終末世界の歩き方。
飯来をらくa.k.a上野羽美
高校演劇部:雨宮 陸
第1話「ゾンビじゃない」
見慣れた景色に見慣れない光景。文化部と言えど二年間は慣れ親しんできたこの体育館。わずか数メートル先に広がるのは人が人を喰うという地獄絵図。数時間前まで不安を内に秘めながらも家族や友人と励ましあっていた人たちが文字通りに血相を変えて、頸動脈に噛みつき、はらわたを引きずり出し、血肉を啜っている。
悲鳴と吐き気を必死に抑えて事が収まるのをじっと待っていたが、収まるどころか考えられる限りの最悪の事態になった。扉はすべて塞がれ、外から奴らと同じく血肉を求める亡者が扉を叩いている。
「何が安全な避難所だよ……。これじゃまるで、餌箱と同じじゃないか」
遅かれ早かれ次は自分たちの番。その事実に身震いして思わず逃げ出したくなる。
……逃げ出せればどんなに楽だったろうか。
地獄絵図からいったん目を離して振り返る。俺と同じく泣き叫びたい気持ちを抑えながら震えている見慣れた姿が映った。
「……大丈夫。俺たちはきっと助かる」
根拠もない励ましの言葉をせめてもと投げかける。自分でもこんな状況で助かるなんて思っちゃいない。だからこそ涙目で頷く彼女たちに胸が痛んだ。
こんなこと、映画やゲームの中だけだと思っていた。絶対に起こるはずないと思うのは当たり前だ。
でも実際はそうじゃない。俺たちはずっと知らないふりをしていただけなのだ。
世界はこんなにも簡単に終わりを迎えることを。
三年の先輩たちが引退してから数か月。俺は部員数四人の演劇部部長に任命された。
同学年で現副部長を務めている最上瑛梨奈か俺、雨宮陸のどちらかが部長になるというところでお互いに「どっちでもいい」と言った結果、残り二人の後輩の票が俺に入り、部長になった。
理由を聞けば「男手でいろいろやってくれそうだからッス」とのことだ。部長としての尊厳もクソもない。
現在体育館のステージを借りて、春に行われる地区の演劇祭の練習中だ。ステージの下ではバスケ部が顧問のいないことをいいことになんだか楽しそうにワンバンをして遊んでいる。
本番に向けてのペースはまずまずといったところ。せめて見せられるものにだけでも仕上げようと頑張っている最中だ。
部員数四人でも意外と演劇はできる。脚本次第では出演者を絞ることもできるし、裏方については暇そうな友人を引っ張ればいい。台本があれば音響も照明もどうってことない。
「とりあえず休憩終わったら、次の二十ページの暗転のところまで通してやるぞ」
「うぃっす。頑張るッス」
似非体育会系の挨拶をするのは二つ結びがトレードマークらしい藤宮結衣だ。前に「ツインテールってやつだろ?」と言ったら「ツインじゃないッスよ!!」と怒られた。
「藤宮、お前まだ横向いてるところあるから意識しとけよ」
「えーっ!まだ私横向いてるんスか!超意識してるんスけどねぇ。ってか雨宮先パイが私の事超意識してるんじゃないッスか……?」
「あーはい次、有沢は……まだ声が小さいな。腹式しっかりな」
「……はい、頑張ります……!」
もう一人の後輩である有沢由利が小さく返事をする。演技中は問題というほど声が小さいわけではないのだが、普段は特に声が小さい。有沢も少し前まで藤宮と同じく二つ結びだったが最近髪を切ってショートな感じにまとめてきた。その際藤宮は「由利ちゃん裏切ったッスね……!」と怒っていた。まぁ藤宮はそういうやつなのだ。
二人は名前も顔も、少し前までは髪も似ていた。舞台映えする顔ではあるのだが、同じようなのが二人もいるのはどうなのだろうか。ゆえに配役は実際の二人と同じようにまったく違う性格とテンションにしておいた。
「で、私は?」
長い髪を揺らしながら副部長である最上がアドバイスを聞いてくる。
「最上は……別になんもないんじゃない?とりあえず現状維持で」
「そう。まぁ、そんな感じで頑張ってればいいのね」
「あー!雨宮先パイまた最上先パイだけひいきしてるッスね!やらしいー!」
「じゃあお前がなんか言ってみろよ」
「最上先パイさすがッス!!」
「ありがと結衣ちゃん」
最上はこの演劇部で一人だけレベルが違う。ここに限っての話ではなく、演劇祭に出場するすべての学校の中でもベストアクトレスな奴だ。俺の書く脚本がその演技力を削いでいるのではないかと思うくらいこの学校の小さな演劇部にはもったいない存在だと思っている。
今回の舞台にはこの俺以外の女子三人が出る。脚本、監督、演出は俺の仕事だ。まぁ、全部俺一人というわけではなく部員からアドバイスくらいはもらっている。
「雨宮先パイは昨日のニュース観たっスか?」
ステージで大の字になって寝転ぶ藤宮が尋ねる。ニュースと聞いてすぐにピンと来た。
「ああ、新宿駅のやつだろ?うちのクラスでも話題になってたな」
それは昨日の帰宅ラッシュ時に新宿駅が暴動により一時封鎖という日本にしてはなんだか物騒な事件だった。
「あぁ、その事件ね。帰宅ラッシュの後も関東圏内でいきなり人に襲われる事件が相次いだみたいね・・集団テロかと思いきや、犯人は全員面識のない人たち同士でなにかの感染症にかかっていたそうよ」
最上がスマホのニュースを読みながら話に加わる。
「これはツイッター情報なんスけどね……なんと集団テロの犯人は全員噛み傷があって、誰かを襲うときもその人を噛んで襲うらしいッスよ……!雨宮先パイ……これが意味するところ……なんだか分かるッスか?」
「結衣ちゃん……なんだか怖いよ……」
なぜかおどろおどろしい口調の藤宮にビクビクする有沢。その姿は雨に濡れた小動物っぽい。
「……まさかゾンビとか言わねえよn」
「はーいブッブー!!ゾンビじゃない!!雨宮先パイはーずれーッス!!」
「なんでだよ」
「今どきゾンビなんてダサい名称使わないッスよ!!ナウなヤングは
ご丁寧にルビまで振りやがるのは構わないがナウなヤングは「ナウなヤング」って使わねぇよ。
「……雨宮はそんなことも知らなかったの?」
「部長……さすがにゾンビってどうかと思います……」
「なんで一般常識みたいになってるの!?一般的に考えたらどうでもいいところだよ!!ゾンビでもグールでもウォーカーでも感染者でもなんでもいいわ!!」
男一人の部員っていうのはだいたいこういう目に合う。
「とにかく、もし本当に食屍鬼だったらどうするッスかねぇ。雨宮先パイは銃器とか隠し持ってたりしないんスか?」
「持ってるわけねぇだろ。だいいちそんな馬鹿馬鹿しいことあるか。どうせヤク中が噛みつく事件がたまたま数か所で起きてるだけとかそんなんなんだよ。さて、そろそろ練習を再開するぞ。ゾンビなんかより春の大会の方が現実的で一番怖いわ」
立ち上がって台本を手に取りパラパラとめくっていく。照明が当たって眩しいくらいの明かりが陰り、顔を上げるといつの間にか藤宮が目の前に立っていた。
「先パイ」
「なに?」
「
「うるせえ」
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