも分からずに、より恐怖を煽られてますますパニックになっている。
「なんなんスか!?何が起こってるんスか!」
背中を叩かれて振り返る。
「……分からない。……暴動の犯人がここまで来たとか……」
「なんだって暴動の犯人がここに来るんスか!!意味わかんないッスよ!!」
「俺も分からねぇよ!とりあえず冷静になれ!!下はパニックになってる!!せめて俺たちだけでも落ち着けば何とかなる!!」
「……部長……おうち帰りたいです……」
ほとんど涙目の有沢が藤宮の背中から少しだけ顔を出す。
「そんなこと言ったって……事が収まるまでは誰もここから出られないだろ。とにかく落ち着けって」
「雨宮」
「最上はなんだ」
「警察に電話をかけたんだけど全く繋がらない。明らかにおかしいわ」
「……救急も同じみたいだぞ。怪我人がいるってのに全然つながらないみたいだ」
幕の向こうでさらに大きな叫び声があがる。
「……今度はなんだよ」
再びフロアを覗く。ドア周辺にいる人たちはおろおろとドアから離れたり、ドアに近づいたりと忙しそうだ。どうやら騒ぎの原因はドアの向こうにあるらしい。
「外側から人が叩いてる!!!」
逃げ遅れた人だと思ったのだろうか、一人の生徒がドアに近づくとその先輩らしき人物が大声で怒鳴った。
「開けるなって言ってただろ!!鍵かけたままにしろ!!」
気がつけば体育館のドアすべてがバンバンと大きな音を立てている。
その音でパニックが狂乱へと変わった。
「みなさん落ち着いて!!!!ここは安全ですから!!!」
大きな声で警官が呼びかける。
「安全ったって包囲されてんじゃないか!!全員で突っ切れば逃げ切れる!!!ドアを開けろ!!いいから早く!!!」
三十代くらいの大柄な男性が警官に掴みかかった。
「犯人が全員武装しているかもしれない!!あぁ……先生!!!外の犯人はどれくらいでしたか!!!?」
「……分からないです!!でも、数十人……!!!それは見えた!!みんな血まみれで!!!内臓を垂らして……!!!」
「何言ってるんだ!!!こっちは真面目なんだぞ!!あんたが見たことそっくりそのまま話してくれないと俺らが出られるかどうか分からないだろう!!!」
「そっくりそのまま話してるんですよ!!!何十人もゆっくりこちらに向かってきていた!!腕を食いちぎられた人たちが、その腕なんか全然気にしないでこっちに来てた!!もうドアの前にいる!!!うちの生徒の姿もあった!!!」
「うちの生徒って……!!!じゃあ外の連中は暴動とは無関係だとでもいうのか!!!?ならここから出たっていいじゃないか!!それともなんだ!?あんたんとこの生徒も暴動に関与してるって……」
「違う!!!」
「なら開けろ!!」
「違う!!違うんです!!うちの生徒は暴動の犯人なんかじゃない!!でも……あれは……!!」
言葉に詰まる体育教師。その時、この世のものとは思えないほどの叫び声が上がった。
体育館の後方、横になっていた初老の男性の負傷者がそばにいた保険医の首に噛みついた。周りの人が保険医の首に食らいつく負傷者を引き剥がして押さえつける。負傷者は保険医の首の一部を咀嚼し終えると、押さえつけた男性の腕に食らいついた。
続けざまに体育館にいた負傷者があちこちで周囲の人に食らいつく。飛び散る肉片と血飛沫。耳をつんざく断末魔。
その光景を見て人々は堰を切ったように一番広い体育館後方のドアへと走り出した。
すし詰めになっていた多くの人たちが一斉にドアへと向かう。
人を蹴倒し、蹴倒された人の上を走る。ドアの近くにいた人は当然押しつぶされる。あぶれた人は端から負傷者に噛みつかれる。
体育館横にあるいくつかのドアから脱出を試みようと数人がドアを開放したが、外にいた奴らの波に飲まれ、頸動脈に噛みつかれていた。
何が起こっている?
奴らはいったいなんだ?
これは本当に現実か?
一昨年改装された綺麗な床は赤黒い血に塗られ、はらわたが飛び散り、それをむさぼる人々の姿。
幕を少しだけ開けた先に広がる地獄のような光景に体の動かし方さえ忘れそうになった。
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